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お寺ふぁん続々・続

タイトル誤認、お寺めぐりだけじゃない日常の切り取りです。

万博 青い衝撃騒動記

2025-04-14 05:59:33 | 日記

 4月13日 今日の予定

 六甲山に登りそこから”衝撃”の背中を見る。

 芥子粒くらいで見えないだろうけどスモークで存在は視認できるはず・・

 

 しかし、早々に中止。

 六甲山の姿が見えない。

 するとお山からも下界が見えない・・はず

 

 11時前、今降ってなかったらとりあえず”見えるだろう”淀川河川敷に出てみよう。

 結果、出発。

 現着。駅を出て歩き出した途端に霧雨、傘が必要に・・それがどんどん大きくなってバシバシ傘をたたく。

 伊丹に降りる大型機がかすんで見える・・





 

 

 実況を見ている人がいる。

 ”飛んだよ! 3機”

 ”あれ、後の3機がエプロンに帰ってきた”

 ・・・

 ”わ~ 飛んだ3機も帰ってきた”

 

 
 (来ないね~)

 

 あ~そうなの・・・(;´Д`)

 そういうことね。

 安全には替えようがないんで仕方ないね。

 

 電車賃丸損なんでJRの運行でも見て帰る。

 悪天候でダイヤの乱れがある模様。

 

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花の寺 達身寺

2025-04-13 08:53:31 | 日記

 春の妖精たちからの続き投稿です。 

 カタクリの時季、この田んぼは蓮華草だったこともあると思います。 

 達身寺への道が歩きやすくなりました。散策を楽しんで進みます。

 さくらが遅いんですか・・

 山桜・・ パラグライダーが飛んでいます。

 見えて来ました。1キロ少々の散歩道です。

 門前のこのさくらは里のさくらが終わってからと思っていましたが、同時に咲いています。

 曹洞宗のお寺です。曹洞宗・・自力本願、この言葉自体は仏教用語ではなく他力本願に対する造語のようですが、意味合いとして自らの行いによる結願(解決)を求める教えであると言われますかね・・?

 平たく、(お寺では)願をかけるのは結構だけど、自分の努力を求めるものなので何でも大量にというのはどうよ・・?と。

 たたずまいは禅寺の風が漂います。

 帰路車窓からさくらの並木を沢山見ます。

 学校にもさくら。

 今年のさくらは巣立ちを見守っただろうし、新入のお祝いにも間に合いました。

 

 雨の予報、これまで咲いていた花を散らせますかね・・

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もう遅い・・思いながらも春の妖精たち 達身寺

2025-04-12 18:49:14 | 日記

 達身寺という寺は、仏像製作寺院だったかも・・ と言われます。

 習作というのもあるかもしれません。

 安置する仏像はかつて国宝、作風からして著名人の作と思われることに依拠したようですが、証拠が見つかりません。

 残念ながら国宝⇒重文とされたようです。

 

 その里に春の妖精たちを訪ねます。

 

 

 

 

 

 大群落ということになるかと思います。

 

 時期的にはもう遅いはずです。

 枯れかかった花もあります。

 しかし、十分に残っています。

 

 

 山里の春です。

 

 

 カタカゴ(かたくり)もむずかしい花です。可憐さ故ですかね・・

 花が早くに終わっていたり、開花が少なかったり・・ただ、今年はかなり満足しました。

 里道を散策しながら達身寺を拝して帰ります。



 

春の妖精たち 達身寺

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さくら満開 花吹雪始まる

2025-04-08 19:04:23 | 日記

 咲いたものは散る・・道理です。

 

 尊鉢さまの白い枝垂れは終わりかけ、ピンクの時季です。









 

 そして花吹雪の前兆でした。

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2025さくら散歩  又兵衛桜から石舞台・続

2025-04-06 09:56:46 | 日記

 又兵衛桜からの続きです。

 

 十三重石塔で有名な談山神社入口を横に見ながら山を越えて飛鳥を目指します。

 ちなみに談山神社は乙巳の変(※)の謀議が行われた場所といわれるようです。

   ※蘇我入鹿を謀殺して蘇我氏を滅亡させた以降の政治改革が大化の改新で、きっかけである謀殺事件が乙巳の変ですが、過去には謀殺自体をも大化の改新と言っていたように思います。

 

 

 石舞台に着きました。

 

 和歌でも・・

 

 

 のどかな春の日です。

 

 石舞台古墳・・被葬者は不明ですが、蘇我馬子が有力と言われます。

 なぜ、石? 石室の露出であり、懲罰として封土が剝がされたのではと・・ すると馬子確定?

 どろどろとした政権抗争があった時代の蘇我氏トップ、討たれた入鹿のじっちゃんですね。

 

 

 

 談山神社側に少し戻って付近をみおろします。

 石舞台はすぐそこです。

 

 古い過去の首都近郊あるいは”市内”とも言える場所でしょう。穏やかな地ですが、古には政争の現場でもあった地ですね。

 

 また来春・・🌸🌸🌸

 

 

コメント (2)
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