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沖縄戦教科書検定の撤回を求める練馬の会

市民の声を文部科学省へ 練馬区議会から、高校歴史教科書の沖縄戦「集団自決」検定撤回を求める意見書の提出を!

光が丘で第5波署名要請行動

2007年11月04日 | 集会・イベント報告
11月3日(土)12時、これまで大泉学園駅頭や自衛隊閲覧式反対集会(大泉公園)で区議会への意見書採択署名要請行動を行ってきたが、この日は、初めて光が丘IMA前で署名の呼び掛けを行った。11月に入り並木の木々の葉が赤や黄へ色づき始めていた。
設置するのに苦労したが、5mの大横断幕を貼った。
参加したのはサンシン奏者3人を含め11人。

横断幕とサンシンの音色の効果は絶大だった。足を止めてわたしたちのアピールに耳を傾けてくれた高校1年女子のグループもいた。
1年生は地理、歴史は2年生で学習するとのことだったので、
――これって、キミたちが来年使う教科書のことだよ。
高校生たち「そうか。」
――オキナワの新聞見たことないだろ。これだよ。
9.27沖縄県民集会の2p見開き新聞をパネル貼りしたものを見せると、生徒の何人かが読み始める。
高校生たち「知ってる、これ!」
「どうする?」なーんて言ってるうちに、パタパタと署名の記入が始まった。

1時間あまりの行動で熟年世代の方、子ども連れの主婦など127人もの市民の方が署名に協力してくださった。これで署名は5100になった
杉並、千代田、豊島に続き練馬区議会も早く意見書を採択してほしいものだ。                                                       
                   多面体

沖縄県民集会 高校生のスピーチ

2007年10月27日 | 集会・イベント報告
11万人が結集した沖縄県民集会から1ヵ月たった。あの集会でとくに感動を呼んだ高校生のスピーチは、最後の「たとえ醜くても、真実を知りたい、学びたい、そして伝えたい」というフレーズが有名だ。インターネット新聞JANJANに出ていたものをテープ起こししてくださった方がいるので全文掲示する。
 (なお上記JANJANで肉声も聞ける 6分48秒) 

読谷高校3年津嘉山拡大(こうだい)さん、照屋奈津美さんのスピーチ 
津嘉山さん
「『沖縄戦での集団自決に、日本軍の強制があった』という記述は、沖縄戦の実態について誤解する恐れがある表現である」、ある日の朝、私の目に飛び込んできた、この新聞記事・・・私は「誤解」・・・という検定意見書の言葉に、目を奪われました。
この記述をなくそうとしている人たちは、私たちのおじい、おばあたちが ウソをついていると、言いたいのでしょうか、それとも・・・思い違いだった、と言いたいのでしょうか。 私たちは戦争を知りません。ですが、一緒に住むおじい、おばあたちから、戦争の話を聞いたり、戦跡をめぐったりして、沖縄戦について学んできました。
おじい、おばあたちは、重い口を開き、苦しい過去を教えてくれました。死体の山を越え、誰が敵で、誰が味方かわからなくなる、怖さ、大事な人を目の前で失う悲しさ、そして、悲惨な集団自決があったことを・・・なぜ、沖縄戦で自ら命を絶ったり、肉親同士が命を奪い合う、という残酷なことが起こったのでしょうか? 
住民は事前に「敵につかまるくらいなら死を選べ」、「米軍の捕虜になれば、男は戦車でひき殺され、女は乱暴され殺される」、という教育や、指示を受けていた、そう言います。さらに、手榴弾が配布されました。極限状態に置かれた住民たちは、どう感じたでしょうか?・・・手榴弾を配った日本軍は、明らかに自決を強制していると、思います。
わたしたちが住んでいる読谷村には、集団自決が起こったチビチリガマがあります。ガマの中は窒息死をするために火をつけた布団の煙が充満し、死を求める住民が毒の入った注射器の前に、列をなしました。母がわが子に手をかけたり、お互いを刃物で刺しあい、80人以上もの尊い命が、奪われました。その中には 年寄りから、まだ5歳にもならない子どもまでもが含まれていたのです。

