続・俺がハムになるまで語り明かそう

旅行でかかった費用や素直な感想など、旅の記録を書いていきます。色々無知なところもありますがゆるーく見てください

'19カンボジア旅 20 プノンペンの夜"カジノ行ってみた"

2021-05-11 05:36:00 | 海外旅行
ホテル屋上のルーフトップバーで夕ご飯をいただきます。



普段お酒はほとんど飲まないのですが旅行に行った時は飲むのです、開放感てやつ。

一杯目はピニャコラーダ、パインジュースにミルク(ここではココナッツクリームになっている)とココナッツジュース、そしてラム酒、マリブを合わせたカクテル。
普段お酒飲まないおじさんにピッタリな甘酸っぱいドリンクです(❛ω❛)

2杯目はキューバリブレ、コーラとラムを合わせライムを一絞りしたカクテルだ。
 名前の由来は「Cuba Libre!(クバ!リブレ)」=「自由なキューバ」という意味で、キューバの独立戦争を後押ししたアメリカの象徴のコーラとキューバの象徴ラムとライムから来ている。
肝心のメインディッシュはA6番のビーフロクラックというビーフシチューのような東南アジアっぽくない料理。
ただ調べてみると作り方は色々あるようで店によって違うようだ。

みなさまこちらがビーフロクラックです。
左のドリンクはキューバリブレ。
ビーフロクラックは一応カンボジア料理らしい、きっと西洋文化入ってるよねこれ。
味もビーフシチューのようでした、お米はややパサパサだけどちょっとクセのある臭いがしたかな、タイ米なのか不明ですがむちゃくちゃ臭いわけではない。

バーからの眺め



カッコいい写真を撮ろうとして失敗したピニャコラーダ
ちなみにストロー2本あったけど一人で吸ったよね。

夕ご飯
ピニャコラーダ 3.8ドル(406円)

キューバリブレ 3.8ドル(406円)

ビーフロクラック 6ドル(642円)

13.6ドル(1455円)



さぁほろ酔いになったところで本日の目的地、カジノへ向かおうと思います。

わたくし日本でパチスロとかはやったことありますが海外の本格カジノなんて行ったことはありません。



ということで一攫千金を狙うべく、欲望渦巻くカジノへいざ出発。

ホテルからはグラブタクシーのオートリクシャーで約5分、渋滞時で10分くらいでしょう。

20時ホテル発ナガワールドへ、この時やや渋滞していて20:10にナガワールド着
ホテルナガワールド5000リエル(135円)

カンボジアとは思えぬほど派手ですね

このホテルはカジノ好きな中国の金持ちが多く泊まるようなんですが、一階がカジノになっています。


カジノは昔国内で知り合いに闇カジノに連れて行かれたことがあり、地下か高層階のイメージでしたが一階にあるとはちょっと意外でした。

ホテルへ入る時パスポートかなんか見せた気がします。
もしかしてホテルの入り口とはまた別なんでしょうか?

一階はほぼカジノと言っていいでしょう。
ゴージャスの押し売り状態です。
この写真の左側はカードゲームコーナー(バカラやブラックジャックなど)でしたが写真撮っていいのかわからないのでここを撮りました。

今日はスロットマシーンをやると決めていたのでとりあえず適当に座ります。
本当はバカラかブラックジャックやりたかったけど英語ほぼわからないので対人ギャンブルは不可能なのです。

それにしてもこのスロット、ルールがさっぱりわからないのですよこれが。
どのラインに何がそろえばいいのか笑
でも適当に回してれば勝つか負けるかは勝手に決まるので気楽です。

スロットマシーンはプリペイドカードのようなものにお金をチャージしてそれを使って遊びます。日本のパチンコと同じですね。

しばらくわけもわからず遊んでいるとスーツを着たお姉さんがやってきて英語で話しかけられました。

なんとなくですが「パスポートがあればカジノの会員カードを作れます、本日作るとワイン1杯とスイーツをサービス、さらにホテル内の優待券を差し上げます、いかがですか?」的なことを言っていた気がします。

