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折登ひろしのGRAFFITI

日本人と英語と国際社会と、ちょっぴり料理について考える

Male and Female=雄と雌

2008年06月01日 | Weblog

動物の「雄と雌」="male and female" は、人間に当てはめれば 「男と女」、英語では "man and woman"でしょう。動物では heshe を使うときもあります。例えば、赤ちゃんが生まれたときなど、のどちらかを聞かれて答えるのに、 "It's a he."(だよ) とか"It's a she."(だよ) と言って答えます。

  さて、なぜこのような表題を選んだかというと、現在進行中のアメリカの大統領候補指名予備選挙を意識してです。民主党では、どうも、Senator Obama氏が民主党候補にほぼ決まったようですが、Senator Clinton氏にとっては全く予期しなかった結果でしょう。彼女の敗因は、油断があったと分析するマスメディアもあります。

  私にとっても意外で残念です。以前にも述べたように、私個人は、Clinton氏を支持していたからです。理由は、アメリカ社会にとって、女性の大統領を持つことは良い結果をもたらすと思うからです。先日、あるニュースによると、世界で女性が政治にかかわっている国の順位では、アメリカは以外にも30何位で、日本は90何位ということを知りました。上位を占めるのは圧倒的に Scandinavia(北欧)諸国です。

  以上の結果からも分かるように、アメリカは、私の経験から言っても、以外に男性上位の国です。男つまりは、本能から来るのでしょう、闘争的です。世界中で戦争を取り仕切っているアメリカは、ある意味で Macho Society(男社会) です。映画のWestern movies(西部劇)をご存じでしょうか。近年下火になりましたが、かつて、Hollywood の映画産業は、cowboy hat をかぶり腰に拳銃を吊った cowboy を主役にした映画をたくさん生みだしてきました。私が中・高生のころ、本当にわくわくして映画館に通いました。

  アメリカに住んでいたころは、テレビ映画の日本でもおなじみの "Rawhide" をよく見ていました。この映画によって、Clint Eastwoodさんがスターになりました。これらの映画を見ても分かるように、アメリカ人は男性優位の社会を好みます。また、アメリカは「銃社会」と一般に言われますが、その通りで、多くの家庭で銃を所持しています。短銃やライフル銃など複数の銃を所有している家庭もあります。私も、ニューヨーク郊外在住のそれぞれ異なった友人宅で、短銃とライフル銃を撃たせてもらったことがありますが、何と屋敷の中でです。それだけ屋敷の周りが広いわけですが、私は長年アメリカに住んでいたにもかかわらず、自分で銃を所有する気にはなれませんでした。

  アメリカ人は、しばしば 「自分の身は自分で守るのは当然の権利」 と言っていますが、事実は、アメリカの強大な武器産業を支援しているのではないか、と勘ぐりたくなります。アメリカが仕掛ける戦争の中身は、所有する武器や弾薬の在庫減らしや新兵器の試用である、と言う人もいます。

  いずれにしても、人間のは、闘争本能からか、性懲りもなく人間同士戦い続けています。また、『国家の品格』に戻って恐縮ですが、藤原氏は、「『戦争をなくす手段』になる」という項で、「美しい情緒は『戦争をなくす手段』になるということです」 とおっしゃっていますが、「ずいぶんナイーブなことを言っておられるなぁ…」 というのが私の偽らない感想です。藤原氏の言う 「美しい情緒」 は、前回、私の言った、「情操教育」に通じると思いますが、の闘争本能を抑制することのたやすくないことは歴史が証明しています。

  人間は、the most vicious animal on earth (地球上最も獰猛な生物)であると言われています。人間のは、武器を所有して以来、間違いなく最も危険な生き物になったと言えるでしょう。かつては、大戦があることでは多数淘汰されてきましたが、大量破壊兵器の出現によって大規模な戦争が不可能になり、は減らなくなりました。も減らなければ、生殖本能から人口が増えます。

