一週間に満たない短い滞在だった20年ぶり(以上)の思い出深いニューヨーク市を離れ、帰国しましたが、それもすでに一年前の話になろうとしています。英語で言うと "Time flies!"、日本語では「光陰矢のごとし」です。
出国のときは、前回紹介したようにシアトル経由でニューヨーク市に行きましたが、帰途は、便の接続と空港到着時刻(羽田か成田)の関係で、ニューヨーク市のラグアディア空港(LaGuardia Airport)からミネソタ州のミネアポリス・セントポール国際空港(Minneapolis‐Saint Paul International Airport)経由で成田着になりました。これらの手配は、すべて出発前に大手旅行代理店で予約することになったのですが、航空会社は往復ともデルタ航空になり、かつてとは様変わりです。デルタ航空は中堅の航空会社であったのが、合併(私がよく利用していたノースウエスト航空とは2010年)と買収によって一時はアメリカ最大手の航空会社となりました。
東京―紐育間の直行便はしんどい
なぜ帰国のとき、ミネアポリス・セントポール市に立ち寄ったかと言うと、直行便では若い時と違い、ずっと機内で座っているのは(約13時間)体力的にしんどいからです。ビジネスクラス (前回述べた、バブルがぶっつぶされる前の景気のいい20年前は、ビジネスクラスの常連でした)ならまだしも、狭いエコノミークラスでは、限界を感じるのです。しかも、今回は乗り継ぎしたのに往復便とも満席で、当てが外れ、えらい思いをしました。夏期(7~9月)には、旅行者が多く、その時期を避けたと思いましたが、6月末では、ちょっと遅かったようです。
今回経由した空港にまつわる話をしようと思ったのは、国の歴史は浅いが、日本と比べ、アメリカの空港は歴史も長く規模が大きいし、また、今回の旅でアメリカの空港の変貌は、私が海外へ行き来した当時と比較にならないので、ビジネスマンとして現在世界中を飛び回っている人でも、空港の過去・現在まで探る余裕はないと思い、一部とは言え、ご紹介するのも一興かなと考えたのです。例えば、上記のデルタ航空は、1929年に創業、現在運営されているアメリカの航空会社の中では最も古い会社なのです。
Sea-Tac Airport [SEA]
まず、Sea-Tac Airport と呼ばれるシアトル国際空港(Seattle-Tacoma International Airport)は、シアトル市とタコマ市の間に位置することから、前者のように通称されています。1944年に開港され、1947年、二つの航空会社の定期便の開始、1951年にノースウェスト航空が東京への直行便を開始したことによって、国際(International)が加わりました。その後、空港名や新空港ビル・滑走路建設、騒音対策等、紆余曲折を経て現在の施設となっています。しかし、空港のターミナルとシアトル市の中心街をつなぐ Light Rail (車輪部分がタイヤ)と呼ばれる交通機関(Transit)の駅が遠く離れていたのには閉口しました。空港の案内所で女性の係員に尋ねたら 「エレベーターを降りたら、そこからずっと離れた所にあるよ」 と言われ、今回の旅行のために購入した、あの取っ手が伸縮し車輪の付いたキャリーケース(?)を引きずって、半信半疑で歩いたらその通りで、1キロぐらい歩いたような気がしました。複路は、覚悟していたのでそれほどには感じませんでしたが...。
JFK International Airport [JFK]
次のジョン・F・ケネディ国際空港(John F. Kennedy International Airport)ですが、私がニューヨーク市へ行ったころは、アイドルワイルド空港(Idlewild Airport)と呼ばれていました。アイドル・ワイルド・ゴルフ場(Idlewild Golf Course )が、前述のラグアディア空港の混雑を緩和するために1943年、空港の用地に転用されたそうで、当時、Idlewild 「なんて変な名前の空港だな...」 と思っていましたが、暗殺されたケネディー大統領の栄誉を讃えて1963年に、上期のようにジョン・F・ケネディ国際空港と名付けられました。そして世界の経済・文化の中心としてのニューヨーク市を抱えるJFK国際空港は、国際便の扱いで北米一であり、さらに下記の二つの国際空港を併せた体制は全米一、扱う定期便は世界一となっています。ただ、JFKは、マンハッタン中心部から他の2港と比べ最も遠く、今でも不便なことには変わりありません。
LaGuardia Airport [LGA]
