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折登ひろしのGRAFFITI

日本人と英語と国際社会と、ちょっぴり料理について考える

「Go To トラベル キャンペーン」 という国籍不明の百害あって一利なしの造語をなぜ放置する?抗議しない日本の言語学者・専門家・知識人のだらしなさ

2020年08月26日 | Weblog

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ♬ チイチイパッパ チイパッパすずめの里 ♫                                  ジパングからの報告です‼

今に始まったことではないが、日本人は自国語を大切にしないのには呆れるというより悲しい気持ちの方が先立ちます。これまで述べてきたカタカナ語の異常なほどの乱用・誤用等々、自国の言葉をいじくり回し、果ては内閣府の官僚発想「Go To トラベル キャンペーン」のような英語と英語もどきのカタカナ語をくっつける幼稚さに、この国には高等教育ならびに言語教育が無いとしか考えられません。

 しかも、Go To など、英語では Go to..... のように大文字の後は小文字にし目的語を表しますが、表題とするにしてもカタカナ語を併用しているので、全く滅茶苦茶です。これが政府の高官からの提案と聞いて開いた口が塞がりません。日本が落ちぶれ沈みゆくのが分かります。日本語も英語も幼児程度の知識しかないようです。またこのでたらめ標語を無修正で政治家・知識人・経済人を始め、日常的に新聞の見出しに表示、テレビではアナウンサーが斉唱する様は、近代国家の見識と教養を蹂躙しています。

 いくら漢字を中国から輸入したにしても、長年にわたって、カタカナと平仮名を考案し、自国の言語として定着させたにも拘らず、日本人の飽きっぽさ、新し物好きの浮ついたいい加減さ、節操のなさ、人間同士の意思・意見・思考を交換・表明し、また喜怒哀楽を表現する大切な言葉を、お遊びとしか考えない浅はかな一部の日本人ならびにマスコミを私は軽蔑します。

 以前述べた夏目漱石を始めとし、宮沢賢治、菊池寛、谷崎潤一郎、井伏鱒二が、恐縮ですが私が好んだ日本の近代文学の作家です。そのほか読み物としては何人もいますが、文章を書くにあたっての影響を受けた作家は以上です。

 英書は、英語の翻訳書(原語から)とかあまり読んではいませんが、イギリスの作家 Somerset Maugham が大好きで "Cakes and Ale"(お菓子とビール) は夢多き青春時代に一抹の哀愁を感じさせてくれました。その他は、雑誌の "Time", "The New Yorker", "FORTUNE" が定期的な購読誌でした。いずれにしても結果的には帰国後、英友社という出版社の社主・編集者を務めるのに役立ったことは間違いありません。

同性愛者として知られている Somerset Maugham の代表作の一つに"Of Hunan Bondage" (人間の絆)がありますが、かなり長編の自伝的小説です。私は途中で断念。それよりも"The Moon and Six Pence"(月と六ペンス)の方が面白かった。彼の文章は平易で読みやすく、英語学習者にお薦めです。

蛇足ですが、短編小説の彼の作品の中で、最初はオペラになった"Miss Thompson" が、その後 "Rain" (雨)と改題され映画化されました。内容に興味のある方は、訳本でなく原書で読んでください。ここでは、1953年の作品に娼婦として出演した Rita Hayworthと作品とは関係はありませんが (画像参照) 私が敬愛してやまない Fred Astair を気分転換に紹介します。トランプ大統領が唱える"America First" 以前のアメリカが絶対的な America First であった古き良き時代のハリウッドを彩った二大スターです。両者については YouTube でたっぷり視聴してください。

       

 本職として経験を積んだ絵画、アート・ディレクターは、帰国後霧散する結果となってしまいました。誠に残念ですが、日本の現文化程度ではその経験を活用する機会を望むには無理で、マッカサーの言った通り12歳程度ですから、運命として受け止めるしかありません。

 いつまで経っても、アメリカの属国から抜け出せず、毎日のようにチイチイパッパやっている破廉恥で大ぼら吹きのトランプ大統領の動静を気にしなければならない日本は、アメリカに「Go To トラベル キャンペーン」 を引退間際の安倍総理に頼んで売り込んでもらうべきです。

Don't you think that it's a great idea, isn't it?

 

 

 

 

 


新型コロナウイルスより怖い横暴な人間の 「オス」:これからは貴女たちがこれまでの差別を無くすのです

2020年08月20日 | Weblog

     太平洋に面した、東の再果ての夢も希望も失った民族が                                                                                                                         いつからか男を引き立て女を蔑視するようになった                      ジパングからの報告です              

捕虜になるのは恥である

日本のアメリカに対する宣戦布告によって、アメリカの戦時情報局は、日本についての研究を女性の人類学者ルース・ベネディクト(Ruth Benedict)に依頼しました。戦時中で、日本での調査が不可能なため、彼女は、日本文学・映画等の資料、在米日本人との面接等を基に戦争情報局がまとめものを分析執筆し(現在では日本研究の古典的な書と見なされているようですが) 、1946年にThe Crysanthemum and the Sword: Patterns of Japanese Culture の書名で刊行されました。

 戦後、邦訳の書『菊と刀』 は直ちにベストセラーとなりました。私は中学生だったと思いますが、父が購入したのを読みましたが、日本に来たことがない著者がよくここまで洞察したな、という私を含む世間の評価をここに記させていただきます。

 お読みになったことのない方、特に女性は一読をお薦めします。なぜならば、本書は、日本の文化を欧米のキリスト教に裏打ちされた「罪の文化」に対し、男社会を象徴する「恥の文化」と規定していることです。

第2次世界大戦戦中、日本政府は、英米は敵国で「鬼畜米英」という日本人の敵愾心を煽ることで、研究ならびに英語の使用を一切禁じました。それに反し、アメリカは日本は敵国である相手を調べ上げる必要を感じ、日本研究を推奨したのです。武道でもスポーツの世界でも同じですが、対戦する相手の優位点弱点を徹底的に調査研究するのが常套手段ですが、時の帝国軍人の精神構造はその逆でした。

書名の『菊と刀』の菊は皇室を意味し、刀は武士または侍を意味していると思われますが、未だにそっくりそのまま江戸・明治時代の精神文化を継承する日本の将来は暗澹たるものです。維新の党や維新の会が現存し、更に「れいわ新選組」など、日本の男子の知性の程度が分かります。マッカサー元帥のアメリカ議会の証言通り12歳の子供程度です。

日本の女性は、男性優位社会を長い間許容・甘んじ、しかも鎖国社会の中に閉じ込められてきた(アラブの世界も同様)ために、男社会に反抗するなどあり得ないことでした。

 戦中、私たち日本人全て、敵に捕らわれの身になることは恥であると教えられました。従って、小学生を含む物心のついた私たちには、敵の捕虜になるより自決せよ、という意識が植え付けられました。その結果が玉砕という行動に表されました。沖縄の女子の集団自決という悲惨な事態は、恥の文化意識が招いた洗脳の結果です。かつて世界を驚かした「切腹」という行為も「恥の文化」が寄与しているのでしょう。

さようならチャンバラと時代劇

しかし、前回述べたことですが、明治はおろか江戸時代の意識から一分一厘も脱皮できていないのは日本社会の因習・慣習にあります。繰り返し述べてきたことですが、原因は男尊女卑または女性蔑視の意識と因習です。

 現在、私はケーブルを通しテレビを視聴していますが、アメリカ式チャンバラと言えるドンパチ映画の氾濫に辟易しています。ドンパチとは、アメリカ制作・発信の銃の打ち合い、または殴り合いの暴力満載の映画だらけです。以前述べましたが、アメリカに渡った目的の一つは、映画制作に関わりたかったからで、その夢は結果的に叶いませんでしたが、映画が大好きなのは今も変わりません。

 好みは古いので笑われるでしょうが "The Sound of Music", "My Fair Lady", "Mary Poppins" などミュージカル映画です。それにしても最近はミュージカル映画でよいものがありませんね…。原作はブロードウエイミュージカルですが "A Chorus Line" の振付はユニークで感嘆!