  今、地球環境の維持から、CO2の削減が叫ばれていますが、本当は、CO2の削減より人間の削減なのでしょうが、そんな事を言う政治家や実業家はいません。政治家は選挙民の支持を失い落選し、実業家は金もうけができなくなるからです。地球上から人類を絶滅まではいかないまでも大幅に減らすことで、地球を元に返せば、現在地球が抱えている数々の問題は解決するのですけれどね…。では、どうやって人間を減らすかって?ここで言うのは、さし控えましょう。

  Senator Hillary Clinton氏が大統領選挙で敗退することによって、アメリカは、女性大統領が就任する千載一遇の機会を失することになるでしょう。かつて、アメリカでアメリカ人と同様の生活を送り、アメリカ社会の深層を知り、経験し、アメリカを愛した(今でも)私にとって、アメリカがいつまでも「闘争的な男性(雄)優位の社会」を維持することは、歓迎できません。しかも、Clinton氏は、先日、焦りからか失言をするなど、ますます女性大統領の誕生が遠くなりつつあるようです。

  ついでですが、現大統領の Bush氏は、アメリカの Munition Industries(軍需産業)と Oil Industries(石油産業)の後押しで大統領になったようなものです。典型的な Male Dominated Industries(男性が支配する産業)です。 ニューヨークで9/11事件が勃発したことから、彼は大統領を2期務めることになり、イラク戦争を仕掛ける格好の口実を見つけました。その結果、戦争の泥沼から抜け出せなくなったのはご承知の通りです。

 

 
 


国家の品格より個人の品格

2008年05月19日 | Weblog

ここまで、藤原正彦氏の著書 『国家の品格』 から英語に関する論評だけを取り上げました。私は基本的に、氏の 「日本の英語教育」 についての意見を、ご承知のように引用し肯定/賛同してきました。

  しかし、本書の核となる 「国家の品格」 については賛同しかねます。私には、「国家」 というものにあまり存在意義を持てないのです。国家というのは、おおむね権力者の所産にすぎないからです。日本は四方を海に囲まれて、本州4島を一つの国家としてまとめて考えるのはたやすいことです。だが、国境を接した大陸内の諸国を考察してみてください。
 
  最も卑近な例として朝鮮半島があります。かつては一つの国でしたが、今は二つの国に分割されていることは周知の事実です。ついこの前までは、ドイツも東西に分かれていました。アラブ諸国やアフリカ諸国では、植民地として支配してきた当事国によって、勝手に国境線が引かれ分割されて造られた国家も多数あるようです。それがために、その国から追い出された民族もいます。

  ドイツとフランスの国境を接した所に、アルザス=Alsace (英語/フランス語表示。Elsass=ドイツ語表示) という地域があります。ここは、ドイツとフランスの勢力争いのたびにドイツ領になったりフランス領になったりしました。この地域は古くから鉱工業が盛んな上、交通の要所でもあったために、両国はこの領土の獲得競争を繰り広げてきました。ですから、この地域の住民は、ドイツ語とフランス語を話します。その時の支配国によって、ドイツ語を話したりフランス語を話さなければならなかったからです (現在はフランス領で、この地域全体は、Alsace-Lorraine と表示するようです)。

  もし、あなたがこの地域に生まれたとしたら、ドイツ領のときには、ドイツ国家の品格を保つように心がけ、フランス領のときには、フランス国家の品格を保つようにしますか?そんな器用なことができますか?私はこの地域の住民に会って話を聞いたことはないので分かりませんが、国家の品格を考えるより、まず、自己の品格の方を考えるのではないでしょうか?