アメリカでは、空港に限らず、建造物や道路などに、その地域において功績があったり寄与した人物の名前をよく冠しますが、ラグアディア空港(LaGuardia Airport)などはその典型的な例です。ラグアディア(LaGuardia)とは、1934~1945年の3期にわたりニューヨーク市長を務めた人物で、米国史上もっとも偉大な市長の一人と言われています。ラグアディア氏は、現在のニューヨーク市の礎となるインフラ整備などを進めた人でもあります。ただし、一方で、剛腕の批判もあったようです。ラグアディア空港は1939年に開港しました。かつて2回ほど知人の送迎で行ったことがありますが、こじんまりとしたきれいな空港だったという印象がありましたが、今回は広くはなったが雑然とした印象で、利用者の評判も良くないようで、ちょっとがっかりしました。しかし、今年から空港の大改築が予定されているようで期待したいです。
Newark Liberty International Airport [EWR]
ニューヨーク市には、世界一の商業都市を支えるために、以上の二つの空港の他に、三つ目のニューワーク・リバティー国際空港(Newark Liberty International Airport)が、ハドソン川を隔てた対岸のニュージャジー州、ニューワーク市に在ります。当初、ニューワーク・メトロポリタン空港(Newark Metropolitan Airport)と称され、後に、ニューワーク・国際空港(Newark International Airport)、さらに、あの9/11テロ事件を追悼する意味で、リバティーが付け加えられ、現在の名称が正式となりました。私は、一度ほど利用した記憶がありますが、当時、場所が場所だけに2次的な空港という意識がありましたが、この一文を書くにあたって調べてみると、ラグアディア空港に先立つ1928年に開港しているのを知り驚きました。また、ラグアディア空港が開港するまでは、ニューヨーク市の玄関口であったことも知りました。
Minneapolis‐Saint Paul International Airport [MSP]
ミネアポリス・セントポール国際空港(Minneapolis‐Saint Paul International Airport)は、ミシシッピー川を挟んだ、ミネアポリス市とセントポール市(隣り合わせる両市の実態から、双子の都市―Twin Cities―としばしば呼ばれる)の南部にまたがるように位置しています。乗り換えのために到着したMSP空港の二つあるターミナルの中のコンコース1 は、大変きれいで清潔感のある、いかにも中西部北部の都市の空港という感がしました。ラグアディア空港とは大違いでした。待合室には、何列ものカウンターと座席がずらりと並んでいましたが、驚いたことに、各席に、「Iパッド」が設置されているのです。待っている間、自由に使え、さらに、フードコート(Food Court)内の席には、スマートフォン充電用の差し込みが、50センチくらいの間隔で設置されていました。空港自体の評判も上々のようです。上記ノースウエスト航空の本拠地でもありました。
Kansas City は二つある
これは空港の話しではない余談ですが、似たような例がもう一つアメリカに在ります。隣り合うミネアポリス市とセントポール市の両市は、ミネソタ州に在りますが、アメリカ中西部のカンサス市(Kansas City)は、隣り合う州にそれぞれ在るのをご存知でしょうか。市の名称は同じだが立地する州が異なるのです。つまり、カンサス市は、ミズーリ川を挟んでカンサス州とミズーリ州に分かれているのです。ですから、カンサス市を指すときは、英語では Kansas City, Kansas (カンサス州のカンサス市)と言い、もう一方は、Kansas City, Missouri (ミズーリ州のカンサス市)と言って区別します。
最後に、下記の二つの都市の空港を取り上げます。理由は、両者とも離着陸回数や利用客数で、アメリカや世界で一、二位を競う空港だからです。
Chicago O'Hare International Airport [ORD]
シカゴ・オヘア国際空港(Chicago O'Hare International Airport)のオヘア(O'Hare)の名称は、先の「ケネディ」や「ラグアディア」同様、第二次世界大戦時にアメリカ海軍の戦闘機隊員オヘア(Edward O'Hare)氏が挙げた戦果を讃えて1949年にOrchard Airport から現名称に変わりました。シカゴ・オヘア国際空港は7本の滑走路がある巨大空港です。成田空港の建設に死闘を繰り返した、人口密度が高く山ばかり(国土の70%)の国から見れば、うらやましい限りです。かつて、2・3回利用した記憶がありますが、当時はコンコース(concourse)が長くて、目的のゲートまで歩いて行くのは大変でした。MSP国際空港では、コンコース内を老人や足の不自由な人のために、4・5人乗りの電動カートが運航していましたが、今のシカゴ空港はどうなっているのでしょうか。2005年までは離着陸回数が世界一だった空港で、空港と施設共に評価は高いようです。