一旦断りましたがなかなかしつこかったので、まぁいいかとパスポートを預けました。
お姉さんは会員カードの手続きをしてくるのでここで待つようにと言いカジノの奥に消えていきました。

スロットマシーンをやりながら「あれ、もしかしてまんまとパスポート盗まれた?」と思い焦るわたくし。
あーやばいなーこれは、とウロウロしつつも見失ってしまったのでどうしようもありません。

困ったぞ、明日大使館に連絡しようか、いや今から警察かな?その前にホテルのスタッフに相談した方がいいかな?とか頭グルグルで若干パニック。


10分ほど経ったでしょうか?さっきのお姉さんがわたくしがいたスロットマシーンのところでわたくしを探してウロウロしてたのを見つけました。


いやーマジで焦ったわ

というかお姉さんもわたくしがいなくなっていたので焦ってました笑


これが噂の会員カード、赤ワインとチョコレートケーキもタダでいただきました。
パスポートの写真が証明写真に使われていました。
思いがけず記念の品になりました。

休憩していた場所にはカウンターがありお酒が飲めます。
ご覧の通り女の人が何人かたむろってますね。
このホテルにはお金持ち狙いで売春を持ちかける女の子がいるとの噂、もしかして…?
あ、目が合った…
(個人の感想です、この女性たちがそうだという確証はございません)

せっかく来たんだし思い切って数万円カジノに突っ込むつもりでしたが、わたくしギャンブラーではないので数千円吸い込まれた時点で「うん、もういいかな」と冷静になってしまい終了。

換金はカードゲームコーナーの奥に換金所がありそこでお金をもらいました。


バカラとかできたらハマったかもしれません。


カジノ  45ドル(4815円)


22:25  ホテル前着

ナガワールド→オハナプノンペンホテル グラブタクシー5000リエル(135円)


ホテルに戻る前に本格的に周囲を散策。

実はホテルのバーで飲む前にひったくられてもいい約20ドル(2140円)だけ持ってぐるっと軽く回ってみたので治安がある程度安心なのは分かっているので安心です。



こちら136ストリートと言われる通り、ガールズバーが多数立ち並んでいます。



お酒がほどほどに飲めたら寄るんですがコミュ力(言語含)もないので敬遠してしまいます。

ここはタイやベトナムほどの勧誘は特になかった気がします。
東南アジアはビビッドカラーがよく似合う。


再びリバーサイドへ
時間も遅いので人通りは少なくちょっと寂しい感じ。

一応警戒しながら歩きましたが、子供がキャッキャと遊んでいるような雰囲気なので犯罪の臭いは特にしませんでした。
思ってたよりは明るい。

川向かいのホテルが川面に反射してキレイでした。


今回お気に入りの中の一枚


場所によってはかなり暗い場所もありましたが怪しそうな人やたむろしてる感じもありませんでした。


無事ホテル前に到着、特に飲む以外遊ぶようなところはありませんでしたが期待はしてなかったので問題ありません。


ホテルロビーにて入り口を振り返るとなんとATMが、わざわざ外にお金をおろしに行かなくてもここで安全におろせたようです笑


プノンペンの「ひったくりが多くて危険」という情報は歩いている分には思っているほどではありませんでした、気をつけるに越したことはありませんが。

オートリクシャーで荷物を手で取れる位置に置いておくとやられるかもしれませんね。(その防止のためにオートリクシャーは客席が囲われている)


明日は朝一でマーケットに行ってみます。

カンボジア旅21へ続く








'19カンボジア旅 19 オハナプノンペンホテル

2021-05-06 07:18:00 | 海外旅行
キリングフィールドからグラブタクシーを使いホテルまで向かいます。
 

プノンペン市内に戻ってきてまず目に入ったのがこの独立記念塔。
ロータリーの真ん中に建っています。
写真を色々撮っていたらドライバーが気を利かせてゆっくり走ってくれました笑