 しかし、日常的に男性好みと思われる暴力満載の映画の放映には首をかしげる以上に、男と女がほぼ半分づつ生活しているこの地球上で、女性の方にお尋ねします。日本では何ゆえに暴力満載の映画が幅を利かしといるのでしょう?

 有史以来延々と続く人類の悲劇:つまりトランプ大統領率いるアメリカを始め、私がこれまで常々指摘している「バカオス」を、徹底して無視・否定することが女性にとって不利な因習を打ち破る手段です。私のこのブロッグの読者は推察するところ大半は男性のようです。去年、「今こそ『女性よ大志を抱け!』2019年09月16日) という表題で投稿しましたが、残念ながら反応はありませんでした

昨日から今日にかけて、アメリカ大統領選挙の民主党予備選を視聴しました。バカオスのトランプ大統領を追い落とすのに大騒ぎです。男性優位社会の悲しい現実です。女性たちの一層の努力が望まれます。縄張り争いに明け暮れるオスを何とかしなければ……。

Girls and Ladies, do you agree with what I said above? I hope that I hear something from you.

 

 

 

 

 

 


長い道のりを歩んできた女性差別と隷属に終止符を打つのは貴女たちです!!

2020年08月17日 | Weblog

太平洋に面した、東の再果ての夢も希望も失った民族が                                                 いつからか男を引き立て女を蔑視するようになった                     ジパング」 からの報告です

当ブロッグで言い古した言葉ですが、狭い離島の居住者の閉鎖的な意識が変わることはないようです。

 なぜ変わることがないのかと言うと、常日頃、自然の風水害・地震と向き合ってきた日本人は、「自然と共生する」と言えば聞こえがいいが、不安な気持ちを忌避しようとする意識が強いからではないかと思います。

 簡単な言葉で言うと、憶病であり別の言葉で言い表すと「長い物には巻かれろ」という無常観に覆われているからだと思います。

 お分かりでしょうか?さらに別の言い方には「寄らば大樹の陰」というのがあります。

女性たちが、いかさまと暴力と破壊に席巻されている地球を救うのです

先日8月15日は、日本が太平洋戦争に深入りしてのっぴきならなくなり、結局は無条件降伏した日です。あれから75年の歳月が過ぎ去りました。今年もあの無謀で悲惨な戦争がいろいろと回顧されました。しかし、毎年のことですが回顧はされても行き着くところは相も変らぬ戦争忌避でしかありません。

 根本のところは、わざと避けているのか、無知なのか分かりませんが、戦争をおっぱじめるのは、男つまり私が当ブロッグで繰り返し述べている「バカオス」なのです。現在も世界中のあちらこちらで紛争が起きていますよね!その根原は、人間あるいは動物のオスの本能でしかありません。有史以来、この地球上で、戦(いくさ)を始めるのは常に男です。女性ではありません。

果ては、世界中に蔓延している、コンピューターウイルスではない本物のウイルス(covid-19)に地球上は汚染され、なす術もありません。

 この美しい地球が、見栄っ張りで欲深く、縄張り争いに終始し、果ては暴力に訴えるしかない野蛮な人間のオスを制御するのは、貴方たち人間の女性しかいないのです。お分かりになりますか?

"You’ve come a long way, baby"

この表題は、私の記憶では1960年代のアメリカで、女性志向に開発された"Virginia Slims"というタバコのテレビコマーシャルのスローガンです。その後、音楽曲のタイトルとして使用されたようですが、詳細は別にして、このスローガンが訴えていることは、当ブロッグの表題にしている「長い道のりをやってきましたね、お嬢さん」というような内容です。

 欧米特にアメリカで生活した女性、または生活している方はお分かりになると思いますが、アメリカという国は、私がここで繰り返し述べていることですが、男尊女卑の社会です。日本のように女性蔑視ではありませんが、かなり根強いものがあります。現大統領のトランプ氏の言動からそれは明らかでしょう。

 日本の女性は、前回述べた「馬鹿に付ける薬はない」であっては情けない。もっと社会的責任を自覚することが大切ではないでしょうか。欧米から導入された形だけの男女平等に甘えているのではないのでしょうか、お尋ねします?

 オリンピックの金メダルよりノーベル経済学賞

2019年度のノーベル経済学賞は、米国の3氏が受賞、その一人が女性(Esther Duflo)で、しかも最年少で受賞したことで注目を浴びることになりました。彼女はフランス出身、共同受賞者の夫(Abhijit Banerjee)はインド出身、もう一人は米国人の(Michael Kremer)と国際色豊かで、世界における現代社会を具現しています。

過去20年の間「55歳以上の白人男性」が占めてきた経済学賞から、昨年度のノーベル委員会の選考は「伝統からの決別」と言われています。

 今回はこの辺りで止めておきましょう。言いたいことが山ほどありすぎて、倦厭(けんえん)されては元も子もないので...。

I'll be meeting you on my next weblog, ladies!

 


時代劇 チャンバラ エンタメ アニメだ~い好き!

2020年08月15日 | Weblog

     ♬ チイチイパッパ チイパッパすずめの里 ♫ からの              報告です‼

♪ 私バカよね~おバカさんよね~ ♫ と嘆くのは、このブロッグの投稿者本人です!自虐の念に駆られているとまでは言いませんが、日本、日本語、日本人について私が如何に無知であったかほぞをかんでいます。

えっ英語‼チイチイパッパの社会には無理だ~

東京アラート」「Go To トラベル キャンペーン」を目の当たりにして、「日本語もままならない社会に何で英語やらないかんのや!」「ほんまにあほや!」50年間にわたって英語教育関連の教材を一生懸命制作・出版してきた我があほたれが情けない。

 特に「書く英語・実用編」(How to Write English  Vol. 2(2007年12月3日投稿) を4年もかけて改訂したのは、英語上級者のためでした。「ええっ!そんなやついるんかいな」「おっしゃる通りおらんかった」「英検やTOEICでは、級やスコアをお姉ちゃんとお兄ちゃんに与えて金儲けにしていますねん」「チイチイパッパ雀の学校(前回投稿『日本では小学校で英語~』参照)では英語はごっつ儲かるですねん」「ああほんま

 私がかつて長い間関わってきた空手等、武道界の段級の査定や囲碁・将棋その他日本では等級付けに事欠きません...。利権どっぷりの家元制度もあるよ...!オリンピックもオスの利権どっぷりだね!この事はいずれ書きたいですね...。

鞍馬天狗のおじさんが~♫

子供のころ、夕方になると長屋のどこからか ♪ 鞍馬天狗のおじさ~んが ♪ の曲が NHKのラジオから流れてくるのでした。子供のころ「寄らば斬るぞ!」(ご参考までに英語では "If you come closer, I'll shoot you.")と言うのが、軍国主義真っ盛りの中、おもちゃの刀を腰に差した男の子の決まり文句でした。

 今は、アニメのドラえもんかアンパンマンか何か知りませんが、日本人の時代劇好きには驚かされます。明治時代の維新かと思いきや本命はその前の鎖国全盛時代の江戸時代です。毎日のようにテレビ番組のどこかで放映されています。ちょんまげを結った着流しのお侍が、大小二本の日本刀を腰に差して「寄らば斬るぞって、かっこええな!」女性はと言えば重そうな日本髪を結って、ちょこちょこと内またで人々の間をすり抜け「今日は、江戸アラートよ」なんて触れ回ったりして! ?