Hartsfield-Jackson Atlanta International Airport [ATL]
ハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港(Hartsfield-Jackson Atlanta International Airport)という長い名称の空港を運営する、ジョージア州アトランタ市は、かの有名な『風と共に去りぬ』(マーガレット・ミッチェル著)=(Gone with the Wind, Margaret Mitchell)の小説を生んだ南部の町であり、南北戦争時には中心となる重要な町でもありました。あのコカ・コ-ラ飲料が誕生した地でも知られ、その本社が在ります。24時間ニュース専門のテレビ局CNNもこに本社を置いています。
一方、アトランタ空港は、1926年 Candler field として開業、1930年には定期便の扱いで、ニューヨ-ク、シカゴに次ぐ3位までになっています。1946年、アトランタ市営空港(Atlanta Municipal Airport)と改称され、1980年には、アフリカ系市長 M. Jackson の下で進められた大規模な拡張工事の完成に伴い、これまで航空行政に功績のあった元市長 W. B. Hartsfield の名を冠してHartsfield Atlanta International Airport になりました。さらに、空港工事を進め、2003年に逝去した元市長 M. Jackson の名も加えられ、同年 Hartsfield-Jackson Atlanta International Airport と正式に称せられることになりました。2012年には、世界で利用客数でも離着陸回数でも最も忙しい空港となっています。
私は、アトランタ空港を利用したことはありませんが、かつて、窮屈で寒いニューヨーク市の生活に愛想を尽かし、広々として暖かいカリフォルニア州に移住するため、車でフロリダ州を経由してロスアンジェルスへ向かいました。その途中、昼食を取るためアトランタ市を通りましたが、もう何十年前のことで、あの南部の中都市がここまで発展するとは考えも及びませんでした。
空港コード(IATA airport cord, location identifier, station cord)
空港でチェックインして荷物を預けると、必ず、到着先空港を表示する、アルファベットの大文字3字が印刷されたシールがスーツケースに張られたり、輪っかにしてケースの取っ手に付けられます。これまではあまり関心を持たなかったのですが、今回このブロッグを書くに当たって、インターネットの「ウイキペディア」(Wikipedia)でちょっと調べてみました。
現在、3文字と4文字からなる2種類のコードがあります。ここでは、上記空港名の副題の後に示したのが広く使用されている IATA(International Air Transportation Association)のコードです。この3文字のコードは、欧米では空港と鉄道との合意によって鉄道駅にも振り当てられる、ということを今回知りました。これらのコードは、カナダのモントリオール市に在るIATAの本部が管理しています。
ちなみに、羽田空港はHND、成田空港はNRTで、大体地域の名称にのっとった文字が使用されます。シカゴの空港は、元々使われていたORDが優先されています。
近況のお知らせ
前回、前任の猪瀬直樹東京都知事が、5千万円の借入金の問題で辞任したことについて書くと言いました。さらに、「英友社ランゲージ・スクール」の開校準備についても触れました。
これまで、日本の英語教育の不備について、私は、当ブロッグで散々私見を述べてきました。しかし残念ながら、私の意識の中では、真の核心に迫ることはできていませんでした。つまり、日本の英語教育の問題は、指導方法や教材の問題ではなく、日本人の性向や心理や社会慣習を深層から見極めなければならないことに気付いたのです。
英語学校を始めるに当たって、教育方針を絞り込めずに中途半端な指導では、日本中に散在する巷の英語学校の二の舞になってしまうので、それでは過去40年間に渡って、実用を目的とした英語教材を開発してきた「英友社」の名を冠する意味がありません。検定英語や幼児英語さらに最近はグローバル人材育成英語等に、どっぷりと汚染されているこの国の英語環境の除染は、放射能の除染ではないが大変な努力を伴います。
やっと私の頭の中で、しっかりとこの事業に対処する方針が固まりましたので、今度は、開校資金の調達に頭を使わなければなりません。
東京都知事の問題は、舛添要一氏が就任し、少し落ち着きを取り戻したようです。あのはったり男が、何を考えて猪瀬氏を副知事に任命したのか分かりませんが、不適任であったことは間違いありません。次回は、空港に関わらない話です。