金ピカに輝くビル。
こういうの見ると中国っぽいなと思ってしまいますが、仏教の色濃いところはだいたい金色が大好きでした。
それにしても眩しい(´д`)

なんかの門、ドライバーが撮れって言うからとりあえず撮ってみた。



コンフォートホテルに到着キリングフィールドホテルgrabタクシー4.65ドル(497円)
5ドル渡してお釣りはあげました。

ホテルで荷物を取ったら徒歩で移動。
次のホテルは歩いて3分ほどで行ける距離のホテルです。
この通りを抜ければ次のホテル。

着きました、プノンペン2日目のホテル、OHANA Phnom Penh Palace Hotel(オハナ プノンペン パレスホテル)です。
 オハナとか名前がかわいいけど何語なんでしょ。
ホテルのマークが花になってます。

フロントでチェックインを済ませます、これはなかなか大きいホテルですね
エレベーターで部屋へGO


お部屋を開けると
ひろっ!

プノンペン2日目はほんのちょっとだけホテルの値段を上げました、1000円くらい。


しかしこの広さで4866円とは安すぎる。日本のホテルもこれくらいにして欲しいズラ(❛ω❛)


コンセントもベッドの横にばっちり、というかツインの部屋のベッドを一カ所にくっつけてあるのね。

ベランダからの眺め、わたくし海外旅行の時のホテル選びはベランダがあるかどうかでまず選んでます。
眺めがいいのが好きなので。
部屋から見て左手から先程歩いてきました。

だかしかし、このホテルのベランダは外側になぜか取手がついていないのでうっかり閉めてしまうと入るのが大変なのです笑


WiFiはちょっと悪いかも。


日本語のホテル案内、泊まる日本人多いのかな?
オハナってやっぱりお花っていみなん?

ルームサービス


これは「部屋のものを持ち帰ったり壊したりしたらこれだけいただきますよー」の金額。
たまにいますよねドライヤーとか持って帰る非常識なやつ。

朝食バイキング付きなのです、明日の朝使うチケット。



さて、この時点での現金残高 234ドル(約25000円)


カンボジアでこの金額を持っていたら数日問題ないと思いますが、どのタイミングでおろせるかわからないのでひとまず対応してそうなATMを探しにホテルを出ます。
わたくし心配性なのです。

川沿いの道をしばらく歩くと歩道にATMを発見。
 クレジットカードから100ドルをキャッシング。他国でもやりましたが自分の銀行から引き出すより、セディナカードでキャッシングする方が手数料が安いのです。
1回で数百円浮きますオススメです。

では外に出たついでにホテルの周りを散策してみます。

ホテル横の市場みたいなところへやってきました。ここは普通の道路なのですが決まった時間になると両脇にお店が並んで車は通れなくなるようなのです。
なので昨日のレクサスもここを通ろうとして通れなくなりUターンしていました。
ナマズの仲間かな?まだ生きています。

