フーコーのビオ・ポリティック

Michel Foucault)(1926.10.15~1984.6.25)

フーコー

2010-07-17 21:25:18 | 日記
210 クラウス・クロワッサンは送還されるのだろうか 石田靖夫訳
 「ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌、六七九号、一九七七年十一月十四日-二十日、62-63ページ。
 赤軍派の弁護士であり依頼人たちとの共犯関係で告訴されたクロワッサンはドイツ連邦共和国で職務を禁止される。彼は一九七七年七月十一日フランスに亡命し政治保護(アジル)を要求する。十月十八日、バアダー・グループの被拘留者たちがシュトゥットガルトのシュタムハイム刑務所の独房で死体で発見される。十月二十四日、フランスの裁判所はクロワッサンについて裁定をくだす。彼はサンテ刑務所に拘禁され、十一月十六日に連邦共和国に送還される。
「もっと一般的に言えば、「統治される者」の権利である。このような権利は人権よりももっと明確で、もっと歴史的に決定されている。行政区域民や市民の権利よりももっと範囲が広い。このような権利に関する理論はいままでほとんど定式化されたことがない。私たちの最近の歴史はこの権利を一つの現実に仕立てたわけだが、このような現実は、様々は統治機能が個人に対する日々の管理にいたるまで肥大化したような国家からの脅威を至るところで孕んでいる将来にとって、いまだ脆くはあるが、貴重なものであった。」(本文より)

211 今後は法律よりも治安が優先する 石田靖夫訳
 (J-P・コフマンとの対談)。「ル・マタン」紙、二二五号、一九七七年十一月十八日、15ページ。
 K・クロワッサンの送還が間近に迫っているのを知って、M・フーコーはサンテ刑務所までクロワッサンの弁護士たちに同行する。彼らはすぐにも警察に取り囲まれ、警察は独房式護送車の出口でのデモを一切阻止する。前記のNo.210を見よ。

「-ヨーロッパは反テロ闘争を中心にして構成されるのですか。
-事態を違ったふうに見るべきだと思います。私たちは政治裁判の一種の世界市場の方へ目下のところ向かっているわけですけれども、そうした市場の目的は、避難所(アジル)によって構成され政治上の離反一般をこれまで保証していた自治権(フランシーズ)を削減することにあります。双務協定では、こと政治保護(アジル)に関する最も重要な制限はアフリカ諸国の求めに応じて獲得されてきたということを忘れてはいけません。問題はヨーロッパを越えて進んでいるわけです。」(本文より)

212 権力、一匹のすばらしい野獣 石田靖夫訳
 (M・オソリオとの対談)、「カデルノス・パラ・エル・ディアロゴ」誌、二三八号、一九七七年十一月十九日-二十五日。

「―規範性がもっている生産の効率性に応じてということで……。
―ええ。非常に一般的な意味でのそういう生産の効率性ですね。
―ええ。単に生産でもない……。
―単に肉体労働(マニュエル)による生産ではありません……。
―……商品生産ではないのですね。人間生産……。
―その通りです。
―それは芸術そのものかもしれませんね……。
―そうです、絶対に。」
「ブルジョワジーはまず自分自身の健康に根本的に気をかけていました。いわば、それは自己救済であると同時に力の誇示でもありました。いずれにせよ、労働者の健康などどうでもよかったのです。十九世紀の初めにヨーロッパで起こった労働者階級に対する恐ろしい虐殺についてマルクスが語っていることを思い出してください。(中略)それから、ある時期以降、労働力の諸問題が別なふうに立てられ、雇われていた労働者をできるだけ長い間確保しておく必要が出てきて、労働者を十四、十五、十六時間働かせて死なせるよりも、八、九、十時間の間みっちり働かせる方がよいということに気づいたのです。労働者階級で構成された人材が、乱用してはいけない貴重な資源と少しずつみなされるようになったわけです。」(本文より)

213 治安と国家 石田靖夫訳
 (R・ルフォールとの対談)。「社会主義論壇」誌、一九七七年十一月二十四日―三十日、3-4ページ。

「国家の発展運動はますます強まっていく厳格化のなかにあるのではなく、逆に、その柔軟性のなかに、前進したり後退したりするその可能性のなかに、弾力性のなかにあるということは確かです。生産単位[=工場]の原子化、地域のますます大きくなる自治、国家の発展とは絶対に正反対に見えるようなあらゆる事柄といった国家装置の後退のように見えるかもしれないものさえ、場合によったら許容するような国家機関の弾力性のなかにあるわけです。」(本文より)