 「鞍馬天狗」は、大佛次郎原作の時代小説で「NHKが時代劇ドラマとして今月再放送するそうですねん。ちゃんちゃんバラバラをたっぷりご覧あれ~

 「チイチイパッパ って、英語で何と言いますねん」「tweet か twitter や。twitter は Social Network とかいうサービスを提供している会社が社名にしてますねん。ほら、トランプ大統領が愛用して毎日のようにチイチイやってますがね~

 


日本では小学校で英語を教えているの知ってる?えっうっそ~ その英語どこで使うの?外国人に道を聞かれた時じゃない?でもめったに使うことないんじゃない?それにしても日本人は英語が話せないね!

2020年08月09日 | Weblog

太平洋に面した東の再果ての夢も希望も失った                                              小学生並みに幼稚で家畜化された民族が居住する                                                          ジパング」 からの報告です

上の世界地図の右端に紐のようにぶら下がってるように見える                          ちっぽけなジパングという土地に、おとうさんやおかあさんや                                     子らが「お上」に従って住む離島からのお便りです (またの表現)

ガイジン:「言葉って使わないと忘れちゃうんじゃない。特に子供はね~。でも日本の男性は外国人から見ると恥ずかしがり屋ですよね~。英語を話すときも、まず冗談を言わないと乗ってこないですよ」

私:「言葉は大人でも使わないと忘れますよ。僕がアメリカとイタリアで14年近く生活していたら、以前ここに書きましたけれど…すっかりではないけれど帰国してから変な日本語を話すと言われました。知り合いに日本の中学と高校に通い、その後米英の有名大学に6年くらい学んだアメリカ人女性がいて、いわゆるバイリンガルですよね、何年か前に会ったら、日本に帰った当時日本語を忘れていたそうです」

ガイジン:「私にはそういった経験はないけれど、日本人に英語を話すときにはゆっくり話さないと分かってもらえない...…普通に話す会話の英語 では通じないです」

「でも、驚きました!この前聞いた『GoTotravel も大半の日本人が知っている英単語で、伝わりやすさを重視した』って、そして『機運を盛り上げたい』って内閣官房の官僚が言ってましたけれど、日本語では機運が盛り上がらないのですかね?」

「官僚を英語では bureaucrat って言うけれど、ときには馬鹿にする言葉で、bureaucratic と言えば、お役所仕事つまり非効率的という意味になります。この前の回答はまさにそれでしたね。国民を馬鹿にしているかあなどっているのでしょうね」

私:「その言葉をマスコミはそのまま使うのですから、小学生並みじゃないですか。『この用語は日本語として不適切ですから自主判断で「旅の奨励」のように変更させていただきました』ぐらい言えないのですかね」

「お上の公表することは批判なく、そのまま「おうむ返し」するので、政府や官僚に馬鹿にされているのですよ。小学生か幼稚園児の時に下の歌詞を口ずさんだ記憶があります……今の日本は下の歌詞と同じですよ……。

  チイチイパッパ チイパッパ
  すずめの学校の 先生は
  むちをふりふり チイパッパ
  生徒のすずめは わになって
  お口をそろえて チイパッパ
  まだまだいけない チイパッパ
  も一度いっしょに チイパッパ
  チイチイパッパ チイパッパ

雀の学校」という童謡で、作詞は清水かつら、作曲は弘田龍太郎ですが、Wikipedia によると、雀の先生がムチを振って命令し、生徒の雀は自己思想を禁じ国策に向かって突き進む事を歌っているとされ、雀のたった一つの鳴き声である「チイパッパ」を比喩的表現として、全ての日本国民が一つの言葉を胸に日本国を守ろうする帝国主義的な表現も含めて作詞しているという見方と、一方で否定的な見方もあるようですが、私から言うと前者でしょう」

「前回言いましたれけど、日本人にとって言葉というのは『お遊び』の一種で、習慣的に『いじくることが』出来ると考え (?) ているんじゃないですか?「ご飯」や「白飯」を「ライス」、「熱いコーヒー」を「ホット」とか「叫ぶという "yell"」を「応援」とかね。

ガイジン:「なるほど、なるほど。いっぱいありますね!」

The well known English proverb says that "You can't have your cake and eat it too".

 

 

 


「親方日の丸」瓦解の始まりか? ⇒ 新型コロナウイルス⇒ 風水害⇒ 幼児化

2020年07月30日 | Weblog

太平洋に面した東の再果ての夢も希望も失った小学生並みに幼稚で家畜化された民族が居住するジパング」 からの報告です

今だに終息する気配のない世界中に広がる、新型コロナウイルス(COVID-19)感染の報道で、うっとうしく気の滅入る日々を送っていることから、気分転換のために前回の約束を変更して、「DELICATESSENで味わった異国の食材」(2018年9月11日)に続き、書きたかった「チーズの話ヨーロッパに渡る」を投稿することにしましたが、先日テレビ画面に映し出された九州地方を襲った水害の光景に打ちのめされました。東日本大震災時の海が川に変わっただけのような状況を見るようで、言葉を失いました。

注: COVID-19 は、coronavirus disease 2019(CO=corona, VI=virus, D=disease, 19=2019年)の略称です。

毎年のように日本列島を襲う風水害に限らぬ天災に、なす術 (すべ) を持たない太平洋に面した、知恵の働かない特権階級化した男ら、例えば、現総理安倍・副総理麻生が運営する離島(猿山のボスに似た、男らに隷属している日本の女性の自覚を強く喚起します)の悲しい現実に、「チャンバラ」の約束も上記「チーズの話」も、今回はほごにして幼稚な国 (?) に向き合うことに切り替えました。

―、私バカよね~おバカさんよね~ で始まる、 細川たかし氏が歌う歌謡曲(なかにし礼作詞、中村泰士作曲)が、かつて流行りました。日本のこういった曲の歌詞の常で主人公は女性ですが、ここでの私は誰でしょう?

日本人はやっぱり12歳の子供なのか?