こちらはカエルが皮を剥がされてカゴに盛られています。


川魚が多そうですね。
というかプノンペン市内からは、海までかなりの距離があるので川で獲れた魚でしょう。


無造作に置かれた魚にハエがたかっています。どこもそうですがローカル市場は衛生面にちょっと問題ありそうです。


ベトナムのホーチミン(サイゴン川)もそうでしたが川が近くにあると川魚がよく売ってますね、当たり前ですけど。


市場を歩く動画撮ってみました、画面が落ち着かなくてすいません


ローカル市場付近にあった鶏の丸焼き屋台




よくあるガソリンの店頭販売、日本も昔はこれくらい緩かったんだろうか


これ床屋です、有名人の髪型にしてくれるのかな、絶対ならないと思うけど笑


日が暮れてきました、今のところひったくりみたいな危険な雰囲気は感じられません。


ここはレストランでしょうか?眺めが良さそう。


道沿いにあるこの川はトンレサップ川です。プノンペンに来る時上空から見えたトンレサップ湖から続いている川ですね。


川沿いにはリバーサイドパスという遊歩道があります。

現在地は赤ピンのところです。


奥にある金ピカな建物は1400年前に建てられた有名なお寺らしいんですが、この時は修復工事みたいなのをしていたので行くのをやめました。


ぐるぐる回っていますが、初めてタイに行った時のようにスマホをホテルに置いてくるようなヘマはしてないので安心です笑
思っていたより人が少ない感じがしますね、首都だからもっと人が多いかと思っていました。

ゴミ捨て場、というか集積所かな?
道を遮るようにあったのでなかなかインパクト強かった。

それではそろそろホテルに戻りますが、ホテルの前にちょうどマッサージ屋があったのフットマッサージをやってから部屋に戻りましょう。

フットマッサージ1時間7ドル+チップ1ドル(856円)

カンボジア旅20へ続く




'19カンボジア旅 18 キリングフィールド

2021-04-29 11:16:00 | 海外旅行
さてトゥールスレンからキリングフィールド移動します。
キリングフィールドまでは約20分、郊外なので渋滞はありませんでした。


グラブタクシーで15700リエル。
日本円にすると387円ですがボチボチしますね、この距離なら安いんだろうか。

カンボジアの最低月給は170ドル(約18000円)※1ドル107円換算
工場勤務など普通の人がこれに値します。
英語や中国語など外国語ができるレベルの人は300ドル(32100円)医者や弁護士などのエリートは1000ドル(107000円)だそうです。
そこから考えるとグラブタクシーでこの距離を走れば1日2回乗せてノルマ達成くらいですね。
客を捕まえるのが大変でしょうけど。

オートリクシャーに揺られること20分、12:50にキリングフィールドに到着。


入り口横には売店がありおばちゃんが手招きしてきます。

おばちゃんに「後でね」と言いチケットを買いに受付へ。
入場料は3ドル、音声ガイドをつけると6ドルです、学生割引はありません。

これはビデオ上映の時間です、この日はタイミングが合わなくて見るのをやめました、多分英語かクメール語なので見てもあまりわかりそうにないし。

ちゃんと日本語案内パンフレットもあります。


正面にはキリングフィールドのシンボルとも言えるタワー(慰霊塔)が鎮座しています。
周りに高い建物がないので目立ちます。

最初のオーディオストップ(音声ガイド)はここ。トラックストップと言われる場所で、犠牲者がトラックに運ばれてここで下されたためそのような名がつきました。

下されてる様子

以下グーグル翻訳を修正したものです。
建物自体はありませんでしたので看板のみご覧ください。

ここの暗い拘留所(こうりゅうじょ)はトゥールスレンから輸送された犠牲者と他の場所から運ばれてきた犠牲者が拘留された場所でした。
通常トラックが到着したとき犠牲者は即座に処刑されました。 
しかし、処刑される犠牲者の数が増加し1日あたり最大300人を超えたため死刑執行をこなせなくなりました。
 それが犠牲者が翌日の処刑のために拘留された理由です。 亜鉛メッキ鋼の屋根を備えた木材から作られたその壁は、2層の平らな木材で造られていました。

この死刑執行人の作業事務所は死刑執行人が統計を行った場所でした。事務所は殺害現場と同様の彼らが夜間に現場の犠牲者を名簿を読んで署名します。
ここには夜間の電力を備えていた。
※つまりここで殺害した犠牲者の名前を記入して記録していました。

この化学物質保管室は、DDTなどの化学物質が置かれている場所でした。 
死刑執行後に一度犠牲者の死体の上にこれらの物質を散乱させました。

※翻訳めちゃくちゃだったので一部消去。簡単に言うとDDTという殺虫剤を死体の上に撒き腐敗臭を消していたようです。
またDDTをまぶした食料を犠牲者に食わせて墓穴に蹴落としその後上からDDTを振りかけ臭いを消していたとも。