214 左翼の若干のリーダー達への手紙 國分功一郎訳
 「ヌーヴェル・オプセルバトゥール」誌、六八一号、一九七七年十一月二十八日―十二月四月、59ページ。

「クロワッサン〔Klaus Croissant 西ドイツ赤軍派の弁護士〕が送還されました。あなたがたは、避難所(アジール)の権利が踏みにじられた、合法的上訴手段がひっくり返された、政治亡命者が引き渡されたと言って、自分たちの憤慨を表明することを望んでいました。」(本文より)

215 拷問、それは理性なのです 久保田淳訳
 (K・ベーザーとの対話、仏訳J・シャヴィ)、「リテラテューアマガツィーン」誌、第八号、一九七七年十二月、60-68ページ。

「西洋の歴史において重要なのは、極度の合理性をもった支配システムが発明されたことだと、私は考えています。そこに至るには多くの時間がかかりましたが、その後に続くものが発見されるには、さらなる時間が必要でした。それに交代したものとは、諸々の目的性、技術、方法からなるひとつの総体です。つまり、学校や軍隊や工場において、規律が君臨するようになったのです。極度の合理性をそなえた支配の技術というのはこうしたものです。植民地化については言うまでもありません。その支配の様式は血にまみれたものですが、これは考え抜かれたひとつの技術であり、完全に意図的で、意識的で、合理的な技術なのです。理性の権力は、ひとつの血まみれの権力なのです。」(本文より)

216 権力と知 蓮實重彦訳
 (蓮實重彦との対談、一九七七年十月十三日、パリにて)、「海」、一九七七年十二月号、240-256ページ。

「十九世紀の人間が貧困をどうしてもうけいれることができず、それに反抗したように、今日ではこの「権力」の過剰という現象が、耐えがたい現実としてわれわれに迫ってくるのです。それが存在していることが明らかにされた国々における強制収容所は、ちょうど、十九世紀における労働者の貧民街、つまりマルクスにとって耐えがたい現象としてのスラム街のように耐えがたい現実といえます。ところで、そうした二十世紀的な現実に顕在化している「権力」の過剰という現象に対して、われわれは、いかなる分析の手段ももってはいなかった。」
「そう、一般に堅固なる「方法」によって未知なる対象にたち向かうか、あるいはまた、既知の対象でありながらもそれらの分析が充分でなかったものに新たな「方法」をつくりあげる。それが理性的なことにあたるやり方というものですが、わたしのやりかたはまるで理性的なものとはいえない。むしろ僭越きわまりない錯乱的なやり方だといえる。というのも未知の対象をめぐって確立されざる「方法」で話をしているからです(笑)。」(本文より)

217 私たちは自分が汚れた種であるかのように感じた 久保田淳訳
 仏訳J・シャヴィ、「シュピーゲル」紙、三一巻、五二号、一九七七年十二月十九日、77-78ページ。

「東ベルリンへ行くことは私にとって重要だった。なぜなら、ドイツ一般について、それがあたかも、分割という現実においてよりも神話的な一体性において、強固に存在しているかのように語るフランス人たちを、私は信用できなかったからである。」(本文より)

218 権力と戦略 久保田淳訳
 (J・ランシエールとの対談)、「レヴォルト・ロジック」誌、第四号、一九七七年冬、89-97ページ。

「平民「そのもの」〔《la》plebe〕はおそらく存在しないが、「いくらかの」平民性〔《de la》plebe〕は存在している。諸々の身体や、諸々も魂の中に、いくらかの平民性がある。それはいくらか、諸個人の中にも、プロレタリアートの中にもあるし、ブルジョアジーの中にもある。しかしそれには広がりがあり、その形態や、エネルギーや、還元不可能性の程度はさまざまである。こうした平民の部分は、権力関係の外部であるというよりは、その限界であり、その裏面であり、その撥ね返りなのである。それは権力のあらゆる突出に対して、そこから抜け出そうとする運動によって応じる。したがってそれは、権力の網の目が新たに発展するための動機となるのである。」
「そして今日における理論の役割は、まさに次のとおりだと思われる。すべてをしかるべき場所に配置するような包括的な体系性を編成ないこと。そのかわりに、諸々の権力メカニズムの特殊性を分析し、さまざまな結合や広がりを明らかにし、ひとつの戦略的な知を徐々に組織していくこと。」(本文より)


UP:20031114 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1990/9400fm06.htm
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