日本の敗戦により、マッカーサー元帥が連合国軍総司令官として戦後の日本を統治しましたが、1950年勃発した朝鮮戦争で中国の参戦により劣勢に立たされた国連軍統一司令官のマッカーサーと時のトルーマン大統領との戦略を巡る対立で司令官を解任されました。帰国後、アメリカ議会(上院軍事・外交共同委員会公聴会)での証言録の中に「日本人は12歳=a boy of 12」という発言がありました。

 この発言の真意に関しては解釈がいろいろあるようですが、この証言録の原文を私が調べた限りでは(幸いなことに現在の世の中は、ご承知のように何十年も前のマッカーサー司令官の証言の全内容を検索ネットでパソコンに取り込み印刷できる) 、要点だけをここに記すと、第二次世界大戦中にアメリカ (人) が戦ったドイツ (人) と日本 (人) の背後にある精神文化と文明の成長度の違いを比較しているのです。

 (我ら)アングロサクソン系を例えば45歳の成人とすれば、ドイツ人は、同様に成長成熟した人種だが、それに比較して日本の歴史は古いが、現代の文明度から計ると日本人は12歳の子供のように未熟な状態であるというのが骨子です。証言の全文はどのように和訳されたのか(翻訳ソフトか翻訳者によるのか)判明しませんが、分かりにくい点を要約すると、上述したように、如何にドイツと日本が精神性も文化も異なるか、ということをマッカーサーなりに考察したことを証言しています。

 子供のころから「日本人は12歳」ということを聞かされてきましたが、これまで真意不明のまま過ごしてきました。このブロッグを始めたおかげで、真相が分かることになりました。同時にインターネットに感謝、感謝です!

ここで、一言、苦言です。「日本人は12歳の子供 (a boy of 12)」 を「日本人は12歳の少年」のように訳されていたように記憶していますが、"a boy", "a girl"「少年」「少女」のように訳さず「男子」「女子」のように訳すべきだと思います。理由は、和風にしないということです。お分かりでしょうか?

インチキ「アベノマスク」に似る英語検定制度

水害とは異なったことで、たまげて驚いたのは、日本人の救いようのない盲目的行動です。この前「ゴーンさんたまげた、驚いた、逃げた!怖~い日本社会の現実(2020年1月25日)という表題で投稿しましたが、ゴーンさんは高額の費用を払って、一時的にしろ日本の法規制の呪縛から逃げ出すことができましたが、日本人は高額の費用を払っても日本の利権ずぶずぶの「英語検定制度」の呪縛に囚われます。

 先日、TVでコロナウイルスの影響だと思われますが、何かが解禁されたのでしょう、多数の若者が長い列をつくる映像が放映されました。人気の「ゲームソフト購入」や「ラーメン屋」にできる行列とまがう長~い行列です。走って行列に加わろうとするする人もいるので最初は何だろうと思ったら、「英検」の試験場(あるいは申込み)に並ぶ受験者の列だということが解説で判明しました。

 「えぇ~っと」思ったのが私の偽らない感想です。小学生並みの幼稚な日本の成人に付ける薬はないようです。そもそも "Café the Gallery" を開業しようとした動機は、英語学習環境の提供以外に、日本に無い外国人を交えた大人の社交場(日本独特の銀座・六本木・赤坂・新宿等で営業する流行り言葉の夜の街ではない)を設ける意図がありました。しかし、コロナウイルス拡散の影響で残念ながら断念することになりました。

 受験や就職のために取る資格だとしたら「止めとけ!止めとけ!」と言いたいです。今や超便利な翻訳機があるじゃないですか!英語産業をもうけさせる必要はありません。

 英語検定制度は、戦後に英語の学習熱が (「「戦後始まった『ラジオ英語会話放送』の黎明期」〈2014年11月3日〉参照) 盛り上がるにつれて、文部省(現文部科学省)と戦前から受験生を対象にした学習参考書を発行していた旺文社の外郭団体が設立した制度です。このことについては、全く色あせてしまいましたが、いずれ、松本亨と英友社に併せて書かせていただきます。

「GoToトラベル」って一体何語?

日本人1:「あなた日本語止めますか、それとも日本人止めますかって言いたくなるのが上記の観光旅行推進標語ですけれどね!私はカタカナ英語をインチキ英語と言うのですが、どう思われます?」

ガイジン「インチキというのは、いかさまということですか?GoToって五島さんのことですかね。まさか強盗のことではないでしょう」

日本人2「英語の "go to" つまり『~へ行く』という意味らしいのですよ。アルファベットの大文字と小文字を組み合わせて、そしてインチキなカタカナ英語をくっつけて、誰が考えたのか、意味不明の、国籍不明のこの前書いた『アラート』同様の言葉ですよね。日本人の知性の幼稚さが計れまよ……。でもコロナウイルスの感染がまた広がり出したら、『アラート』ではなく『警戒』とか『警報』にフリップの文字が変わりましたね……」

注:フリップ/ flip chart=図表、図解。自覚しなかった落とし穴でした!便宜上、カタカナ英語のフリップを使用します。

ガイジン「テレビ画面に紙芝居のようにフリップが使われます。テレビの画面に紙芝居を見せるのは日本独特かもしれません」

日本人1:「カタカナの『アラート』では緊急性が伝わらないのでしょう。新聞やテレビの大手マスメディアが意味不明の『GoToトラベル』をそのまま表示する日本人は、義務教育をまっとうに履修しているのか、と皮肉りたくなります。12歳の子供程度の知性を立証しています」

ガイジン「後のトラベルは英語の travel でしょうね」

日本人2「そうだと思いますよぅ」

ガイジン「発音が全然違いますよね。日本人には分かるのでしょうか。でも、なぜ旅行と言わないのでしょう」

日本人1:「私も不思議です。『旅行は旅』とも言うし、上の推進の言葉は『旅行しよう』とか『旅に出よう』とか言った方がずっと分かりやすくて現実的だと思うんですが……」

ガイジン「第一英語で go to… と言ったらwhere? と目的地を言わなければおかしいです。例えば go to school のようにね。また travel の意味は旅行ですから、go to の目的地が旅行というのはおかしな話です。ただ逆にすると『 go to=行く』『トラベル=travel=旅』で『行く旅』という英語的日本語になりますよ。主語が無いので、例えば "I go to school." のようにしなければ英語になりません。ほら中学校の英語の授業で習った『SVO』の形です。でも何で英語を使ったのでしょうかね

日本人2「まあ、日本人が英語を学ぶのはそもそも無理なことだと思いますよ。最近やっと分かったことで情けないです。日本人にとって言葉は文字の遊びではなく『お遊び』のようです。言葉の原点は音声であるという認識がないのですね……」

ガイジン「漢字のような『視覚文字』とアルファベットのような『表音文字』をごちゃごちゃにしているからじゃないですか」

日本人1:「『意思疎通』か『コミュニケーションか』?」 (2015年6月23日) の表題で以前投稿しましたが、言葉は人間同士が交わす「コミュニケーション」の手段ではないのですよ。英語はあくまでも異文化、つまり外来または舶来の洋服それも女性服のファッションような物なのです。ですから、自分の好みに合わせて好き勝手に変えてしまうという、欧米人の常識からすれば何とも無節操な感覚で受け取っています。マッカーサーが言ったように a boy of twelve years old です」

ガイジン「もともと日本語には文字がなかったようですね」

日本人2「そこで中国から漢字を導入したんですけれど、中国語の文法も発音も大和言葉と全く関連がないので、いろいろと無理が生じたようです……。それを何とか乗り越えたので、それに味を占めて、インチキ英語のカタカナ英語の氾濫を招くという副作用が生じています」

ガイジン「漢字を輸入してまずカタカナを作り、それからひらがなができたようですが……」

日本人1:「日本語の遊びに駄洒落というのがありますけれど知ってますか」

ガイジン「欧米語には駄洒落のような言葉遊びはありません」

日本人2「前に言った言葉で『和魂洋才』というのがありますが、これは昔『和魂漢才』と言っていた『漢』を『洋』にすり替えただけのようで、最近になって知ることになりました。また『開いた口が塞がらない』という表現をご存知ですか」

ガイジン「すごくびっくりして口がポカンと開くという表現じゃないですか」

日本人2「そうそう、その通りです。私たちも最近はその表現にぴったりすることばかりで情けないですねぇ」

日本人1:「最後に『GoToトラベル』を発案した張本人が分かりましたので、ここにこの会話を締めくくらせていただきます。広報を担う内閣官房の担当者の説明は以下の通りです。ご清聴ください……『Go も to も travel も、大半の日本人が知っている英単語。伝わりやすさを重視した結果です』命名の理由については『多くの国民に旅行しようという気持ちを共有していただき、機運を盛り上げたい。そういう思いが込められています』

日本人2「12歳の知性とインチキ英語を見事に合体させた内閣官房の現官僚の恐るべき発言と実像です。日本人を止めたくなりますよね!」

I was flabbergasted by the comment of the government official!