 これは砂糖ヤシの木です。
死刑執行には最初銃などが使われていましたがポルポト政権は財政難だったのでそのうち人を殺すのに銃火器を使わないよう指示が出ました。そのため殺害には殺傷能力の高い農具が使われていましたが道具も壊れて行くので最終的にはこのようなノコギリ状の枝を使って首を切ったりもしていました。



450人の遺骨が発掘された場所、この狭い範囲に450人分とは…。


この殺害道具の保管室にはナイフやクワなど殺傷能力の高い農機具(殺害用)が保管されていた場所でした。

このように犠牲者の衣類が時折顔を出しています。
雨が降ると地面からまだまだ出てくるそうです。

一見平和で穏やかそうなこの草原の下には、いまだにゴロゴロと遺骨が埋まっています。


キリングフィールドの奥にある池、シーンと静まりかえっています。


裏手にはフェンスがありこちらからは入れないようになっていました。
フェンスの外から短パン一丁の子供たちが「金くれ」みたいな事を言っていましたが、気づかないフリをすると何か文句を言って去っていきました。
よく見ると左下にその子どもが写ってますね。

ここキリングフィールドの音声ガイドもかなり細かく説明してくれるので全部聴いて回ると2時間ほどかかります。


そしてこれ朽ちた木のように見えますがこれ骨ですたぶん。


木の根っこかな?と思いましたが白すぎるし…たぶん骨。
踏んでましたすいません。通路上にあるんだもん…。


頭のない166人の犠牲者が発掘された場所



 100人を超える子供たちと、大多数が裸にされた女性の遺骨があった場所

発掘しまくったせいかあちらこちら凸凹になっています。


そしてこれが有名なキリングツリー
このキリングフィールドで殺害されたのは大人だけでなく小さい子供や赤ん坊も含まれます。
赤ん坊や小さな子どもは、死刑執行者に脚を持たれてこの木に頭から打ち付けられました。

前の記事でこの様子が描かれている絵画がありましたね、それがこのツリーです。


 当時のことを想像すると、ここはまさに鬼が人間を痛めつけて殺す地獄のような場所だったのでしょう。

ベトナム軍が介入しキリングフィールドが発見された当初は、木の幹に髪の毛や脳みそがこびりついていたといいます。

遺骨が埋まっているルートには木製の歩道が整備されているのであまり直に地面を歩くことはありません。
パッと見のどかな公園のようです

こちらはマジックツリー、なぜマジック?と思いましたが下の説明をみるとなるほどなと思いました。


翻訳:この木は犠牲者が処刑されている間、犠牲者のうめき声を避けるために音を大きくするスピーカーを吊るすためのツールとして使用されました。

周りには田畑が多く農業をしている事情を知らない国民などがいたので、ここで処刑されている犠牲者の悲鳴を魔法のようにかき消すために革命歌などを大音量で流していたようです。
音声ガイドでその歌を聞くことができます。

発掘された時のままガラスケースに保管された遺骨。


所々衣類が頭を出しているのが見えます。
まだこの下には沢山の犠牲者が眠っているのでしょう。




ほんとにそこら辺にあるんです。
ちなみにこのキリングフィールドだけで2万人が処刑されたと言われていますが、カンボジアにはキリングフィールドが100ヶ所以上あるので相当な数の犠牲者がいることがわかります。

最後に訪れるのはこの慰霊塔です、この慰霊タワーは1階から9階まで約9000人分の遺骨が納められています。
ここでは手前で靴を脱ぎ帽子を取って入場しなければなりません。

中には掘り出された犠牲者の頭蓋骨が年齢や性別ごとに整頓され並べられています。

これは頭を刺した道具ですかね。

青いシールは男性、赤いシールは女性の頭蓋骨です。


 慰霊タワーの屋根についている装飾についてですが実は意味があります。
屋根の下は鳥の姿をした神様ガルーダ、屋根のへりには蛇の姿をした神様ナーガが装飾されています。


この二つは本来仲が悪くて敵対している存在なのですが、これが一つの場所にいることで平和を表していると音声ガイドで語られていました。



一通り見終わったのでこちらの建物へ行ってみました。


ここには当時の衣服や道具が飾られています。
クメールルージュの象徴とも言える民主カンプチアの国民服

掘り出された場所でしょうか?