  藤原氏は、長年にわたって、アメリカや西洋(白人)に対するコンプレックスから抜け出せない日本人を励ますために講演を行い、 「武士道」 をからめて 『国家の品格』 として本ににまとめたのでしょう。しかし、例えば、アメリカについての記述など、かつて、日本の軍部がアメリカに対し無謀な戦争を仕掛けた時に持ち合せていた程度の認識しか語っておらず、これでアメリカに対するコンプレックスの解消に役立つとは思えません。

  日本の現状を考えるときに、個人の品格を優先させる方が賢明ではないでしょうか。義務教育における学力の低下を案じ、ゆとり教育に対する論議が盛んな折、学力よりも情操教育の重要性を作曲家の小林亜星さんが訴えていましたが、私も同感です。モラルや礼節の低下で殺伐とした昨今を見ると 、「国家の品格」 を論じる以前に情操教育の欠落をひしひしと感じます情操とは、ある辞書をひも解くと、「芸術・道徳・宗教などに対する複雑で高等な感情」 とあります。

  英語(白人)コンプレックスから来る、小学生に対する英語教育より、情操教育を優先させるべきであるということを強調してこの項を終えます。
 
念のためにもう一言付け加えると、子供に英語を教えることは、時間と金と労力の無駄です。子供は、覚えるのも早いが忘れるのも早いからです。

  次回は 「male and female=雄と雌」 です。

 

 

 

 

 


Hello, I'm back.

2008年05月03日 | Weblog

Sorry for the long absence.

 二ヶ月もご無沙汰してしまい、本当にごめんなさい。やっと体調を取り戻したので、中断したことを続けます。結果的に、運動不足が体調を崩した原因でした。夜更かしする出版社の編集者の職業病のようなものかもしれません。
  あまりにも中断が長くて、多くの方は何か気が抜けてしまった感を持たれるでしょうが、復帰したことで、 どうしても論評したい 『国家の品格』 について続けます。

  藤原氏は、本文中の小見出しに 「小学生に英語?」 と題し、「小学から英語を教えることは、日本を滅ぼす最も確実な方法です」 と、言っておられます。
 
  「日本を滅ぼす」というのは、ちょっと大げさに過ぎると思いますが (これは前にも書いたように、本書は講演が土台となっているので、大げさに言ったのでしょう)、将来英語を使うことが必須となる児童以外に、小学生に英語を教えるのは、愚かな教育方針であると同時に、時間と金の無駄使いであると私は思っています。
  言葉は常に使わなければ忘れてしまうからです。私がその典型でした。

  氏は続けて「表現する手段よりも表現する内容を整える方がずっと重要なのです。英語はたどたどしくても、なまっていてもよい。内容がすべてなのです。そして内容を豊富にするには、きちんと国語を勉強すること、とりわけ本を読むことが不可欠なのです」
 
  全くその通りで、特に読書に関しては、アメリカの大学卒の連中に対し、同じ大学卒でも、日本の大学卒は太刀打ちできません。よく言われていることですが、アメリカの大学では、在学中に、学生に大量に本を読ませ、頻繁にレポートを書かせるので、個人差は当然あるにしても、私が見る限り、日本の学生との文章力の違いはかなりのものがあります。

  英語と日本人 なぜ英語ができない」 でも述べましたが、英語で話すのでも日本語で話すのでも、話の中身が大切で、ぺらぺらと内容のない話をされても退屈するだけが関の山ですから。

  幼時から英語を教えるということは、頭脳が柔軟なうちに、ということで理解できますが、では、母国語である日本語はどうするのでしょうか。日本人は日本語という、幸か不幸か、世界でも孤立した言語を話しています。私は、不幸というより宿命であると思っています。それだけに、まず日本語をしっかり学ばないと、先にも書いた 「『日本語も英語もできない』とはどういうこと?」 になるからです。これも、私が経験した事でした。
  
  英語は、上記の書で詳述しましたが、Indo-European (インドヨーロッパ語族) の一族で、言うなれば、ヨーロッパの言語である、ドイツ語、フランス語、スペイン語などと姻戚関係にあります。英語を母国語とする人達は、幸いに、日本語と異なり、英語が世界で通用することから、あまりヨーロッパの言語を話すことに関心を示しませんが、教育のあるヨーロッパ人のほとんどは、英語を話します。それは、ちょっと努力するだけで、話せるようになるからです。
 