 

 

 

 


井の中の蛙の幼稚な国ジパング

2020年06月11日 | Weblog

太平洋した東の再果ての衰退が続く、袋小路に入り込んだ、極めて幼稚な民族が居住する、離島ジパングからの報告です...

 かつて、故田中角栄総理大臣が『日本列島改造論』(1972年・日刊工業新聞社)という書を上梓し話題を呼びました。1972年自由民主党の総裁選を控え故田中角栄氏が発表した政策綱領を著した書です。しかし、コロナウイルスが世界を席巻しているいる今、日本列島どころか世界の改造を迫られているのが偽らない現状でしょう。そして前回、差別が広がる世界の状況について述べると書きましたが、日本の現状を見る限り、世界どころか足元の日本の方に問題があり、例えば、NHKの黒人差別に関する報道動画が批判されて、即時削除されるという、相も変らぬ「井の中の蛙大海を知らず」的事態を招くこの国には時期尚早であると考え、今回は撤回しまたの機会に順延です。

経済は一流、政治は三流

信じられないでしょうが、日本を評して「経済は一流、政治は三流」とか言われたことがありました。今は「経済は二流、政治は変わらず」に落ちぶれました。しかし「経済は二流、政治は変わらず」で留まれるのでしょうか?現状をを見る限り「経済は三流、政治はゼロ」になりつつある、と思うのですが、と言うよりも現実にそのようになっています。アベノマスクの発想に見られる政・官・民の癒着、これまでたびたび指摘しているNHKや、今やっと俎上に上がった電通に見られる日本の報道・広報機関の独占、かつては、日航・国鉄・電電公社等々、枚挙にいとまがありません。

 また「日本の常識は世界の非常識、世界の常識は日本の非常識」と言われていたのが帰国した当時です。かつて携わっていた出版界には、日販・トーハン(東販)という二大取次店(名目は販売会社で非上場)が日本の零細出版業界を取り仕切り(現在も)、その取次店の大株主は、一握りの日本の大手出版社、例えば、講談社・小学館・文芸春秋社・カドカワ(角川書店)・集英社(元々小学館の子会社)などが業界を取り仕切っていて、全く信じられないような零細出版社に対するいじめに似た差別と非常識が横行しています。

 日本の英語産業に勝るとも劣らない状況を延々と継続しているのです。鎖国体制そのままの江戸時代に酷似した状況です。それに風穴を開けたのが、アメリカからやって来た黒船ならぬ「アマゾン」です。その「アマゾン」も、アメリカや世界では(いわゆるGAFAまたはGAFAM) 、独占的商行為が批判されています。結局のところは、地球上に生息する生物のオスの本能に由来する人類に付きまとう現実が問題となっているのです男性優位社会が生む人類の悲劇:(その2)オスの縄張り争いと女性の隷属2019年06月28参照)

 お人よしの一部日本人には理解しがたいでしょうが、繰り返しますが、維新以前つまり江戸時代を彷彿させる非近代的な仕組みが日本の実状です。まず、お上・官僚(政府)が国の事業を(アベノマスクなど)発注し、入札または無入札で受注する大企業(電通のような)という元請けがあり、それを下請けする(中・小企業)があり、それをさらに請ける孫請け(小・零細企業)があるという具合で、その間に受注額(税金)が中抜きされるという、現在国会で問題となっている事態が日本の商習慣として公然と行われています。

思考が停止したままの侍ジャパン

一部日本人の幼稚な男性(侍とも比喩される)の思考(mentality)の性向は、申し訳ないが、家畜化あるいは社畜化され(家畜化された日本人2018年05月27日参照) 自主判断能力が著しく劣ります。第一に、昭和・平成・令和などの年号(ばっかじゃなかろうか?2018年06月01日参照) を温存、非効率なバカ丸出しの制度を継続させています。前回投稿した(「英語がぺらぺら」という魅惑の言葉2018年05月27日参照) 小池都知事による意味不明の造語東京アラート」も、日常的に日本を代表する各テレビ局でアナウンサーによって斉唱され、またテレビ画面に表示されています。10年以上も前、2008年10月18日に「『社長の肩書は恒久的なのか?」と題して投稿しましたが、それから一分一厘も違わない日本のマスメディアの在り方に、当時も述べましたが存在する意義が問われます。過去も今も経歴詐称に問われている日本のテレビ局の表裏を知り尽くしている元キャスター小池百合子氏の術中にはまり込んでいるとしか思えません。

 やはり以前投稿した、現フジ・メディア・HDのロゴ(logotype)が、女性の陰部を戯画化した落書きに似ているという一時、インターネット上でも確認された(現在は削除されている)衆人が認めている恥辱的事実にも反応がありません。ロゴとしても稚拙で(日本は紋章など世界的に優れた意匠の発案で知られている)全く恥ずかしい限りです。日本のマスメディアの知的程度が問われているのに全く無反応ですこのロゴを見るのは気持ち悪いので、私は地上波のフジテレビ放送の視聴はNHK同様避けています。

 「馬鹿に付ける薬はない」という諺がありますが、世界の三大バカオス「トランプ大統領・習主席・プーチン大統領」用に取り置いていた諺を今回使う羽目になりました。残念ながら、上記の諺は、現日本人の男・女の多くに適用されるのではないかと無念の至りです。以前投稿した「どんげんかせなあかん2019年06月28〉を参照していただければ幸いです。日本の民主主義は欧米形式の舶来品、というお寒い事情から、形は欧米式でも実情または思考は江戸時代という、身につかない「和魂洋才」で、お茶を濁して終わるのです。

 次回は、この点をさらに掘り下げた、時代劇「チャンバラの世界」に今もって棲む、日本人の男尊女卑・女性蔑視の負の精神世界についてです。

Do you know what "CHANBARA" mean? So long, friends.

 

 


「東京アラート」か「東京警戒態勢」か?

2020年06月08日 | Weblog

太平洋に面した東の再果ての衰退が続く、袋小路に入り込んだ、利権・忖度どっぷりの離島ジパングからの報告です...