照屋さん
集団自決や、教科書検定のことは、私たち、高校生の話題にもあがります。教科書から集団自決の真相のことが消されるなんて、考えられない・・・たくさんの犠牲者が、実際に出ているのに、どうして、そんなことをするのだろう?私たちは、「集団自決に軍の関与があった」ということは、明らかな事実だと考えています。
なぜ、戦後60年以上を過ぎた今になって、記述内容を変える必要があるのでしょうか? 実際にガマの中にいた人たちや肉親を失った人たちの証言を否定できるのでしょうか? 
わたくしは将来高校で日本史を教える教師になりたいと思い、勉強をしています。このまま検定意見が通れば、 わたくしは歴史を教える立場になったとき、教科書の記述どおり、事実ではないことを教えなければいけません。分厚い教科書の中の、たった一文、たった一言かもしれません。しかし、その中には 失われた多くの尊い命があるのです。2度と戦争を繰り返してはいけないという、沖縄県民の強い思いがあるのです。
教科書から集団自決の本当の記述がなくなれば、次は、日本軍による集団自決の記述まで消されてしまう心配があります。ウソを真実と言わないでください。私たちは真実を学びたい。そして、次の世代の子どもたちに、真実を伝えたいのです。

津嘉山さん
 教科書から、軍の関与を消さないでください。
 あの醜い戦争を、美化しないでほしい。


津嘉山さん照屋さん
 たとえ醜くても、真実を知りたい、学びたい、そして伝えたい。
                    多面体

教科書検定意見撤回を求める10・15総決起集会の報告

2007年10月17日 | 集会・イベント報告
東京沖縄県人会、沖縄戦首都圏の会が星陵会館で開催した総決起集会に、練馬の会から10人近いメンバーが参加した(主催者発表650人)。