  これを一般の日本人がまねしようとしても、絶対に無理です(言語の天才以外は)!両親が日本人で、ヨーロッパで幼少時を過ごし、家庭ではしっかり日本語を話す訓練を受け、さらには英語国で学業を続けた特殊な環境に育ったような人は、数ヶ国語を話すでしょう。もちろん、語学の才能も上に述べたように条件に入ることですが、 「無い物ねだり」 はやめましょう。英語のように語学産業にもうけられるだけですから。

  このことについては、追い追い書いていくことにします。
 
  今日は、とりあえずここまでにしましょう。次回も 『国家の品格』 についてです。うんざりしますか?まあ、次回をお読みください!

   
 

 

 


Sorry, I caught cold!

2008年03月07日 | Weblog

ごめんなさい。風邪を引きました!
 
  年が変わってからあまり体調が優れないのに、今年は寒くて困ったなと思っているうちに、2月になってしまいました。私が一年で最も苦手とする月です。理由は簡単です。寒さに弱いのと花粉症に悩まされるからです。
 
  その結果風邪まで引いてしまいました。
 
  まだ、体力を取り戻すまでに数日掛かりそうなので、今しばらくこのブロッグをお休みさせていただきます。ただ、来週は寒さが緩むという予報があるので…
  
  The weather forecast says, however, we may enjoy spring like climate next week. I might be able to come back then.

 

 

 

 


「日本語も英語もできない」とはどういうこと?

2008年02月10日 | Weblog

先日、経済産業省の事務次官が、講演での発言で物議をかもしている、というニュースがありました。本人は後で 「言い過ぎた」 と謝ると共に、「講演なので面白おかしく言わないといけないと思った」 と語っています。
 
  前回の投稿で、『国家の品格』 について、私が、講演記録が基になっているので読みづらく退屈だ、というようなことを書きましたが、講演では、ある程度誇張したり面白おかしくしないと聴衆に受けないので、やむを得ない点がありますから、そこのところを差し引いて、今回は、予告したように、藤原氏が本書の中で述べている、日本の英語教育について共感できる部分を拾い出してみます。
 
  そのほとんどが、英語と日本人 なぜ英語ができない』 で主張した内容と合致するので意を強くしていますが、200万部以上も売れた本なのに、少なくとも英語に関することで、世間の反応が何も伝わってこないのは不思議です。
  語学学校のNOVAが破綻し、日常的に、テレビのコマーシャルが流れなくなったのだけは救いです。英語の投げ売りが止まったからです。それが影響したのかどうか、一時は毎日のように新聞の一面最下段の八つ割(業界用語)広告に掲載されていた、英語教材の宣伝もやっと止まってやれやれと思ったら、今度は、日本語の学習書の広告が花盛りです。
  「日本人は落ち着きがないなあ」 とつくづく感じます。おっちょこちょいなのでしょうか?すぐ乗っけられますしね!思考が一貫していないですし…。
 
  さて、藤原氏の発言で、英語学習者にとって最も重要で、傾聴に値すると思われる項目を、まず取り上げます。もちろん、『英語と日本人…』 では詳述しました。
 
  「日本人の英語下手の理由」に、1.英語と日本語はあまりに異なる、2.日本に住む日本人は、日常生活で英語を必要としない、ということです。
 
  次に重要な指摘は、ちょっと長くなるので、要約すると、小学校で英語を2、3時間勉強しても何の役にも立たない。週に10時間も勉強すれば少しは上達するが、それでは、国語や算数がおろそかになる。このような教育を中高で続ければ、英語の実力がアメリカ人の5割、日本語の実力が日本人の5割という人間になる。このような人間はアメリカでも日本でも使い物にならない。