「東京アラート」とは何ぞや? 「東京警戒態勢」ではいけないのでしょうか?「チョイス」と「カオス」と「エール」って何?(2020年3月09日) は、この前投稿したばかりですが、前回述べた、カタカナ語にぺらぺらの小池東京都知事ですから、「東京アラート」という造語をテレビの映像を通して臆面もなくまき散らしています。「アラート」は小池東京都知事専用用語なのか「大阪アラート」や「神奈川アラート」は聞きません。この前決まった駅名「高輪ゲートウエイ」に勝るとも劣らない、私から言うと、西洋(英語)礼賛/西洋(英語)隷属の卑屈な命名でしかありません。

カタカナ語のアラート[arato]=意味無し。英語の alert[ələ́rt]=a situation in which people are watching for danger and ready to deal with it =[訳]警戒態勢(OXFORD現代英英辞典)。左記カタカナ語の発音と英語の発音記号に注目してください。

舶来」または「舶来品」

「舶来」または「舶来品」とは、外国から船で運ばれて渡来した、または物ですが、前回投稿した「英語がペラペラ」は、西洋から渡来した言語に対する憧れの象徴です。「舶来品」という言葉になじみのない現代人にも「ブランド品」と言えばお分かりになるかも...…。

 日本人を第二次世界大戦敗戦後以来、魅了してきたブランド品のごく一部を記すと~、チェックで有名なバーバリー(Burbery) 、バッグのルイ・ヴィトン(LUIS VUITTON) 、香水はシャネル(CHANEL) 、酒類はブランデーのレミー・マルタン(REMY MARTIN) 、スコッチウイスキーのジョニー・ウォーカー・黒(JONNIE WALKER BLACK) 、男性腕時計ではロレックス(ROLEX )、車はスポーツ車にフェラーリ(Ferrari)、高級車のロールス・ロイス(Rolls-Royce) 、乗用車はメルセデス・ベンツ(Mercedes-Benz) 、等々…...。代理店制から平行輸入制に移行するまで、日本人はべらぼうな金額を払わされていました。

カタカナ語も舶来品の一種です。「共同住宅」より「マンション」の方が、絶対に「CHANEL」のような高級な西洋の香りがします。戦後の貧しい時期を乗り越えるために、母親が賄い付きの下宿「折登荘」を始めました。帰国後、母に相談されたのが「折登荘」を「折登ハイツ」に改称するというのです。母親の性格を知っている私は「良いんじゃないの」と答えました。その後、共同住宅を数棟経営するまでに成長(汗と努力の結晶)させましたが、「10年一昔」、「20年は二昔」 以上でした2013年12月20日)で述べたように、当時の三重野日銀総裁と大蔵高級官僚の政策により根こそぎ持っていかれました。経済犯罪に匹敵する暴挙と書きましたが、池袋の乗用車の暴走による殺傷、賭け麻雀の黒川検察検事長など、上級官僚にはお咎めが甘く、日本の劣化を増長させています。

西洋人(白人)に抱く劣等感

歴史をさかのぼれば、アメリカがぺリ—提督(Commodore M. C. Perry)を派遣し江戸幕府に鎖国政策の放棄と開国を迫ることに始まり、第2次世界大戦の敗戦によるアメリカ軍の占領という現実が寄与している、と私は思います。江戸時代には、察するに巨大な大砲を装備した艦隊・黒船、日本人に比して体格の違い・容貌に圧倒されたに違いありません。戦後は、少なくとも私は、背が高く赤ら顔で出っ尻の、活発に動き回るアメリカ兵を、子供心にも羨望のまなざしで見ていたものです(「戦後始まった「ラジオ英語会話放送」の黎明期2014年11月03日参照) 。今、全米で差別で問題になっている黒人の兵は、どういう訳か少なかったように思われます。

当時アメリカ兵は GI (Government Issue=軍支給) と呼ばれ、また、都内基幹道路の十字交差点で、派手な手振り身振りで交通整理をするのを、現在の大道芸を見物するように、私を含む日本人は交差点で立ち見したものです。戦争孤児や子供らは「ギミ、チョコレート、チュ-インガム」と声を上げてアメリカ兵の後を追いました。戦争で荒れ果て貧困に苦しむ地では、同様の光景は今もって世界のどこにでも見られます。

日本の降伏によって、アメリカのマッカーサー総司令官が率いる連合軍(アメリカ・イギリス連邦軍〔イギリス・オーストラリア・ニュージーランド・インド〕・ロシア・中国)が日本に進駐してきました。軍人と言えば日本の軍人しか見たことがないので、少なくとも私には新鮮でした。着用する軍服と帽子がそれぞれ国によって異なり、さながら軍服のファッションショーを見るようでした。中でもオーストラリア兵の帽子は、あごひもを掛けるカウボーイハットのようなものを斜めに被り、粋な印象と同時に背の高いオーストラリア兵によく似合いました。

人間の男の身長の高さは、容貌以上に魅力を感じさせるようです。あるオランダの学者によれば、アメリカの大統領選挙に関わる調査と研究で、背が高い候補は他の候補より指導力やコミュニケーション能力があると見なされ、有利であることは説明できるそうです。一方で、女性候補の身長は、強い指導者を求める有権者にとって「身体的脅威」と思われないのだそうです。つまり、男は身長が高い方が強く偉く見え、女は美人の方が利口に見えるからということでしょうか。「ハッハッハー

戦後、画家や彫刻家など芸術家と呼ばれる人たちは、パリ祭(7月14日)の日に都内に会場を設け、憧れの芸術の都パリへ行ったことのない、また行けないうっぷんを晴らすかのように日本でパリ祭を祝う(?)のでした。しかし、何故か腰みのを着けて裸踊りを披露していました。

明治時代には西洋人は異人さん

毛唐(差別適用語=毛深い外国人の意)とも言いました。通商と交易が盛んになった港町の神戸と横浜には外国人または西洋人の洋風住居は異人館・山手西洋館と呼ばれました。横浜の山手には外人墓地が在ることでも知られています。だが、第2次世界大戦時には、敵対した相手を鬼畜米英 (人)と呼んでいました。英語は鬼畜の敵国言語ということで使用を禁止されました。ところが一転戦後は、アメリカ人の間で笑い話になるような怪しい和製英語とカタカナ語が氾濫する様に、理性とか節操とかは芥子粒のように吹っ飛んでしまいました。一部日本人のご都合主義です。

横浜の外人墓地から見る山下公園と港を、折りたたみ画架を担いで油絵の具で現地写生し、確か毎日新聞社主催の全国高校生を対象にしたコンテストに出品し、最優秀賞を受賞したことがあります。古いモノクロ写真はあるのですが残念ながら再生できません。

 日本語の異人とは、一般に、異国の人・異邦人・西洋人などを指しますが、「異人さん」と言えば普通は西洋人です。英語で外国人は、outsider, stranger, alien (空港で見かける語) など…。

 日本の知識人(?)はカタカナ語を多用するように、アメリカの知識人はラテン語を多用すると言われます。かつて購読していたTIME 誌は、対抗していた Newsweek 誌に比べ、ラテン語由来と思われる英単語が多用され文章もひねくっていて、内容によっては難読した経験があります。最近、CNNなどの報道で "quid-pro-quo" と言う表現が盛んに飛び交いました。何語かと思い調べた結果ラテン語の「報酬、見返り」の意味だそうです。安倍総理への「忖度」のようなものです。

情けない日本のマスコミ

小池百合子東京都知事の造語「東京アラート」を各テレビ局ではそのままニュースで流しているのには、日本の報道機関として、視聴者に対しての責任と良識と判断力が完全に欠落していることを、毎日まざまざと見せつけられています。NHKの番組が「ニュース7(セブン)」「チョイス」を公にしているのと変わらない「カタカナ語」に隷属という、日本語に対する自覚と自浄能力を自ら放棄している証拠です。かつての粉飾だらけの「大本営発表」の悪夢を呼び起こさせます。

 かの国のトランプ大統領の大ウソつき(大ぼら吹き)が、現在の黒人差別と警官の暴力行使による反対運動が契機となって、やっと批判を浴びるようになってきました。次回は、コロナウイルスが端緒となって世界に広がるいろいろな差別について話したいと思います。

Till then friends!