意見書採択を報告する国立市民と壇上の国会議員たち
この日朝、那覇空港を出発した沖縄県からの要請行動参加者は200人近くに上った。沖縄からの参加者も含め、会場は3階席まで満席、立ち見の人も多い盛況ぶりだった。この問題に国民がいかに強い関心が寄せているかを表す集会であった。
1 国会議員、決意を語る
この日出席した国会議員(敬称略)は、民主・川内博史、喜納昌吉、公明・遠山清彦、社民・照屋寛徳、辻元清美ほか、共産・市田忠義、赤嶺政賢など9人、無所属・糸数慶子、川田龍平、と20人近い議員、自民以外の超党派の参加を得た。会場での発言からピックアップした。
川田龍平 参議院議員 無所属
わたしは1995年、19歳のとき実名を公表し薬害エイズの原告の一人として国を告訴した。その年、はじめて沖縄の平和祈念資料館を訪ね、むごい死体の写真をみた。東京に戻ると米兵少女暴行事件が報じられていた。沖縄の問題は教科書や辺野古だけではない。沖縄の問題を、過去の問題、被害者だけの問題とせず、今後も自分の問題として考えていきたい。
市田忠義 参議院議員 共産党書記局長
赤嶺政賢議員が11日の衆院予算委員会で、文科省提供の資料をもとに、この問題の発端を明らかにした。文科省調査官の「軍関与は、誤解するおそれのある記述」という調査意見書である。担当局長ら7人の決裁印があった。審議会には沖縄の専門家はおらず、だれからも意見が出なかった。そのうえこの調査官は沖縄戦の専門家の意見も聞いていないので学術的・公正な検討の結果とはいえない。文科省の自作自演の政治介入であったことは明々白日である。道理と大義はこちらにあるので、検定意見を撤回させ歴史の真実を回復させたい。
2 ひめゆり学徒の沖縄戦体験 上江田千代さん(ひめゆり同窓会東京支部副会長)
わたしは1944年4月に沖縄師範女子部に入学し、45年5月15歳のときに豊見城村の壕で働いた。入ると負傷者の血と汗と尿の臭いで気分が悪くなったが、すぐに慣れた。負傷者は歩けない人が大半。壕には軍医も衛生兵もおらず、わたしの仕事は1日1食のおむすびを握ることと水を飲ませることだった。負傷者が死ぬとすぐ外の穴に落として埋め、すぐ新たな負傷兵が運ばれてくるという繰り返しだった。壕の移転命令が出たが、歩ける人だけ連れて行く方針だったので全員に自決用の手榴弾が配られた
ある将校から「親元に帰るように」と諭され、どうせ死ぬなら両親といっしょにと思い実家に戻った。
しかしそれから先が悲惨だった。日中は米軍の艦砲射撃があるので夜しか行動できない。足元はバラバラになった死体、ときおり「水をください」と泣くような声がするが、かまっていられない。
満員のガマの入り口に避難した。そこに米兵が現れ日本語で「抵抗しないで出てこい」と言った。もちろんだれも出ないので最後に爆弾が投げられ気絶した。気がつくと回りの人はみんな死んでいたが、奇跡的に母とわたしは無傷で無事だった。外に出て米軍に収用された。弾が降ってくるわけでもなく、青空のもとを堂々と歩けるので、どんなに幸せなことかと実感した。
今から思うとむごたらしいことはたくさんあった。平和憲法を大事にし、今後も歴史の真実を伝えていきたい。
3 首都圏各地域から 意見書採択の取組み
政府への意見書は、沖縄県の41市町村だけでなく、福岡県議会、高知県議会をはじめ地方議会で続々と採択されている。この日は首都圏の4つの市から意見書採択について報告があった。
三鷹市 議員提案を10月1日採択
大城みゆき市議会議員の報告。公明党議員が議会で「検定審議会の委員は沖縄の現地に入って調査すべきだ」との意見を表明した。
わたしには97歳の祖父がいる。オジイが米兵の片言の「外へ出てこい」という言葉に応じたから、いまわたくしがいる。ウチナンチュはみんな遺族だ。今後も沖縄の心を広げていきたい。
国立市 市民からの陳情で9月21日採択
9月12日に総務文教委員会では否決されたが、21日の本会議で採択された。議案が多く、夜11時まで待ってやっと採択された。この日23時半のNHKのニュースで報じられた。
鎌倉市 議員提案を10月9日採択
9月29日の県民集会をテレビでみて「今度は沖縄以外の人が立ち上がる番だ」と思った。午前の文教委員会では4対3、午後の本会議では21対5で可決され、新聞に4段ヌキで報道された。
小金井市 市民からの要請による議員提案を10月9日採択
国立で意見書が採択されたのを知ったが、もはや陳情にする時間的余裕がなかったので10月2日に要望書を提出した。9.29県民大集会の直後という抜群のタイミングだったので、全会一致で可決された。

その他、沖縄からの発言として大浜敏夫・沖縄県教職員組合中央執行委員長、高嶋伸欣・琉球大学教授、中央団体から藤本泰成・「フォーラム平和・人権・環境」副事務局長、米浦正・全日本教職員組合中央執行委員長らのアピールや報告があった。
                          多面体