  「アメリカでも日本でも使い物にならない人間」 というのは、私の経験から言っても、日本人は、大いに心しなくてはならない事です。昔も今も、アメリカに例を取れば、アメリカに渡った日本人で、日本人でもアメリカ人でも無い中途半端な人たちが相当数いるということです。こういう人たちは、日本に帰ることもできないし、かと言ってアメリカ社会にも受け入れられていない浮浪者のような生活を送っています。
 
   私が、アメリカに留学を希望していた時、アメリカ留学の経験のある、父親やその他の人たちから、「大学を出てから行け、さもないとどっちつかずの人間になるから」 とくどいほど言われました。
  それでも、外国に永住することを当然としていたせいか、意に反して帰国したときには、自分では自覚していませんでしたが、日本語をほとんど忘れていました。しかし、今、このように何とか日本語で文章が書けるのも、『英語と日本人…』 で述べましたが、大学まで日本で教育を受けたからです。
  次回も、この続きを書きます。

 

 

 

 

 


 
 
 

 


 

 

 

 


国家の品格は男の論理か?

2008年02月03日 | Weblog

やっと 『国家の品格』 を読み終えました。新書版で190頁程度の本を読み終えるのにえらく時間が掛かったのは、途中で、退屈で飽きてしまったからです。所々興味のある所を拾い読みしましたが、それでは感想を書けないので、時間が掛かりました。
  途中で退屈してしまった理由は、本書が著者の講演を基にしているからかもしれません。書き下ろしでないので文章に流れがなく、一貫性にも欠けているようで読みづらかったです。
  さて、読み終えての感想は、何か落語を聞かされているような気がしました。つまり、長屋で、ご隠居が、八っつあんや熊さんに話している感覚です。ご隠居が著者で、訪ねて来た八っあんや熊さん(読者)に、「国家の品格」を説いているのです。
  もう一つの印象は、黒沢明監督、三船敏郎主演による時代劇を見ている感じです。黒沢監督の時代劇は、大人(男)向けのおとぎ話を映画化した、と私は思っています。しかし本書とは異なり、それを感じさせず、多くの傑作を生み出しました。私の妻はあまり興味を示しませんけれど。女っ気が無いからでしょう。女性には「ベルばら」の方が受けるのかもしれません。
  男の論理を中心に書かれているのには閉口しましが、共感できるところも、そこここにあるので、我慢して読み終えました。この本が200万部以上も売れているというのは、『女性の品格』 同様、ただただ驚くばかりです。
  ネットで読んだ本書に対する論評でも述べられているのですが、救いがあるのは、藤原氏による冒頭の一節です。「いちばん身近で見ている女房に言わせると、私の話の半分は誤りと勘違い、残りの半分は誇張と大風呂敷とのことです」。男の論理に女性の視点が加わって、ほっとするのは私だけではないようです。
  それにしても、この本を買った人は、男性と女性とではどちらが多いのでしょうか?
  今回は、英語にかかわることは、何も書きませんでしたが、日にちが経ち過ぎたので、『国家の品格』 での英語に関する部分は次回にします。


 


 

 