ポルポトの遺体の写真。
病死とも毒殺とも言われています。

殺害に使われていた道具


発掘当時の現場写真

すごい数の遺骨です、数が多すぎて誰かを特定するのは無理でしょう。

14:20 見学終了
約1時間半で一通り回れました、ビデオを見たら2時間かかりますね。
約束通りおばちゃんのお店でドリンクを買い一休み、想像したり考えながら見学するとちょっと疲れます。

ジュース1ドル(107円)


この時期は乾期で湿気もなく暑くもないのでとても過ごしやすい、その点は12月に来て正解でした。

それでは日が暮れる前にコンフォートホテルに戻ってから次のホテルへチェックインしに向かいます。

カンボジア旅19へ続く












'19カンボジア旅 17 トゥールスレン虐殺博物館その③

2021-02-28 21:10:00 | 海外旅行

それではB棟からC棟へ移動します。
カンボジア猫を発見

今から行くC棟とその奥にはD棟が見えます。


これ見えますか?建物に有刺鉄線が張り巡らされています。
これは逃亡防止用ではなく、飛び降り自殺防止用なんです。

あまりの拷問の辛さに被害者達はここから飛び降り自殺を図りました。
有刺鉄線が貼られてからもペンを首に刺したり、灯油ランプを被り自殺したものがいるそうです。


建物の中に入るとブロックで作られた簡易的な独房がずらりと並んでいます。


中はこんな感じで畳1畳くらいです。


次の部屋に行くと今度はレンガで作られていました。
急いで作ったのかセメントがはみ出したりして雑な作りです。
これらも被害者たちが作らされたのでしょうか、多分そうなんだろうなぁ。

こちらの鉄の箱は何かというと弾薬箱の空箱なんですが、実際は被害者の排泄用に使われていました。


中に入ってみた感じ、先ほどのところより狭いです。窓はありますが閉鎖感がすごい。


2階を散策しているとわたくし有刺鉄線に引っかかり服に穴が開いてしまいました。
怪我はありませんでしたが見学するときは気をつけましょう。

次の部屋に行くと木製の独房が。


なんで素材を統一しなかったのか不思議です。
これはまだ部屋っぽい。


D棟は実際にS21に収容されて生き残った人が描いたイラストや実際の被害者の骨など展示されています。
遺骨は流石に撮影できなかった(本来イラストも撮影禁止ですが)のでイラストだけでもご紹介します。

赤ん坊を奪われる母親


被害者を運ぶ看守、もう動物のような扱いですね


ノコギリで喉を切られる人


拷問や殺害に使った道具たち


これはA棟とB棟の間にあった吊るす器具はこうやって使われていました。
ちなみに後ろ手に吊るされると肩が脱臼して激痛なんだそうです。


被害者に水を浴びせる看守


足枷をつけられ集団で寝かされていた被害者


水責めの拷問、布を被せて水をかけると呼吸がしにくくなるのでかなり苦しい


実際に水責めに使われた器具


おそらく爪を剥がしてそこにアルコールをかけている様子
わたくし昔指先を怪我して原液と知らずにエタノールをかけてしまい、転がり回るほど激痛だった思い出があるので爪を剥いだところに…なんて想像しただけで死ぬほど痛いのがわかります

