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沖縄戦教科書検定の撤回を求める練馬の会

市民の声を文部科学省へ 練馬区議会から、高校歴史教科書の沖縄戦「集団自決」検定撤回を求める意見書の提出を!

「大江・岩波沖縄戦裁判」大阪高裁報告

2008年12月08日 | Weblog
 10月31日、「大江・岩波沖縄戦裁判」の大阪高裁判決がありました。
 この訴訟は、沖縄戦当時、慶良間列島座間味島の戦隊長だった元陸軍少佐と、同渡嘉敷島の戦隊長の弟が、米軍の上陸に際して起きた住民の「集団自決」(強制集団死)について自分(と自分の兄)は「命令」していないのに「命令」したと書かれ、名誉を毀損されたと起こしたもので、今年3月の大阪地裁で原告側敗訴の控訴審です。
 地裁判決当日にも大阪に行きましたが傍聴券の抽選ははずれ。今回も300名ほどの傍聴希望者が並び、予想どおりはずれでした。
 地裁判決を覆すようなものが原告側から何も出ないどころか、「新証言」として提出された「村長から口止めされた」という宮平氏の証言は、「被告」側の弁護士から、その時村長はすでに亡くなっていたと論破されています。一審判決が高裁でひっくり返されるはずはないとは思っていましたが、裁判長の口から判決が言い渡されるまでは、やはり一抹の不安もありました。
 午後2時の開廷。
 練馬で結果を待つ仲間に送るべく携帯電話をカメラモードにモタモタと設定していると、平井さんが「控訴棄却!」の紙を持って飛び出ていらっしゃいました。

「やったー!」 当然の結果とは言えやっぱりうれしい。琉球新報の知り合いの記者の方に、「良かったですね!」と話しかけると、「うれしいです。ありがとうございました。」と言われました。地域で取り組んだ小さな集会や昨年12月の文科省要請&文科省前宣伝行動など彼がいつも取材に来てくれたことが思い出されて、思わず涙ぐんでしまいました。
 その後18時から報告集会があり、判決要旨が出されました。
【判断の大要】には「座間味島及び渡嘉敷島の集団自決については、『軍官民共生共死の一体化』の大方針の下で日本軍がこれに深く関わっていることは否定できず、これを総体としての日本軍の強制ないし命令と評価する見解もあり得る。」とし、地裁判決同様、「控訴人梅澤及び赤松大尉自身が直接住民に対してこれを命令したという事実(最も狭い意味での直接的な隊長命令-控訴人らのいう『無慈悲隊長直接命令説』)に限れば、その有無を本件証拠上断定することはでき」ないとしながらも、<太平洋戦争及び沖縄ノートが出版のころは>「梅澤命令説及び赤松命令説は学会の通説ともいえる状況にあった。」「『沖縄ノート』の記述が意見ないし公正なる論評の域を逸脱したとは認められない。」とありました。
 また【証拠上の判断】においては、梅澤が本部壕で自決してはならないと厳命し、村長が忠魂碑前で住民に解散を命じたのを聞いたとする宮平新証言について「明らかに虚言であると断じざるを得ず、これを無批判に採用し評価する意見書、報道、雑誌論考等関連証拠も含めて到底採用できない」としました。この中にある意見書とは藤岡信勝が裁判所に対して出した実にいいかげんでひどい文章で、高裁のこの判断を読んだ時は本当に胸のすく思いでした。
 さらに「被告」側弁護人が最終準備書面で展開した、公表されている書籍の出版等差止めに関する基準について判決は厳しい要件を示しました。そして表現の自由に対して「公共の利害に深く関わる事柄については、本来、事実についてその時点の資料に基づくある主張がなされ、それに対して別の資料や論拠に基づき批判がなされ、更にそこで深められた論点について新たな資料が探索されて再批判が繰り返されるなどして、その時代の大方の意見が形成され、さらにその大方の意見自体が時代を超えて再批判されてゆくというような過程をたどるものであり、そのような過程を保障することこそが民主主義社会の存続の基盤をなすものといえる。(中略) 仮に後の資料からみて誤りとみなされる主張も、言論の場において無価値なものであるとはいえず、これに対する寛容さこそが、自由な言論の発展を保障するものといえる。」という判断は、素人の私にも感動的なものでした。
 