英語の品格

2008年01月20日 | Weblog

『国家の品格』 という新書が、200万部以上売れたというので話題になり、それにあやかったのでしょう、『女性の品格』 という新書も、あれよあれよと言う間に、何百万部も売れたようです。
  英友社が昨年7月に出版した 英語と日本人 なぜ英語ができない』 も、書名を、 二番煎じでも 『英語の品格』 にしていたら、ひょっとして、ベストセラーの仲間入りをしたのではないかと、ひがみたくなりました。ということは、内容は別にして、表題や書名の重要性をまざまざと見せつけられた、ということです。
  ところで、品格とは、厳密にどういった意味があるのでしょうか?辞書を引いてみると、「品位、気品」と出ています。何とも味気ない定義だな~と思って、「」について、さらに辞書を引くと、「人や物に備わっていて、外部に現れてくる好ましい感じ」、「ものの良し悪しの程度」 のように出ていました。
  では、英語にも品格があるのでしょうか? 私はあると思います。例えば、手前みそになりますが、以前、このブロッグで紹介した 『書く英語・実用編』 は、正しい英語を書くための手引書、つまり、品格のある英語を書くための心得、といった内容になっていると思います。
  品格の無い英語と言うより、卑わいまたは汚い言葉でよく知られているのが、"four-letter word" です。cunt, damn, fuck, hell, piss, shit などで、意味が分からなかったら、ご自分で辞書を引いて確認してください。私たち日本人には理解しておく必要はあっても、まず使う必要のない言葉です。ただ、私が在米中、何かを間違えたり失敗したときに、「畜生!」と言う意味で、"Damn!", "Shit!" は、口をついて出ました。
  英語で、品格dignity が最もふさわしい語でしょう。私のこのブロッグは、goo に加入していますが、goo は、イギリスの経済紙 Finantial Times と提携しているようで、ネット (FT.com)上で記事を読むことができます。
  古い話になりますが、去年の3月9日の記事(By David Pilling)で、Pilling 記者は、『国家の品格』 の著者、藤原正彦氏を取材しています。この記事で、記者は、表題の 『国家の品格』The Dignity of a State と訳しています。国家を nation ではなく state としたのは、まず適訳と思われます。なぜか?と聞かれても、言語学者ではない私には、残念ながら明快な答は言えません。感覚的に、nation より state の方が重みがあるかな~という程度です。
  Thesaurus (類語辞典)をひもとくと、日本語の「国、国家」に該当する英単語は、country, nation, state の三つがあります。私だったら、state は思いつかず nation にしたでしょう。country は、国土という意味合いが強いような気がします。いずれにしても、上述したように正確には答えられません。
  実は遅まきながら、先月、『国家の品格』 を書店で買いました。理由は、本書の中に、「小学生に英語を教えるな」とか「英語より中身」といったことが書かれていると聞いたからです。それは、『英語と日本人 なぜ英語ができないで主張していることと合致しているので求めました。
  さて、この本、『国家の品格』についての感想は、次回に譲らせていただきます。

 

 


Prejudice, Discrimination, Terror and Assasination

2008年01月13日 | Weblog

上の表題を和訳すると、「偏見」、「差別」、「恐怖」 そして 「暗殺 」 という、少なからず穏やかでない言葉が四つ連なっています。
  

  その理由は?と言うと、今、アメリカ合衆国でたけなわの the race for the presidential nomination(大統領候補指名予備選挙戦)についての報道で、特に、the Democratic presidential nomination (民主党大統領候補指名予備選挙) についての記事を読むと、芳しくないこれらの言葉が私の頭に浮かんだというわけです。
  

  まず、prejudicediscrimination ですが、アメリカは人種のるつぼである、とも言われますが、それは、偏見と差別のるつぼである、とも言えます。その最たるものは、かつては、黒人に対するものでした。以前ほどではないとは言え、未だに根強いものがあります。
  ニューヨーク市のマンハッタンに住んでいたとき、目の前を通り過ぎる恋人同士と思われる若い黒人男性と白人女性を見た私のそばに居た白人の男が、「ああいう奴らを見ると頭に来る」 と言って、シャツをたくし上げると、ズボンと腰の間に短銃が差し込んであり、腰から抜くことはなかったが、ぞっとした経験があります。
  

