陽の当たる場所へ

日陰を歩く者は
陽の当たる場所に辿り着くことを夢見て
思考に耽る

人には偉そうに言えるのだけれど…

2005年08月22日 | 研究日記
 今日、研究生が久しぶりに院生室にやって来た。
 今週が提出期限の大学院の入学願書に必要な「研究テーマ」の相談を受けた。
 短い説明を受け、それに対するコメントを求められたので、一応院生でありこの研究生のチューターとしてそれに答えた。とりあえず最後に「もう少し踏ん張って自分がここで何をしたいのかを考えた方がいいよ」と言い、研究生は納得して帰った。

 人には偉そうに言えるのだけれども、いざ自分のことになるとなかなか…
 自分が一体何を研究したいのかという“動機”とこの研究に一体どういう“意義”があるのかということが簡単にわかれば苦労しない。

 学部時代の恩師が“生みの苦しさ”といって「研究は最初にどのようなことをするのかを決めるのが一番苦しい。それさえ決まれば後は簡単だ」と常々言っていたが、本当にそう思う。
 体験や活動、先行研究等々それらを自分なりに十分に把握しておかないと生半可にできるものではない。ましてや思い付きや自由な想像力といった類のもので出来るほど甘くはない。基礎・基本が何より大切だ。
 私の場合、修論発表会の5日前に博士課程の先輩との議論の中で漸くその片鱗が見え、5日間考えに考えて漸く生み出すに至った。そこに辿り着くまでに自分は2年半も費やした。それでも動機と意義はなかなか生まれなかった。

 修士論文の締め切りまで後5ヶ月しかない。するべきことや問題は山のようにある。日々の雑事も邪魔をする。それでも発表会の前と後では明らかに何かが違う気がする。

夏の行事

2005年08月22日 | 思い出日記
 今年も夏が来た。毎年、私は夏になると観る映画がある。
 不朽の名作『Stand By Me』だ。

 これを観ると懐かしい少年時代を思い出す。くだらない事で話が盛り上がり、たわいもない事で大騒ぎをする。映画のように泊まりがけで冒険するようなことこそしなかったが、山や洞穴、廃屋などを探検してまわった。

 でも、一番思い出すのは、大学での友達のことだ。
 実はこの映画を観るように勧めたのも彼だ。この映画のことは昔から知ってはいたがあえて観ようとは思わなかった。たまたま、映画の話題の中で『Stand By Me』の話がでた。彼はこの映画を観ると胸が苦しくなると言っていた。本当にそうなのかと思いながら観たのだが、確かに胸が苦しくなった。
 もう取り戻す事のできない何か(時間なのかもしれない)が胸の中に広がり、確かに苦しくなった。何とも切ない…

 私は夜間の大学に通っていた。彼はその時の同級生だった。夜の9時に授業が終わると、毎日のように暗い道を歩きながら、コンビニに行き、彼のアパート近くの電灯の下で11時ぐらいまで他愛もない話をしていた。
 今になった思えばよくあれだけ話すことがあったな~と思える。
 友達がいないというわけではないし、他の人には言えても彼には言えない話もあった。でも彼ほど話せる人はいない。彼ほど居心地のいい人もいなかった。

 その彼も今はもういない。

最初の挨拶

2005年08月22日 | 徒然なるままに
 初めまして。

 名前を“真”(仮)といいます。


 「陽の当たる場所へ」という題についてですが、私はこれまで順風満帆な人生を歩いているとは思えません。

 だからといって不幸だと感じたこともありません。

 ただ人並みではなかったと感じるだけです。

 個性を尊重するこのご時勢で人並みであること、いわゆる標準的な人生を希求することは決して悪いことではありません。

 当たり前の幸せを望み、それを実現させ、そこに意味を見出していこうとするからこそ、当たり前のものとは違った出来事に出くわした瞬間により多くの感動を得るのだと思うのです。

 人が“それ”を認識できるのは、それを判断できる何かの“基準”があるからであり、それを日々徒然なるまま考えてます。


 なので、このブログでは特にこれといって文学的・叙情的に綴られていることもなく、おもしろおかしく語ることを意識しているわけではありません。

 私がこれから語っていくだろう話の内容は多岐にわたり、まとまりに欠け散逸的である為、読み手の皆さんを疲れさせるかもしれませんが、我慢してお付き合いください。


 思考の先にいつか陽の当たる場所へ辿り着けることを夢見て…


 それでは