沖縄県民大会に参加して Ⅰ

2007年10月05日 | 集会・イベント報告

 初めて沖縄に行ってきました。大きな実りをもらって帰ってきました。熱い陽射と涼やかな風。海も空も森も、そして人も!素晴らしい出会いに満ちた2日間でした。
  
  さて、5万人県民集会です。12時に那覇空港に到着し、ワゴンタクシーで会場に向かいます。宜野湾海浜公園に到着し、昼食をとって会場へ。
  
  開始までにまだ2時間もあるのに、すでにヒトヒトヒト!
  会場中ほどにシートを敷いて、荷物を置き、もう一度入口近くに戻って署名を集めることに。
  私は、できるだけ若い人の署名を集めたいと思い、グループで来ている高校生や専門学校生、大学生に声をかけました。当然ですが、話せば断る人はいません。むしろ、東京からまで来てくれて、ありがとう!と言って、丁寧な字で書いてくれます。
  こちらの質問にもまっすぐ目を見て、ハキハキ答えてくれます。この人たちの心には、言葉が届く、という思いで胸が熱くなります。語る言葉を持っているひとりひとりの若者たち。
政府の示している苦い現実はよく分かっていて、でも命が大切という自分たちの思いが通じないはずはないと信じている。どうしてみんなでここに来ることにしたの?と聞くと、「だって、沖縄の人はみんな知ってることなのに、教科書が間違ってるでしょう。」と言ってくれた女の子がいました。こういう子どもたちを育ててきた大人たちを尊敬します。
  読谷高校の男女生徒が声を合わせて、「たとえみにくくても、真実を知りたい、学びたい、伝えたい!」と発言を締めくくった時には、あまりの真っ直ぐさに涙が湧きました。
  彼らの声がまだ耳に残っています。

  例えば東京で、率直に自分の意見を言うことを躊躇する息苦しい空気のなか、自分を守るために、厚い壁を築くことを学ばざるを得なかった多くの子どもたちとは違う、ある意味で幸せな若者たちが沖縄にはたくさんいるのです。
心がひとつになっている人たちの強さ。
  3世代で共有できる歴史観を育ててきた、沖縄の人たちの置かれた困難とそれゆえの粘り強さ。
  
  集会が始まりました。
 誰一人ウロウロしたり、おしゃべりしたりせず、小さな子どもたちも、じっと親の膝に居ます。真剣さが湖のように会場にひろがって、聞こえるのは発言者の声と、上空を旋回する取材のヘリコプターと小型飛行機の音だけです。一人ひとりの発言も、空疎なアジ演説はひとつもなく、心から語っていると感じます。
 斜め前方に、表参道を歩いていても人目を引くだろう、お洒落なカッコいい若いカップルが座っていました。最後の最後まで真剣に参加し、時には涙ぐんでハンカチを取り出します。不謹慎にも私は、きっとあの子たちは途中で帰るに違いない(だって、日傘をさして帽子を被っていても汗が滲み続ける暑さの中ですよ!)と観察していたのですが、見事に裏切られました。
  
  5万人集会は11万人集会になったことが主催者によって発表され、678万9738円ものカンパがその場で集まりました。

  式は以下のように進められました。

  「教科書検定意見撤回を求める県民大会」式次第
   
1、 県民へのアピール(開会の挨拶)  諸見里宏美(沖縄県PTA連合会会長)
2、 「平和の火」リレーの入場・点火   中学生男女
3、 大会実行委員長挨拶         仲里利信(沖縄県議会議長)
4、 沖縄県知事挨拶             仲井真弘多
5、 沖縄県教育委員長挨拶         中山 勲
6、 各団体代表挨拶と発言
(1)地方四団体                 翁長雄志(沖縄県市長会会長・那覇市長)
( 2)高校生                      津嘉山拡大(読谷高校3年生)
                                照屋奈津美(読谷高校3年生)
(3)戦争体験者                    吉川嘉勝(渡嘉敷村教育委員会委員長)
(4)戦争体験者                    宮平春子(座間味村字阿佐)
(5)女性代表                      小渡ハル子(沖縄県婦人連合会会長)
(6)子供会代表                    玉寄哲永(沖縄県子ども会育成連絡協議会会長)
(7)青年代表                      照屋仁志(沖縄県青年団協議会会長)
7、大会決議採択                  西銘生弘(沖縄県高等学校PTA連合会会長)
8、ガンバロー三唱(閉会の挨拶)      仲村信正(連合沖縄会長)
                                                    ネリノ


