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ケンカさせられるようでは…

2013-04-02 13:53:00 | Sisterのねごと




ヨーロッパによる数百年に及ぶ植民地支配で、現代にまで及ぶフツ族とツチ族との根強い対立がアフリカに生まれました。それまでは彼らなりの文化や人間関係で上手く共存していたのに。

似たようなことは今もあるような気がします。現地(必ずしも国など地理的な話ではありませんが)の社会、文化、風習、人間関係、言語などに配慮せず、二人あるいはそれ以上がいたら、その中の誰かを気まぐれ的に特別に推してしまう。

その結果、地元では、関係する当事者同士で争いが始まる。外から来た価値観、選択、原因がもとで喧嘩させられる、これほど馬鹿げたことはないと、一般論としては思えますが、実際に巻き添えを食らったら、きっと呑み込まれていくのでしょうね。

自主性を持って生きましょう!? そんな簡単なことではなさそうです。「争いのあるところに、平和を!」 それぞれが復活された主に自身を委ねることからしか、争いから逃れるための視点はありません。

人間の権力や支配への欲望から解放されて、神の愛の「のぞみ」を実現させることへと、まずは一人ひとりが、自分に都合のよい小さな望みを神の手に委ねてしまうことでしょうね。こうして言うのは簡単ですが、実際には、もっともらしく見えるいろいろな口実に足を取られて、なかなか困難です。

…とFacebookには書きましたが、他にもこんなことありませんか。
プロテスタントとカトリック。もともと西洋のずいぶん古い歴史のせいで、同じキリストを信じる現代人同士がにらみ合う必要などまったくありません。

また、欧米と非欧米の対立だけではありません。ちょっとした陰口や告げ口、ささやかな利害に関することなどで、人は簡単に自分の自主性を失って、結果、第三者の意図の通りに「ケンカさせられてる」ということに。別の表現を使えば「操られている」とも。

何を自分の中心に据えて生きるのか、普段からハッキリ見据えておかなければですね。