 今回の裁判は原告の自らの名誉が毀損されたという怒りから始まったものではなく、「新しい歴史教科書をつくる会」や「自由主義史観研究会」などの歴史修正主義グループとその思想を奉じる弁護士たちによって、日本軍(皇軍)の名誉回復や「集団自決」住民自らが国に殉じようとした「清い死」であるという思想を日本社会に押し付けようとする、非常に政治的なものでした。けれども、地裁判決は重たい事実を抱えて生きてきた沖縄の人たちの証言を具体性、迫真性、信用性があると認定し、今回の高裁判決もまた、上述したように原告側が作り出した「証言」を「虚言」として退け、かつ言論の自由について真摯な判断を示したことに感銘を受けました。
 
 かつての安倍政権はこの裁判を理由として、高校歴史教科書の「集団自決」(強制集団死)記述から軍による強制を削除させました。現在、一定の記述の回復はなされたものの、検定意見はいまだそのままに残っています。原告側は最高裁に上告しましたが、私たちは上告の棄却を求めると同時に、もう一度沖縄の人たちとともに、さらにさらに輪を広げ、文科省・国に検定意見の撤回の声をあげなくてはならないと改めて思いました。
            LOL 

教科書検定意見撤回を求める4.24全国集会

2008年05月03日 | Weblog
4月24日(木)夜、豊島公会堂で教科書検定意見撤回を求める4.24全国集会が、首都圏の会(東京)、大江・岩波裁判支援連絡会(大阪)、平和教育をすすめる会(沖縄)、沖縄戦教科書検定撤回を求める市民の会・東京、教科書・市民フォーラムなど13団体の共催で開催された(参加350人)。私たち、沖縄戦教科書検定の撤回を求める練馬の会も、「沖縄戦教科書検定撤回を求める市民の会・東京」の一員として2月の集会企画の段階から加わった。3月末の大江・岩波裁判勝訴判決を受け、沖縄戦に関する検定意見撤回と記述復活、そして教科書検定制度の抜本的改革を求める集会であった。



●大江・岩波沖縄戦裁判地裁判決報告
    小牧 薫さん(大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会事務局長)
3月28日(金)10時4分、大阪地裁102号法廷で深見敏正裁判長は「原告らの請求をいずれも棄却する」と全面勝訴の主文を読み上げた。時間は10分足らず。法廷から旗出し担当が駆け出し、旗を見た支援者のなかには涙する人もいた。その日の毎日新聞夕刊1面にはこの写真が大きく掲げられた。
勝訴の要因は6つある。62年の沈黙を破り何人もの体験者が新たな証言をされたこと、大江さん・金城重明さん・宮城晴美さんの奮闘、慶良間に赴いた3人の弁護士が証拠固めをしたこと、沖縄県民の支援、支援団体3団体と被告・弁護団の連携、民事では異例の15,636筆に上る公正裁判要請署名、である。
これから控訴審が始まるが、高裁宛て署名を6月末までに集め7月初めに提出したい。
大江さんには「本土と沖縄」を対立させる視点を考え直していただき、また「集団自決」と酷似する「集団自殺」でなく「強制集団死」という用語を使うよう求めたい。

●教科書検定制度の問題点を暴く
    俵 義文さん(子どもと教科書全国ネット21 事務局長)
文科省は検定の目的を「全国的な教育水準の維持向上、教育の機会均等の保障、適正な教育内容の維持」等としているがこれは建前にすぎない。本当のねらいは「指導要領に忠実な教科書をつくらせ、その教科書を忠実に教えさせる」ことである。1993年9月文部省の清水潔教科書課長がそう述べた。「教科書『で』教える」ではなく「「教科書『を』教える」のが文科省の方針だ。
また検定は検定規則でがんじがらめにされ、原発の危険性や自衛隊について政府見解や与党見解が絶対正しいという前提で実施される。そして文科省内で「先生」と呼ばれる教科書調査官が絶対的な権力を握っている。先進国には例をみない検定制度である。こんなでたらめな検定制度は抜本的に改革する必要がある。
教科書ネット21、平和教育をすすめる会、首都圏の会、大江・岩波裁判支援連絡会、平和教育をすすめる会の4団体は共同で25日に「抜本的な改革を求める要請」を文科大臣に提出する。大きな世論をつくりだし、検定制を改めさせたい。