  次に、terror ですが、アイオワ州で Democratic Party(民主党)の candidate(立候補者)、Senator(上院議員)Barack Obama氏 が、他の二人の Senator Hillary Clinton氏 と a trial lawyer(法廷弁護人)and a former(前)Senator John Edwards氏 を抑えて勝利を収めました。その状況を、テレビを見ていた主婦が、支援者に囲まれた Obama氏 が壇上に立って、勝者の演説をする前に、「見ていられない!」 と叫んで顔をそむけたというブロッグ記事を読みました。
  彼女が見ていられなかったのは、黒人候補の勝利に反感を抱いたからではなく、assasination を予測した恐怖です。かつて、"I Have a Dream" 「私には夢がある」 の演説で有名な Reverend Martin L. King Jr.(キング牧師)、と人権運動活動家・宗教指導者であった Malcolm X(マルコム・エックス)の二人の黒人指導者が assasinated(暗殺された)からです。
  

  これからの長い campaign(選挙運動)中に、どういった不測の事態が起こるか、私に限らず心を痛めている多くのアメリカ人がいることは、予想に難くないでしょう。白人でも、故ケネディー大統領の実弟 Senetor Robert F. Kennedythe Democratic presidential nomination の最中に暗殺されています。
  

  また、アメリカは、ladies first の国として知られていますが、意外に、女性蔑視の偏見が根強く残っています。
  1984年の大統領選挙には、アメリカに初めての女性副大統領誕生か、という時も実現に至りませんでした。Democratic presidential nominee(指名された候補者) だった Walter Mondale(カーター政権の副大統領、元駐日大使)氏 の running mate(副大統領候補者) として、史上初めて、女性の Geraldine Ferraro(後のアメリカ国連大使)氏が選ばれました。しかし、彼女が原因ではないでしょうが、Reagan大統領に惨敗を喫しました。
  黒人はおろか女性の大統領立候補者も、今回の選挙戦が史上初めてということは、これまでのアメリカが、いかに白人・男性至上主義者の国であったか、という証拠です。したがって、今年の大統領選で、もし、民主党の B. Obama氏 か H. Clinton氏 が勝利を収めたら、それこそ歴史的な出来事になるわけです。
 

  あくまでも私見ですが、私は、H. Clinton氏 の経験を買って、彼女を応援します。B. Obama氏 は、もっと国際経験を積んでからでも遅くはないでしょう。アメリカは、国際経験が皆無だった、Bush大統領を選んで失敗しています。 Obama氏 は、それにしても、声もいいし演説も巧みで、日本の政治家にその手法を伝授しに来て欲しいですね。
  英語の名詞の terror からは、現在世界を震撼させている terrorist(テロリスト)、terrorism(テロイズム、テロ行為)といった言葉が派生し、また、assasination の実行者は、危険な assaisan(暗殺者)です。
  このブロッグを読まれた方は、ぜひ、続きをネット上の英字新聞で、大統領選挙の結果が出るまで追ってみてください。あなたの英語の実力が向上すること請け合いです。
 

 


A Happy New Year!

2008年01月04日 | Weblog

新年の前に、このブロッグを投稿したかったのですが、やはり年末は何かと忙しく、謹賀新年の挨拶となってしましました。
  10月より細々と始めたこのブロッグですが、2008年も、英語にまつわるいろいろな話題をお伝えしていきたいと思っています。
  
  英語はだれのもの?
  この表題は、11月8日付、イギリスの経済紙 FINANCIAL TIMES のネット(FT.com) 記事 (By Michael Skapinker) の title を私が訳したもので、原題は、Whose laguage? です。 この記事はかなり長いので、私なりにかいつまんで記すと...
 
  英語は世界中に広まっているが、そのために、地域によって英語が変容していっている。つまり、native English speakers によっては眉をひそめるような英語が広まっているというのです。
  また、中国人を始め英語を学ぶ人口が増えるにつれ、non-native English speakers の数が、いずれ native English speakers の数を上回るだろうと言っています。特に、中国人の英語熱は加速しているようです。
  しかも、今日すでに世界では、中国語に限らず、スペイン語やヒンズー・ウルデュー語を母国語とする人たちが英語と同等の人数になっていて、将来、世界の国際語は、英語よりも、中国語やスペイン語やヒンズー・ウルデュー語、さらにはアラビア語になっていく可能性がある、とも記事は言っています。

