フーコーのビオ・ポリティック

Michel Foucault)(1926.10.15~1984.6.25)

ミシェル・フーコー(Michel Foucault)(1926.10.15~1984.6.25)

2010-07-17 23:15:21 | 日記
ミシェル・フーコー(Michel Foucault)(1926.10.15~1984.6.25)


生涯   フランスのポワティエに医者の長男として生まれる。1948年に哲学学士号、49年に心理学の学士号を取得。1952年に精神病理学の資格を取得してパリのサンタンヌ病院で研修する。1954年、リール大学、55年にスウェーデンのウプサラ大学、58年にポーランドのワルシャワ大学を経て、1960年にクレルモン・フェラン大学講師を経て教授となる。66年からはチュニジアで哲学を教え、68年3月に学生の政治運動、また1968年の五月革命に接し、ある思想を真理と考えて行動する「主体」に対する分析の重要性に気付く。1969年にコレージュ・ド・フランスの教授に就任する。1984年に『快楽の活用』『自己への配慮』を出版直後、敗血症により死去。フーコーがエイズに感染しており、その死がエイズによるものであったということは当時は公表されることがなかった。

思想 【フーコーの考古学】

 フーコーの考古学とは、ニーチェの系譜学の影響を受けてフーコーが案出した方法である。この方法によって問題とされるのは、テキストに隠された主題などではなく、その時代の人々が無意識に従っている規則である。これは発展や連続性を前提とする歴史とは異なり、段階的追跡をするのではなく、資料を横断してそこに特有の構造を浮かび上がらせるものである。フーコーにおいて、人々を規定する構造はギリシア語で「知」を表すエピステーメーと呼ばれ、その資料はアルシーヴと呼ばれている。エピステーメーとは人々が物を見る際の眼差しの前提であり、その眼差しにより作られた物の秩序に従って、人は物を認識する。また、この方法の特徴として、エピステーメーの転換の動機に対しては考察を及ぼさないということがある。

 『言葉と物』において、フーコーは、中世以降の西洋には①中世とルネサンスのエピステーメー、②17世紀半ば以降の「古典主義時代」のエピステーメー、③19世紀初頭からの近代のエピステーメーという3つの時代的に固有の知の枠組みがあったと指摘する。中世には、類似という概念がそれであり、これが転換した後には、『ドン・キホーテ』のように類似の法則に従おうするがその試みは失敗し、混乱を引き起こすということが起こる。そして次のエピステーメーとしての比較が取って代わったということを、フーコーは主張している。近代になり、労働の概念が主流となり、経済学、生物学、言語学などが実存としての人間を対象とするにいたって、「人間」が主体であり客体でもある人間科学が成立した。しかし、その延長としての文化人類学のレヴィ=ストロース、精神分析におけるラカン、ソシュール以降の言語学において、ともに人間の限界が明らかになりつつあったことから、フーコーは人間という概念が終焉することを説いており、このことを新しい学の出発点にしなければならないとする。

【フーコーと権力】

『監獄の誕生』において、フーコーは、17世紀から18世紀にかけて、人間の身体を支配の対象とする思想が形成されたと考えている。そして、権力に従順な身体を作り出すために閉鎖的な空間に個人を配置して位置を決定し、時間を細かく配分する。また、この配置は、試験を課すことにより、入れ替えることができる。それに不合格となった者は処罰され、それへ合格した者は真理への近さを誇り、それを人に強制できる権力を手に入れる。こうして個々人を把握することにより、一斉に命令を行なうことができるようにする。フーコーはこれをディシプリン(規律)と呼んでいる。この試みを建築に表現したものがパノプティコン(一望監視装置)であり、中央の監視塔から囚人を監視するという構造は、監視されていると感じることによって個人の中に内なる監視者を設けさせ、少数者の監視ですみずみまで管理の眼差しが広がることになった。こうして、パノプティコンは近代資本主義社会のモデルとなり、権力に従順な道徳的な主体が作り出されたとフーコーは考えている。

 『監獄の誕生』における権力は規律する権力であったが、近代になってそれだけでは説明のつかない事態が起こってきた。西洋は国民の生命を気遣いながら、同時にホロコーストなどの非理性的な行為を行なった。このことを説明するためにフーコーが主張したのが、生‐権力(生を与える権力)であり、これはキリスト教における司牧者権力(パストラ)から着想を得たものである。司牧者権力とは、信徒の魂の幸福という利他的な名目のもとに、信徒の内面をも管理しようとする権力であり、これによって「告白」が重視されることになった。フーコーは近代の福祉国家によりこの権力が取り入れられたとし、『性の歴史』の第1巻である『知への意志』では、労働力の視点から人口を課題として、その根本である性を管理しようとしたことが指摘されている。また、同書でフーコーは自らの権力の定義を示したが、それによれば、権力は既存のマルクス主義的な二項対立的権力ではなく、①揺れ動く諸関係の中に成立し、②あらゆる社会現象の中に権力関係は生じ、③小集団で生み出されるミクロな権力が全体を統括する基盤となるとし、権力は④諸関係の中でふるわれるが、⑤権力への抵抗は権力の内部にあるということであった。