●理科教科書検定の実態と学界からの批判
    小佐野正樹さん(教科書シンポジウム世話人会)
検定意見数を教科別にみると小学校では理科と家庭科が群を抜いて多い。1点当たり平均意見は全体では19だが、理科は33、家庭科が38に上る。理科教育は科学的な真実を教えることが重要なのに、指導要領の文言を杓子定規にあてはめる書き換えが横行している。
こうした検定に、2002年7月、日本物理学会、日本化学会など13学会で構成する理数系関連学会教育問題連絡会は「教科書検定は非常に重大な問題を抱えており、教科書検定そのもののあり方について根本的に再考すべき時期に来ている」という「意見書」を提出し、批判の声をあげている。
いま問題になっている歴史教科書だけでなく、広範な人の声が広がっている。最終的には検定廃止をめざし、今後もがんばりたい。

●世界から見た日本の教科書検定――私の経験を通して
    暉峻淑子さん(埼玉大学名誉教授)
かつて三省堂の教科書の執筆をしたとき220か所もの検定意見が付いた。「国と地方自治体」を「国・地方自治体」にしろとか、「集中豪雨的輸出」という表現は品がないなど、どうでもいいような細かい修正意見が大半だった。編集担当者にどうしてこんなことを文部省はチェックするのか」と尋ねると「おまえの書いたものに、これだけバツをつけてやったぞ、と示したいのでしょう」とのことだった。文部省のいうとおりにしないと出版させないと言いたいだけの検定だと感じた。
わたしは「豊かさとは何か」(89年岩波新書)に、1988年荒川区の老女が、生活保護を無理に辞退させられた結果、福祉事務所に抗議の手紙を残して自殺したことを書いた。日本書籍が中学公民の教科書に一部要約の形でコラムにして引用したところ、91年度の検定で文科省は「事実関係に誤りがあるとみられる」「生活保護行政に対する見方が一面的」との検定意見を付けて全文削除させた。根拠は88年11月の厚生省社会局長の国会答弁だった。
わたしは頭に火の粉が降りかかってきたように感じた。老女の遺書、観察医務院での死体検案書に対する説明などを示し、96年7月、3年がかりで厚生大臣と文部省教科書課長の謝罪文を勝ち取った。文部省に元の記述に戻してほしいと要望すると「周囲の情勢が変わったので再検定可」という理由で、元に戻った。この点、今回の沖縄戦記述と似ている。
粘りに粘った結果だったが、その間自分を支えたのは「やはり正しいことは正しい」「こんなことはほっておけない」という素朴な気持ちだった。
ドイツには国の検定がなく、州の検定がある。ナチスの時代に日本と同様の間違いを犯したが、どうしても時の政権の言いなりになるという反省からだ、州の検定があるといっても日本のものとはまったく違う。検定委員は、労組、弁護士、政党支持者など多彩だ。不合格にするときは必ず詳細な理由書を付ける。出版社は反論の鑑定書を出す。もう一度検定委員全員で検討し、著者の言い分も聞いてOKとなれば復活する。いろんな意見があっても、論拠があればOKというスタンスだ。
「日本では家永教科書訴訟のように戦争中の残虐な写真や文章表現は削除されるが、ドイツではどうか」と教科書研究所の人に問うと「戦争はつねに残酷だ。もし戦争の残酷さを教えないとすれば、どうして人間が平和を心から志向することがありうるだろうか」との答えが返ってきた。
ドイツでは教科書しか使わないとなまけものと評価され、自分が勉強したことをプラスして教えるべきとされている。学校の授業参観で、自分のクラスの子どもたち用の辞書をつくって渡している先生をみた。移民の子もいれば、いろんな知識階層の子がいるが、学校で責任をもって教えるためだとのことだった。また、今日授業に出てきた単語を使い、身振り手振りを付けた歌をつくり歌っている先生もみた。いま目の前にいる生徒に創意をこらした授業をしており、独創性が認められるようになっていた。
イギリスではそもそも検定がない。小学校1年の算数の授業をみたことがある「1」を教える授業で生徒に「生活のなかの1」を問いかけると、「1冊本を読んだ」「電車に1回乗った」「階段は1の集まり」などの答えが返ってきた。次の授業は「2」を教えた。
これからますます知識社会になるといわれるが、まっとうな判断力を備える教育がよいのか、日本のような教育がよいのか、どちらがいいかは明らかだ。