こちらはペンチのようなもので乳首を潰しているのでしょうか?下のひとはムカデを捕まえて被害者に乗せようとしています。


逆さ吊りにして水責めをしている様子


こちらも水責め、水責め多いなぁ


実際に使われた器具です

そういえば子供の医者がいるという話がありましたね、そう、ここでは大人のお医者さんは頭がいいので殺されてしまうのです。
しかし誰かが怪我や病気を治療しなければなりません、そこで10代もそこそこの子供に医療の知識を覚えさせ治療をさせていました。
以下音声ガイドによる説明です。
【予定より早く死にかけた被害者は4ヶ月ほどしか研修を受けていない医者という名の子供に塩水を傷口にかけられたり、小麦粉、砂糖などを混ぜただけの彼らのいうところのビタミンCを処方されたりした】

子供は治療のつもりでしょうが、普通に拷問ですね。
やってることがママゴトみたいというか、そもそも誰から研修を受けるのかという話ですが子供たちはそれらしい参考書読むだけのようです。

この写真ですがクメールルージュの少年兵でしょうか、看守もこれくらいの年齢だったと考えると10代前半くらいですね。

子供って時に残酷なことを平気でしますから恐ろしいです。

そうそう、拷問なんてしなくてもそのまま殺せばいいのに自白を強要するのは何故だろうと思っていたのですが、ちゃんと理由がありました。
それは

【看守や組織の人間たちに人を殺す正当な理由を与えてやらなければならなかったから】です。

理由もなく人を殺せる人もいるでしょうけど「自分がやっていることは正義だ」と思わなければ組織在り方に疑問を抱く者も出てくるからでしょう。
まぁ疑問を抱いたら殺されるだけなんですが。

だから拷問で無理やり自白させて殺す理由を作らせたのだと思います、というか音声ガイドでそう言っていた気がします。


キリングフィールドで赤ん坊を処刑する様子、これを見るにゲーム感覚で殺しているのが分かります


こちらもキリングフィールド、赤ん坊を木に叩きつけて殺しています。

被害者の頭蓋骨なども展示されていましたが、頭に穴が開いているのが多かったのは鉄の棒やツルハシで頭を殴られて殺されたからなんですね。
実際当時のクメールルージュは資金力がなかったので「無駄な弾丸は使わないように」とのお達しで機具などを使い殺害していたようです。


やっと外出ました…一通り見てきましたがすごい疲れました。


外はこんなにも晴れやかなのに空気が重い感じがします。


この時の時刻は12:00、音声ガイドはまともに全て聞くと2時間半かかります。見学の時は時間に余裕を持って来ましょう。

ちなみに露出の高い服装では入れないので女性などは入り口で長いパンツなど借りられます。


何かまとめコメントでもしようかと思いましたが言葉がうまく出てきませんね。
トゥールスレン虐殺博物館内は飲食禁止です、博物館の目の前には売店があるので暑さで喉がカラカラになったらここでドリンクを買いましょう。
好きな時に自由に飲み物が買えるのがどんなに幸せなのかということですね。

カンボジア旅'19 18へ続く






'19カンボジア旅 16 S21 トゥールスレン虐殺博物館その②

2021-02-27 09:10:00 | 海外旅行
注意:今回グロ写真(モザイクつき)が出てきます

続いてB棟へ向かいましょう。
ここトゥールスレン博物館にはAからD棟まで4つの建物があり、当時使われていた道具などがそのまま保管されていたり写真の展示スペースになっていたりします。

A棟からB棟へ行く間にこんな展示がありました。
これは看守が囚人(とされた人)を尋問するときに使ったものです。
横の看板に英文で説明があったので翻訳しました。

【翻訳】
「ケーブルが取り付けられたこのポールは、生徒が運動を行うために使用されていました。 クメールルージュはこの場所を尋問室として利用しました。 尋問者は囚人の両手をロープで後ろに縛り、囚人を逆さまに持ち上げた。 囚人が意識を失うまで、彼らはこのようにしました。 それから彼らは囚人の頭を臭い汚い水の瓶に浸しました。そしてそれは彼らが通常外のテラスで作物のための肥料として使用しました。 そうすることで、被害者はすぐに意識を取り戻し、尋問者は尋問を続けることができます」