沖縄県民大会に参加して Ⅱ

2007年10月05日 | 集会・イベント報告

 私は、狭山闘争(74年9月26日、76年10月31日、77年8月23日)で3回、また反核集会(82年5月23日)とか統一だったころのメーデーとかで10万人以上の集会に参加した事は何回もあります。しかし、今回は全然、参加者の質というべきか層というべきかそういうものが全く違いました。「ぐるみ」というのはこういうことなのだと初めて体験しました。団体参加しているのも労働組合等の方が少数。東京でいえば町内会にあたるのでしょうが「区」単位だったり「学区」の旗もあったように見受けられました。また青年会だったり、専門学校としての参加もあったようです。創価学会青年部・婦人部の旗もありました。しかし、それよりも個人や家族単位での参加者の多かったように見ました。私が座っているすぐ前は、女子中学生とお母さん二人で参加していました。
 集会中は、私語が全くと言っていいほどきこえませんでした。狭山闘争なでは集会場にも入らず私語をかわす人は数えられない位いるのとは天と地の差を感じます。そして会場カンパが600万円超!
 また町だけでなく農村にも集会のポスターや看板がいたるところにあり、琉球新報、沖縄タイムスは当日大きく扱っているだけでなく会場行きのバスの無料券を紙面に印刷していました。
 帰りに乗ったタクシーの運転手さんは「今日は(運転手が集会参加のためタクシーの)稼働率は半分だ」と言っていました。それに宮古と八重山でも同時に集会がもたれており、合計六千人集まりました。

 また、集会前に練馬の署名集めを行い30分位で250人分集まりました。琉球新報から練馬の運動についてKさんが取材を受け記事になりました。写真は署名を取っているSさんでした。

 正直、集会参加は誘われていましたが、ぎりぎりまで行くことに迷いました。でも無理をして行って本当に良かったと思っています。この文書を書いている時も感動を思い起こして不覚にも涙ぐんでしまいました。教科書検閲問題では、あと一歩という気がします。練馬区での採択をめざして署名をもう少しがんばりましょう。

 教科書問題だけでなく、ヤマトがこれ以上沖縄を踏みつけにしていいのか。そういう思いを持ち帰ってきました。
                          トラ大好


沖縄県民大会に参加して Ⅲ

2007年10月05日 | 集会・イベント報告
県民大会での最初に読み上げられた、県民へのアピールです。
これは、沖縄の人に向かってだけでなく、私たちへのアピールだと思いました。
砲弾の豪雨の中へ放り出され
自決せよと強いられ
死んでいった沖縄人(うちなーんちゅ)の魂は
怒りをもって再びこの島の上を
さまよっている

いまだ砲弾が埋まる沖縄の野山に
拾われない死者の骨が散らばる
泥にまみれて死んだ魂を
正義の戦争のために殉じたと
偽りをいうなかれ

歴史の真実をそのまま
次の世代へ伝えることが
日本を正しく歩ましめる
歪められた教科書は
再び戦争と破壊へと向かう

沖縄戦の死者の怒りの声が
聞こえないか
大和(やまと)の政治家・文科省は届かないか
届かなければ、聞こえなければ
生きている私たちが声を一つにして
押し上げ 訴えよう

 集会前に会場前で署名をお願いしているとき、女性から「練馬のことは知っています。糸数(慶子)さんも感心していましたよ。本当にありがとう」と声をかけられました。また、おじいさんから「東京から来てくれたの」と頭を下げられ、思わず涙ぐんでしまいました。頭を下げるのはこちらの方だというのに。
                   LOL