そのほか、石山久男・歴史教育者協議会委員長から「検定意見撤回と記述回復の取組」、山口剛史・平和教育をすすめる会事務局長から4月5日沖縄で開催された教科書シンポジウムと4月16日の文科省への検定意見撤回要請の報告、大浜敏夫・沖縄県教職員組合委員長から3月23日雨にもかかわらず6000人が集まった「米兵事故に抗議する県民大会」の報告、浦添出身の埼玉大学生の「沖縄は沖縄だけでは解決できない問題を抱えているが、本土の人に共有されていないことに違和感を感じるようになった。社会の体験が歴史であり、そのことが人間が歴史を学ぶ意義である。歴史は事実に基づくことが重要だ」というアピールなどがあった。
最後に寺川徹・首都圏の会事務局長から、検定意見撤回では4月25日の文科省要請行動、大江・岩波裁判では6月末に高裁宛て署名集約すると今後の取組が発表された。集会アピールを採択し、松田寛・沖縄県高等学校障害児学校教職員組合委員長の「団結がんばろう」で会を閉じた。
多面体

大江・岩波沖縄戦裁判に勝訴判決

2008年04月13日 | Weblog
3月28日午前10時から、大阪地方裁判所において、大江・岩波沖縄戦裁判の判決言い渡しがありました。
当日は練馬の会からも4名が傍聴支援に参加しました。

当日は、さすがにマスコミの注目度も高く、大勢の報道陣がカメラを構えて待機していました。一方、予想していた原告側支援の右翼団体などの情宣活動などはなく、静かに傍聴券の抽選を待つという状況でした。
傍聴券65枚に対して、傍聴希望者は469人。9時45分に抽選結果が発表されました。練馬のメンバー4人のうち1名が当選しましたが、大阪や沖縄の支援者に譲り、練馬メンバー4人は、裁判所の外で判決を待つことにしました。
報道陣がカメラを構えてスタンバイしている裁判所前の歩道で、用意していったピンクの横断幕を広げました。コピーは「曲げたらあかん 歴史の真実」。たちまち、みんなの注目を浴びて、カメラマンからは、結果の速報を伝える垂れ幕が出てきたら、その後ろに回って広げて欲しいというリクエストも出されました。
そうこうしていたら、早々と垂れ幕を持った大阪の支援者の平井さんが出てきました。
平井さんが、広げた垂れ幕には、「大江・岩波勝訴」の文字。待っていた支援者から、拍手と「おー! 」「やったー!」の声が上がりました。すかさず、ピンクの横断幕は平井さんの後ろに回り込み、カメラのフラッシュを浴びることになりました。当日の夕刊各紙には、この横断幕をバックに垂れ幕を広げた平井さんの写真が大きく報道されますが、あの写真の大きさには、私たちの横断幕も一役買ったと言えるでしょう。
中には、涙を流して喜ぶ支援者もいました。



20分ほどしたら、法廷も終わり、傍聴者も出てきたので、裁判所内の駐車場で、大阪の支援の会の小牧さんから判決要旨の簡単な報告がありました。判決内容は、直接の隊長命令を認定することまではなかったが、かなり踏み込んだとてもよい判決だったとのことがわかり、支援者はみな大喜びでした。
このあと、午後2時からの報告集会までの空き時間に、練馬メンバー4人は、おいしいうどんで腹ごしらえをして、大阪城へ向かい、大阪城と桜をバックにまた横断幕を広げて記念撮影でした。

2時からの報告集会にもたくさんの人が集まり、会場は超満員でした。
判決内容の詳細などは、各支援の会のHPを参照ください。

のんべえH