 

 

 

 

 


「英語がぺらぺら」という魅惑の言葉

2020年05月27日 | Weblog

太平洋に面した東の再果ての衰退が続く、袋小路に入り込んだ離島 ジパングからの報告です...

ポン引きまがいの甘言「英語がペラペラ」に釣られるのでしょう、「ペラペラ」まがいの勧誘広告が後を絶ちません。「なぜ TOEIC 対策をしても英語がペラペラにならないか」という見出しで、先日、PRESIDENT Online に投稿された記事がありました。続けて、「900点超えでも英語で電話予約すらできません」 とあります。以下は「リニューアルオープン」 か 「新装開店」 か?・「意思疎通」 か 「コミュニケーション」 か?に続く、半世紀はおろか際限なく続くであろう 「日本人の英語バカ」 を検証するのが今回の 「噺 (はなし)」 です「英語バカ」 にならないようにしましょう2007年11月17日参照)

魅惑の言葉「英語がペラペラ」

カタカナ語同様「英語がペラペラ」というのは、日本人の耳をくすぐる魅惑の言葉でしょう。「英語を流暢に話す」というのは「英語がペラペラ」ということでしょうが、ヨーロッパ語の「フランス語やスペイン語がペラペラ」とか、隣国の「中国語や韓国語がペラペラ」とかはあまり聞きません。大抵は、フランス語やスペイン語あるいは中国語や韓国語に堪能である、フランス語やスペイン語または中国語や韓国語に精通している、のように表現されるようです。ましてや、カタカナ語がペラペラとかカタカナ語に精通しているなんて、冗談にも聞いたことがありません。

ただ、カタカナ語に精通(?)していると言えば、小池百合子現東京都知事が最適任者かも……。彼女は、都内のコロナウィルス感染の状況を「東京アラート」と言い、 TV上で毎日報道していますが、五月になると、氏発案の「クールビズ」の時節になったと、ご満悦の様子でした。

 「日本語がペラペラ」とか「日本語を流暢に話す」というのは、外国人に対しての表現であって、私たち日本人に向かって言うことはありませんよね!よく「日本語を流暢に話す」というのは、外国人に対して使われる表現で、「日本語がお上手ですね」と言うのが普通でしょう。「日本語がペラペラですね」と言えばくだけた表現になりますかね。

そもそも「ペラペラ」という表現は、デジタル大辞典(小学館)によると1.軽々しくしゃべるさま。2.外国語をよどみなく自由に話すさま。3.続けざまに紙をめくるさま。4.紙や布が薄くて弱いさま。とあります。日本人がこだわる「ぺらぺら」というのは、2.の外国語をよどみなく自由に話すさまで、1.の軽々しくしゃべるさまではないでしょう。

 なぜ日本人は「フランス語がペラペラ」よりも「英語がペラペラ」という言葉に惹かれるのでしょうか。私は日本人の戦後の「ガイジン(アメリカ人)コンプレックス(劣等感)」にあると思います。それを裏返すと「白人(西洋人)に対する劣等感」にあるでしょう(「「外国語が話せず怖かった」 は「饅頭怖い」とは違うようです2018年10月30日参照) 。

ガイジン=外国人。帰国した当時、「ガイジン」は、現在の「リニューアル」同様一般化されていました。欧米人(白人)と「ガイジン」は同意語化し、外国車(輸入車)は「ガイシャ」でした。ニューヨーク市在住時代、妹が訪ねてきたので市内を観光案内したら「あっ、ガイシャが走っている」と言いました。最近は、両者ともあまり耳にしませんよね…。「リニューアル」も、同じ道をたどってほしいのでけれど!

日本人が一般にコンプレックスと言っているのは、劣等感 (inferiority complex) のことで、英語の complex には劣等感の意味はありません。complex 自体は、複合体、強迫観念等の意味があります。これもカタカナ語より、より正確な訳語の「劣等感」にすべきでしょう。

伝統的に男がペラペラしゃべるのは男尊女卑社会で職人気質を尊ぶ日本では、上記1.にあるように軽薄なさまと見なされてきたのが日本の文化です。「しゃべり=話術」を職業とする人々(落語家・漫才師・お笑い芸人・講談師・腹話術師等々)は別格または例外とすれば、主に行政・立法を司る政治家にも話術は適用されるかもしれません。ご承知のように、政治家は論陣を張ったり、立案する政策や政見を議会では議員に、選挙時には有権者に賛同してもらう必要がありますから、いわゆる弁が立たなければなりません。

昔、映画がまだ無声の時代、弁士と言われる人物が、スクリーンに映し出される画面の横に立ち、声色を使ってせりふをしゃべったり状況の説明をしました。今は、ラジオやテレビのアナウンサーも「しゃべり」の職業人でしょう。

安倍総理もペラペラしゃべる政治家でしょう。かつて元国会議員の田中真紀子氏が安倍総理を「腹話術師のようにぺらぺらしゃべる」と評したそうですが、確かに総理の言葉は他人事のように軽いですね。

おしゃべりには個人差がある

言葉をぺらぺらしゃべる、いうのには個人差があることはお分かりと思います。お笑いタレントと言われる明石家さんま氏は、けだし、日本語をぺらぺらしゃべる達人でしょう。私は無口ではないが、お世辞にもペラペラ型ではありません。ただ、日本語より英語の方が話しやすい。なぜかと言うと、日本語は周りの状況または話す相手によって話し方や内容を変えなければいけません。例えば~、社長・上司・部下・政治家・弁護士・教師・医師・先輩・後輩・女性・社長/上司の奥さん~・スナックのママ・上級国民・幼児~、延々と続きます。

 前に述べたことですが、日本について意見を言ったり批判をすると、悪口を言ったとか怒ってるということになり、つまり客観的または率直な意見が言いづらい社会環境があるので、常に言葉を選ぶ窮屈さがあります。下手に意見を言うと村八分されますから恐ろしい…。コミュニケーションが不毛の地ですから。その点、英語を話す社会は(もちろん全て許容されるわけではありませんが)楽です。でも間違っても英語もどきや幼児英語(「英語もどき」の英語とは?2008年10月09日参照) 、(幼児英語の氾濫に歯止めが掛からない2008年08月08日参照) で話すのではありません。

性差もあるでしょう。一般に、男性よりも女性の方が「しゃべり」では上です。

以外にも、アメリカ人も英語ならぬ「フランス語がペラペラ」に対する劣等意識があります。美術学校に留学中、ある日、男性カナダ人学生にすらりとした魅力的な同邦の女性が訪れてきました。校内食堂で二人がフランス語で会話に熱中していると、周りのアメリカ人学生はシーンとしてしまいました。ぺらぺらのフランス語に対する劣等意識です。思わずニヤリとしてしまいました。同様に古い話になりますが、一時、ニューヨークでイギリス人女性を秘書として採用するのが流行りました。理由は、電話口でイギリスアクセントで応対するのが、今の言葉で言うと「カッコイイ」ということです。