9.27沖縄県民大会プレ集会@首都圏の報告

2007年10月02日 | 集会・イベント報告
9月27日(木)、文京区民センターにて、9.27沖縄県民大会プレ集会@首都圏――大江・岩波沖縄戦裁判と教科書検定が行なわれ、練馬の会からも5名が参加した(全体の参加は260名)。
この集会は、大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会(以下・首都圏の会)、大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会(大阪、以下・支援連絡会)、沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会(沖縄、以下・すすめる会)の共催で行われた非常にタイムリーな集会であった。
まず、首都圏の会の俵義文さんの開会挨拶にはじまり、続いて、山内徳信参議院議員が連帯挨拶をした。山内さんは、戦時下、小学校3年生まで徹底した皇民化教育を受けた結果、今でも軍歌を覚えていることを紹介しつつ、教科書が真実を語らなくなった時、戦争へと向かっていくことを強調され、沖縄住民に手榴弾が配られたのは、日本軍が「自決」を強制するためであったことは間違いないと、経験的に話された。そして、壕で死んでいった先輩や同級生のために、平和を守るために闘っていることを涙ながらに強調された。
さらに、支援連絡会事務局長の小牧薫さんが、裁判の経過を中心に報告された。「集団自決」をめぐっては、3月の文科書検定発表以降、これまで黙っていた体験者の方々が次々と証言をなさるようになり、裁判もとても有利に進んでいる。次回の11月5日には、原告(梅沢、赤松)、被告(大江さん)双方の本人尋問があり、12月21日に最終弁論、来年には判決、という日程が示された。
また、すすめる会の山口剛史さんは、95年「米兵少女暴行事件」に対する抗議運動以来の県民運動になっている沖縄の運動状況を紹介しつつ、それは、仲里県議会議長に代表されるような沖縄戦の体験(「軍隊は住民を守らない」)に根ざしたものであることを説明され、この運動が、単に教科書記述を戻すだけでなく、どんな教科書を作っていくかという問題だ、と提起された。
最後に、沖縄戦研究者の立場から、関東学院大の林博史さんが話された。沖縄においても、日本軍がいなかった島では、米軍が上陸しても、「集団自決」はおこらず、住民は犠牲者を出さずに米軍に投降したことを紹介し、このことが「集団自決」が日本軍によって引き起こされた犠牲であることを証明していると話された。
この後、練馬の会から柏木美恵子さんが現在の運動経過を紹介する機会を与えられ、また、東京・沖縄県人会の上原成信さんの発言もあった。最後に、首都圏の会から、今後の行動提起がなされ、10月15日~16日には、沖縄代表団が県民大会の決議を携え上京し(約200名!)、文科省や国会への要請行動を行うので、それに呼応する形での集会や国会行動を行なうことなどが提起された。詳細は今後追って連絡があるそうだ。
集会は盛り上がりの内に終わったが、練馬の会ではその熱気を受けて、会場出口で、早速署名集めを行い、36筆の署名が集まった。また、署名用紙を持っていってくださる方も数人いらした。その後、21日にすでに市議会決議を採択させた国立の方々としばし、交流の時をもった。
                          信

大泉学園駅前で第2回街頭署名行動

2007年09月27日 | 集会・イベント報告
9月22日(土)、大泉学園南口のコンコースで午後3時過ぎから4時半まで、メンバー10名が一般市民に「高校歴史教科書の沖縄戦「集団自決」への日本軍関与に関する記述の回復」を求める区議会宛て陳情への賛同署名をお願いしました。
サンシンを弾く友人も加わり、沖縄民謡のサンシンの音が流れるなかで、私たちの検定撤回への思いを訴えました。
NHKが9月10日の「大江・岩波沖縄戦裁判」那覇出張法廷のことを放映したこともあってか、ちらしは400枚すべてまき切り142名の方が署名してくださいました。
9月8日に同じ場所でやった第1回街頭署名行動のときは、メンバーも5名、署名もごく少数でした。それに比べると本当に多くの方が足をとめてちらしを受取り、署名していただき、メンバー一同感激しました。
家族や友人からも署名を集めたいからと、用紙を持って帰って下さった方もいらっしゃいました。
少しずつではありますが、ここ練馬でも関心が深まって、今回の教科書検定はおかしい、間違っていると思う人が増えているのだと実感しました。
区議会での採択目指して、今後もこの輪を広げていきたいと思います。
                     LOL