  英語と日本人 なぜ英語ができない」でも述べましたが、中国語の文の構成は英語と似ているので、中国人にとって英語は比較的学びやすい言語です。さらに、中国語には、「四声」という、上げたり、下げたり、延ばしたりする四つの声調があり、中国人は言葉の音声に敏感な民族で、英語の上達が早いのです。
  私が何を言いたいのかというと、日本人は、外国語を学ぶときには、英語だけに偏らず、もっと他の外国語にも目を向けるべきだ、ということです。特に、英語の習得には、ヨーロッパ人や中国人に比べ、日本人は不利だからです。
  文部科学省や関連企業が、利権や金もうけに目がくらんで、国を挙げて英語を利用して、小学校の英語必修化などと言って、英語教育のカリキュラムの確立や指導者の育成をないがしろにしています。やっと目覚めて、日本の英語教育がまともになったころには、世界に流通する言語は、すでに別の方向に向かっているということを、上の記事が暗示しているのを頭に入れておいた方がいいでしょう。



 

 

 


英語はハートで感じるのか、それとも心で感じるのか?

2007年12月16日 | Weblog

評判がいいと聞いて、「ハートで感じる英語塾」 というNHK教育テレビの英語番組を見ました。時間帯が合わないので、なかなか見る機会がなかったのですが、この番組は、教室で講義するような形式で行なわれているようです。
  先日見たのは、過去形と現在完了形の違いを解説するものでした。私も、10月20日に 「英語の劣等生」 という表題で、日本語に無い現在完了形を習得すると英語が上達するというようなことを書きました。番組の授業内容はそれなりに納得いくものでした。
  しかし、ここで私が感じたことは、何で 「心」 でなくて 「ハート」 なのか、でした。 今の日本は、カタカナ英語全盛時代ですから、「心」 でなく 「ハート」 にしたのでしょう。「英語と日本人 なぜ英語ができない」 でも書きましたが、ここ数十年、日本語が英語もどきのカタカナ英語に汚染されているということです。この件については、日を改めてブロッグに投稿します。
  表題あるいはタイトルというものは非常に大切で、ご承知のように、表題やネーミング(和製英語)次第で、物が売れるか売れないか、人気が出るか出ないかが決まりますから 「心」 でなく 「ハート」 にしたのでしょう。しかし、番組を見る限り、初歩的な英語を学ぶのに、何でハートで感じなくてはいけないのかと疑問に思った次第です。ついでですが、「ハート」 とカタカナ発音で native speaker に言っても絶対に通じません。
  日本人に英語の本質を理解させるのは、至難の業だなとつくづく感じます。Amazon に、英友社の 「書く英語・基礎編」 が登録されていて、前回のブロッグで大変評判がいいと書きましたが、ご存知かもしれませんが、Amazon には 「カスタマーレビュー」 というのがあり、そこに読者から投書があって、「書く英語・基礎編」 は初歩的過ぎるという批判がありました。「まえがき」 には、最初は易し過ぎるかもしれないが、次第に程度を上げていくという指導方針が述べられているにもかかわらずです。しかし、一番の問題点は、日本人の書く英語を、日本語の直訳から、日本語の意味を英語らしい英語に interpret する方式を指導することに重点を置いていることを見逃しています。 
  なぜそのような勘違いが生じるのかと言うと、多くの日本人は、英語を数式のような知識として見なす傾向があるからです。英語は英語文化の上に成り立っていることをなかなか理解できないのです。だから、日本語を英語に直訳し、結果的に通じない英語を書いたり話したりすることになります。
 これも、 「英語と日本人 なぜ英語ができない」 の 「バイリンガルよりバイカルチュラル」 という項目でしっかり述べました。「バイカルチュラル」 についても、改めて、このブロッグで取り上げます。