ここでいう汚い水とは糞尿のことです。

横にある鉄棒がここが学校だったということを思い出させる。

さて、B棟1階は写真の展示になっており、いかにしてこのS21が作られたかなどの説明などがありました。

この写真はポルポト派(クメールルージュ)がプノンペンに到着した時の写真です。
右上に【The a Arrival of Kampuchea democratic 1974】と書かれています。
拡大すると
みんな拍手で迎えていますね、これから地獄が始まることも知らずに…。


少年兵?が沢山います。

見にくいですがこれは民主カンプチアの農民服、昔の中国でいう人民服みたいなやつです。
みんな同じ黒い服を着させられました。


この顔写真は帽子をちゃんとかぶっていて囚人番号もついてないので、おそらくクメールルージュの一員として従事していた子供達ではないかと思われます。

こちらも同じく従事者でしょうか?みんな10代前半幼い顔つきです。


下の絵は食事の配給の様子。
支給されていた食事は少しの米が入ったお粥を1日2回、12時間の重労働だったといいます。


この人はクメールルージュ幹部の妻、この写真撮影直後手にしていた赤ん坊を取り上げられました。


中には外国人も捕えられ処刑されていました。


再び拷問部屋、際限なく疑わしき者が現れる(自白強要)ので拷問部屋も数多くあったのでしょう。
主に2階が拷問部屋になっているようです。

幼い看守の写真でしょうか?分別つかない歳なのに。
そもそもこんな小さくて看守として務まるのかな…。

空は青く気持ちがいい天気ですが、この施設内は誰も大声で喋らないのでとても静かでした。
犠牲者もこれと同じ空を見たのでしょうか。

抵抗したのか怪我をしている人もいます。
すごい小さな子もいますが首から番号みたいなのを下げているのでこれは犠牲者っぽいですね、なんとむごい…。

ただただ人の写真が多くてびっくりします。このS21だけで18000人ほどが犠牲になったと言われています。


おびただしい数の人骨。当初はこのトゥールスレンで殺害されて埋められていたようですが、しばらくすると処刑場所と遺体処理はキリングフィールドへと移されます。


すいませんエゲツない写真なのでモザイクをかけました、普通に拷問されて死んだ方の死体の写真です。
(モザイクを軽くかけたら圧縮されて一度写真が丸見えになったのは内緒です)
こちらもモロ死体でしたのでモザイクしました。
そんなに死体の写真は多くないですが、こういった写真は死亡記録としてS21の看守が撮ったものということですかね。

ここは集団で足枷をつけられ寝かされていた場所かな。

 PEOPLE's REPUBLIC OF CAMPUCHIA「カンプチア人民共和国」

右下の写真は利用できる特殊技能を持っていたためクメールルージュに生かされていた人たちです。
 左から一人目(現生存者):チュンマイさん/メガネ製作

二人目:大工

三人目:彫刻(ポルポトの顔像も手がけた)

四人目(現生存者):画家

五人目(現生存者):画家

六人目:ベトナム語通訳

七人目:メガネ製


そしてこちら、被害者の頭蓋骨で作られたカンボジアの地図です
以前は展示されていたようですが、あまりに残酷なため展示を中止したとのこと。


B棟の2階へ上がって降りてくる時この階段の壁に違和感を覚えよく見てみると…


見えますか?なんと壁に血痕がついていました。
この時は「まさか血痕が残ってるわけないよな?掃除くらいしたでしょ博物館だし」って思ってましたがどう見ても血痕です。

そこら中に点々とついているので何かなーとは思っていましたが…。


ベトナム戦争証跡博物館もなかなかの衝撃でしたが、こちらはまた違った狂気を感じます。

続いて隣接しているC棟へと向かいましょう。

カンボジア旅'19  17へ続く