9.11集会報告『今、なぜ沖縄戦の事実を歪曲するのか』

2007年09月15日 | 集会・イベント報告
9月11日(火)午後7時から、練馬区の勤労福祉会館にて『今、なぜ沖縄戦の事実を歪曲するのか』<歴史教科書の「集団自決」検定修正をめぐって>と題する緊急集会を開催した。平日夜にもかかわらず165人もの参加者があった。集会の概要は下記のとおり。

1 DVD「命どぅ宝の島から――証言でつづる沖縄戦の真実」「第1章 強制的集団死」の上映
  (制作: 「沖縄に学ぶ」フォーラムin NAHA2006実行委員会)

このDVDは、私立和光小学校と和光鶴川小学校の教員が、真実を子どもたちに伝えたいとの思いから、教材用に作成したもの。全体は7章からなる。

2 講演 『沖縄戦集団死・「集団自決」歪曲と県民の運動について』 山口剛史さん (琉球大学准教授/「沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会」事務局長)

当日、沖縄から駆けつけてくださった山口剛史さんから以下のような講演をいただいた。 

沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育を進める会」は2006年に結成した。そのもととなったのは、「大江・岩波訴訟」の支援ということだったが、単に訴訟支援ということではなく、これは歴史歪曲につながると予想してのスタートだった。
そして、この間、沖縄の検定意見撤回を求め「歴史歪曲を許さない」という一点だけを一致点とする保革を超える運動が、県民大会開催にまで結び付き、この練馬区など全国にも同調する動きが広がり、韓国にも広がろうとしている。あの戦争はどのような戦争だったのか、ようやく日本全国、アジア全体で考え直す運動になってきたことが成果だと思う。
文科省は、隊長の命令があったかどうかわからないから、断定的な記述はできないと言っているが、もともと、検定以前の教科書にも「軍命」とか「隊長命令」ということは一言も書いてない。また、軍の強制がなければ「集団自決」はなかったし、実際に軍命があったことは証言などから通説となっている。
「軍命」があったかどうかということだけで片付けられる問題ではない。
渡嘉敷島の「集団自決」体験者である金城重明さんは、次のように証言している。
「住民には、軍とともに命運をともにするという『軍官民共生共死』と、天皇のために命を捨てることは尊いことだという皇民化思想があった。決して自発的に死のうという意識はなかった。集団死という恐ろしい現実は、家長が妻子を殺すということだった・・・」 
このように、自ら死ぬ「自決」といえるようなものではなかったわけである。だから、「集団自決」ではなく、「集団死」という言い方をしているわけで、「集団自決」と「住民虐殺」は同質・同根のものである。
大江・岩波訴訟も、自由主義史観研究会などが、この教科書検定をにらみながら起こしたものであり、この訴訟を一つの理由に使ってタカ派議員とも結託して、教科書検定にケチをつけるという、教科書検定と一体のものとして進められてきている。
そして、今回の検定以前から、沖縄戦の記述がどんどん削減される「自主規制」が進められてきている。
彼らが、日本軍をおとしめる自虐史観三点セットととらえているのが、(1)従軍慰安婦、(2)南京虐殺、(3)沖縄戦「集団自決」であり、これが終わったら次は住民虐殺へと向かうだろう。
憲法改悪をめざす勢力にとって、自国の軍隊は住民を守らないなどという教訓はあってはならないわけである。
文科省も、検定審議会が決めたことなどと言うが、審議会では文科省の原案がそのまま通されていることが明らかになっている。文科省が主導して恣意的に改ざんが行なわれているわけである。
しかし、このことが逆に、今まで語ることのなかった体験者が、話さなかったことを話すようになるという事態を引き起こしている。
ここまで来たら、あとは政治決着しかないので、国会議員などへの働きかけも含めて、検定を撤回させ2008年度の教科書をもとに戻させるよう取り組みたい。
この問題は単なる沖縄の地域要求ではなく日本全体の歴史をどう学ぶかという観点で、また、これは全国共通の課題であり、ひいてはアジア全体で日本がどのように戦争を総括して学ぶかという課題なのだという観点を、きちんと一致点として確認しながら運動を進められれば、もっともっと大きな輪が全国に広がると思います。