【フーコーと性(セクシュアリテ)】

 フーコーは『性の歴史』の第二巻『快楽の活用』において古代ギリシアにおいて性行動がどのように哲学者と医師により問題として構成されたのかということから叙述をはじめ、性行動に関する規範=基準の形成を描こうとした。この書においてフーコーは、知(学問体系)がいかに性に関する規律化を行なってきたのかを論じたのである。17世紀に性に関する言説の抑圧が始まったとされているが、それにも関らず現代に至るまで性に関する言説が爆発的と言っていいほどに増加しているという現象が見られるのはなぜなのかをフーコーは問うた。この問いへの答えとして、フーコーは権力が性について語ることを要請したからであるとした。すなわち、18世紀には労働の視点から、人口のおおもとである性を管理しようとし、18、19世紀には、一夫一婦制を正常とする考え方が広まり、少年や狂人、同性愛者の性行動が問題にされてくるようになったとする。そして露出狂や冷感症などの性的倒錯者を位置づけ、分析の対象とされるようになる。そして西洋以外には「性愛の術」があり、人々はそこから経験的に真理を取り出していたが、西洋においては「性の科学」が「知である権力」として「告白」を通じて行なわれる。このことは西洋近代に特徴的な現象であり、この「告白」によって、近代的な主体が形成されたということをフーコーは論じている。『快楽の活用』の序文では、続巻の『自己への配慮』では紀元後1、2世紀のギリシア、ローマにおいて性の活動がどのように問題として構成されたのか、第4巻『肉体の告白』では肉体に関するキリスト教の教義と司牧者準則の形成について描くことを予告していたが、第4巻は刊行されないままフーコーは死去した。



【フーコーと歴史】

 フーコーの方法は、学の前提の段階において本来歴史学とは対立するものであったが、フーコーの歴史学への影響には特筆すべきものがある。それは、フーコーの研究が、自明なものであるはずの「理性」や「真理」といったものが、実は歴史的産物であったということを明らかにするものであったからであり、また精神医療のイデオロギー的出自を暴くものであったからに他ならない。それらは、近代というものを問い直す性格を帯びていた。、歴史学の課題である全体と個別の関係を整合的に叙述することに成功しているということにも注目すべきであろう。フーコーは、1962年に行われた「前工業社会のヨーロッパにおける異端と社会」と題した歴史学者集会において多くの歴史学者とともに報告を行っている。これに共鳴したのが、フィリップ・アリエスやジャック・ルゴフなど、同じフランスの歴史家達であり、彼らはフーコーが取り扱ったような主題(病気と医療、犯罪と処罰、逸脱、教育、家族)を自らの研究主題とした。この動きは「社会史」として雑誌『アナール』を中心に広まり、今日に至っている。



主要著作 Folie et deraison:Historie de la folie a ?age classique,Paris,1961.
  田村俶訳『狂気の歴史―古典主義時代における』新潮社、1975年

Naissance de la clinique:Une archeologie du regard medical ,Paris,1963.
  神谷美恵子訳『臨床医学の誕生』みすず書房、1969年

Les mots et les choses:Une archeologie des sciences humaines ,Paris,1966.
  渡辺一民・佐々木明訳『言葉と物』新潮社、1974年

?archeologie du savoir ,Paris,1969.
  中村雄二郎訳『知の考古学』河出書房新社、1970年

Surveiller et punir:Naissance de la prison,Paris,1975.
  田村俶訳『監獄の誕生―監視と処罰』新潮社 1977年

Historie de la sexualite, 3 tomes, Paris, 1976, 84.
  渡辺守章・田村俶訳『性の歴史』3巻 新潮社、1986、87年

(『性の歴史』第4巻として『肉体の告白』の刊行が予定されていたが死去のため刊行されなかった。)



参考にした
文献 桜井哲夫『フーコー 知と権力』講談社、2003年
中山 元『フーコー入門』筑摩書房、1996年
福井憲彦「フーコー」(『20世紀の歴史家たち(3)』刀水書房、1999年、所収)
渡辺守章訳『性の歴史Ⅰ 知への意志』新潮社、1986年
田村俶訳『性の歴史Ⅱ 快楽の活用』新潮社、1987年


執筆者 文学部日本史学専修3回生 森榮 倫(2004年2月現在)