「英語がペラペラ」になると言っても、あなたの候補は、アメリカ英語のペラペラですか、それとも上記のようにイギリス英語のペラペラにしますか?またはオーストラリア、ニュージーランド、アイルランド、フィリッピン、インド英語にしますか?日本のいびつな英語教育は、言語の原点である音声よりも文字による学習が中心になるので、実生活では使いものになりません。イギリス英語もアメリカ英語も地方によって発音が違いますから、覚悟がいります。

教材無しで音声だけによる外国語の指導は非常に難しい。どの国においても、既に母国語の読み書きができる多数の生徒を相手に、外国語教育を行うには教師の能力が問われます。日本において、英語のアルファベットの発音自体が正しく教えられているのでしょうか。例えば "O" の発音はローマ字発音の「オ」ではなく「オー」です。以前述べましたが "OPEC" は「オペック」ではなく「オーペック」です。

音声主体の英語を指導できる教師の確保が難しいので、教科書を用いる文字の指導が優先されるのはそれが原因です。しかし検定英語や入試英語が主体になっては本末転倒です。言語の存在や目的は人間同士のミュニケーションを可能にすることです。ましてや、外国語それも文化圏が異なるのですから、私の経験からも教師側の能力が問われます。現在、コロナウイルスによる感染を防ぐためマスクを着用し 「ソーシャルディスタンス」 (社会的距離) を確保するよう奨励されていますが、社交下手な日本人でも社会的な分断を招くということで、現在は「フィジカルディスタンス」 (身体的距離) という言葉を用いているようです。

中南米諸国の多くがスペイン語圏になったのは、スペインの植民地支配によるものですが、日本がアメリカの植民地になっていれば、英語もどきのカタカナ語ではなく本物の英語(?)が話せるようになれたかもしれません。英語国の植民地になって「英語がペラペラ」になりたいですか?

たとえ英語がペラペラになったとしても、相手に英語をぺらぺらしゃべられて聞き取れますか?絶対に無理だと思います。そんなことにも思いがいかないとは...。いわゆる natural speed で話される英語を聞き取れるようになるには、かなりの時間と慣れが必要です。知り合いに横須賀市出身の女性がいました。基地のアメリカ人の natural speed の英語を彼女が聴きとった通りを再生してもらったことがありますが、なるほどね…と思いました。その二つを紹介しましましょう...。

  1. オットマロヨー 2. サラダベッチ 3. トロリコトロリコザート

  natural speed 英語で何と言っているのか分かりますか?私の父が、昔シアトル(Seattle)市にあるワシントン大学(University of Washington)に留学したと以前述べましたが、やはり聞き取りに苦労したと話していました。3. は父が聞き取った下宿のおばさんに言われた英語です。答えはこの文の最後にお教えします。英語に限らず natural speed (日常話される自然な速さ) で話される外国語を聞き取れるようになるにはかなりの日時を要します。

映画などイギリス英語の会話を完全に聞き取るのは私は苦手です。対面では問題ないのですけれど…、つまり慣れです。

 ミラノ(Milano) 滞在も一年近くになり、イタリア語もいくらか話せるようになっても、 natural speed の会話の全ては聞き取れなかったのが私の経験です。そういった苦い経験から「意思疎通」か「コミュニケーション」か?(2015年06月23日) で紹介した下記「アメリカ口語英語」の教材を生む原動力になったことは、「英語と日本人 なぜ英語ができない」 (船田秀佳名城大学教授/折登洋共著) の著書でも述べました。

アメリカ口語英語〈発音とヒヤリングの演習〉・正編 (Real American Pronunciation)』(1980年、Gregory Stricherz著)

Café the Gallery を始業の折には、上記教材と『書く英語・基礎編』を基本教材として 使用を予定していました。

世界中のどの言語でも、natural speed の会話を満足に聞き取れるようになるまでには、その言語を学ぶ者にとって、共通する課題と言えるでしょう。「机上の空論」という使い古された言葉があります。TOEICや英検などの資格試験は、つまるところは「机上の空論」で、受験料をぼったくられるだけで、頑張って、机上のペラペラにになっても、 TOEICで高得点を取っても、実際に用を足せるためには別の努力をしなければなりませんよね。その努力とは自分自身で探りましょう!独学のすすめ2007年10月15日参照)

The answers to the above three problems are:

  1. What the matter with you?
  2. Son of a bitch.
  3. What do you mean by that?

I'll see you Guys again!

 


男性優位社会が生む人類の悲劇(その3):コロナウイルスが変える?

2020年05月10日 | Weblog

太平洋に面した東の再果ての衰退が続く、袋小路に入り込んだ離島ジパングからの報告です...

コロナウイルスによる被害は世界中に広がっていますが、今のところ終息る兆候がまだ見えません。私から見ると、核戦争による放射能被害に代わるウイルスによる被害が生み出した、第3次世界大戦の様相を呈しているように思えます。現状は第2次世界大戦中に、アメリカ空軍の爆撃機 B-29による本土空爆が激しくなるにつれ灯火管制が厳しくなり、家から明かりが漏れないよう裸電球に笠をかぶせ、息を潜めて空爆が過ぎ去るのを待っていたような状況を思い出します。世界における経済的損失は甚大なもので、1930年代の世界大恐慌を想起させるという経済評論家もいます。

これまで20年以上にわたってデフレーションにあえぎ、有効な手を打てなかった縮小一方の日本の経済は壊滅的な状況です。安倍総理も黒田総裁の日銀(典型的な男社会)も、何のデフレの解決策を打ち出せず、マイナス金利のような消極的な方策を施行、加えて、麻生太郎氏のような、脳みそにカビが生えている男を財務大臣に据えているのでは、国家の破綻を助長するだけです。自分の財布から金を払うかのように出し惜しんで、今の危機状態に応じる柔軟な方策を講じる気配もありません。

現状は、建造物や工場の破壊のない世界経済大戦と見なし、大量の武器・兵器の製造費用に必用な財政支出を惜しんでは駄目です。これまでの日本のみみっちい経済政策から脱皮する好機です。私が見る今の日本の安倍政権には無理と分かりつつも、なけなしの知力(ゼロに等しい)と大胆な政策を集中して、臆病な政・財界人や官僚どもが唱える財政再建とかやらを蹴散らすべきです。日本政府は経済を拙速なやり方で崩壊させました。上級国民と化した商いを知らない政・財・官の連中がたむろする男社会の末路です。

前回、前々回にわたって(「男性優位社会が生む人類の悲劇(その2):オスの縄張り争いと女性の隷属」〈2019年06月28日〉参照) 、(「男性優位社会が生む人類の悲劇(その1):人類の繁殖と侵略」〈2019年05月12日〉参照)えてきましたが、男が取り仕切ってきた世界の情勢は、このたびのコロナウイルスの感染拡大で、変革を余儀なくされる状況ですが、その対策を協議する場には、相も変わらず、特に日本では黒装束の男がずらりと顔を並べる、私には何とも気持ちの悪い光景の連続です。特に、このコロナ騒動で頻出する、あの仮面のように無表情な習主席の顔です。スパイの親玉プーチン大統領のずる賢い顔と比較にならない不気味さがあります。人類が男優位社会から脱皮したときに、ウイルス問題も、もっと世界で共有した解決策が見いだせるでしょう。