3 報告 『大江・岩波「集団自決」裁判』の現状について  岡本 厚さん (岩波書店) 
岩波書店でこの裁判を担当している岡本厚さんから、裁判の現状について報告をいただいた。

昨日、沖縄で金城重明さんへの出張尋問が行なわれたので、現地へ行った。裁判について沖縄では大々的に報道されているにもかかわらず、こちらに戻るとほとんど何も報道されていないことに、大きな温度差を感じた。
この裁判における原告側の主張は、「住民は軍の足手まといにならないように自ら死んだもので、軍命があったからではない。美しい死だった」というものである。
すなわち、「隊長命令」の有無を根拠に、「軍隊は住民を守らない、むしろ住民を犠牲にした」という事実をひっくり返そうとしているわけである。 
これに対し被告側は、隊長命令があったことを、多くの証拠で立証している。また、仮に隊長命令がなかったとしても、「軍官民共生共死」のもとで、手榴弾まで渡していることから、大きな意味での軍命はあったと主張している。
そして、原告側も、軍命があったと住民が認識していたことは、認めざるを得なくなった。
この夏から証人尋問がはじまっており、次回は11月に、原告本人二人と大江健三郎さんへの尋問が行なわれる。そして12月には結審して、来年3月に判決の見込みである。
今回の検定によって、逆にこの裁判が公になったということがいえる。
というのは、これまで証言をしてこなかった方々、座間味島や渡嘉敷島の人たちが、次々と、こんなことは許すわけにはいかない、こんなことは黙っていられないというかたちで証言を始めたのです。そして県民全体の非常に大きな運動によって、逆に原告側の証人になろうとした人たちが証言をやめてしまったということもあります。
原告側を支援する側の勢力は、今回の検定結果で勝利宣言を出したが、むしろ虎の尾を踏んだ状況といえる。沖縄の人々の怒りの前に、最近では、「大きな意味での軍命があったことは認める。隊長命令があったかなかったかということだけを言っているのだ」と言い方も変わってきている。
教科書検定も、この裁判も、そして辺野古もすべてつながる問題であり、単に沖縄だけの問題ではない。この裁判に勝利して、真実を伝えていく大きな力にしたい。

4 あいさつなど
練馬に住むお二人の方からあいさつをいただいた。
●大嶺隆さん
集会ポスターとして使用した、父親の故大嶺政敏さん作「集団自決供養(ケラマ島)」の絵など、大嶺政敏さんの作品の紹介ならびに解説があった。

●練馬沖縄県人会会長 志多伯泰雄さん
県人会では、政治的問題は避ける傾向にあるが、この問題は決して政治的な問題ではないと考えている。事実を伝えるためにともに取り組んでいきたい。

5 集会実行委員会から
集会実行委員会を代表して、柏木美恵子さんが、なぜこの練馬からこの取組みを立ち上げたかという思いや、これまでの取組みの経過などの報告を行なった。そして、陳情署名が11日現在1800筆以上集まったことを報告し、自分たちの運動はささやかだが、この発信が全国に広がり『命どぅ宝』の言葉が伝わるよう、検定撤回にむけて粘り強く続けていきたいとして、引き続き署名運動などへの協力を訴えた。
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