※以前からご紹介している『四句御箴言』ですが、こんな解釈も在りではないでしょうか!
与えられたことを感謝してうけよ
与えられぬことを感謝してうけよ
与えられたことを拒む これ欲なり
与えられぬことを欲する これ欲なり
・まず、ストレートに解釈すると、四句それぞれの冒頭部分の「与えられたこと」と「与えられぬこと」については、
私達それぞれの周囲の現状・現象・物質・対人・金銭・時間etcを指していることは言うまでもありません。
肝心なのは、それらを…感謝してうけることができなかったり、それどころか「与えられたこと」である、自分の今の
周囲の現状・現象・物質・対人・金銭・時間etcに対して、拒む・拒否る・否定するなどのネガティブ反応に終始したり、
「与えられぬこと」である、自分の今の現象・物質・対人・金銭・時間etcに対して、無い・足りないと主張して「我」や
「欲」の充足を求めることなどを自ら戒めよと言われているのではないかと思います。
つまり、それ(四句御箴言)こそが、私たちが幸福へ至るためのキーワード(神様からいただいた道標)ではないかと。
それは何故か!
・それは以前の記事、「創造の瞬間(法則)」や「無為自然」「問題解決の処理手順」でも書いていましたが、「創造・
実現・解決したいものがあるのだとしたら、努力や誠意を以って自身の言葉・行動・ゐずまひに顕していくこと。
あとは人為的に人や物事を計らず、動かそうとせず天地自然の流れに任せ・委ねて無我夢中でやり続けていくこと。
無我夢中で続けいてたら、創造・実現・解決したいなんてことは「忘れてる(想ってはいない)」ハズだよね!
(そうでなかったら、無我夢中だったとは言えないし。)
この無我夢中で、我を『忘れて』取り組んでいる瞬間や、努力に疲れて『諦めた』瞬間が『創造のエネルギー(自然)』を
生むんだ。あとは、それが、いつの間にか 創造・実現・解決 していたことに氣づく。…それだけなんだ。」
・私たちは常に意識し想像したモノを創造すると言われていますが、それは○○が欲しいのなら、○○を手にした自分の姿を
想い描き努力すればそれが創造されるのではなく、例をあげれば、「100万円の臨時収入」を想い想像する人は、
「100万円の臨時収入体験」を創造するのではなく、「100万円の臨時収入体験を想い描くアナタ」を創造するのに
必要必然の「現状・現象・物質・対人・金銭・時間他」を創造する(引き寄せる)だけなんです。
つまり、
与えられたことを感謝してうけられませんよ
与えられぬことを感謝してうけられませんよ
与えられたことを拒む これ欲なりと言われても仕方がない・ムリ!
与えられぬことを欲する これ欲なりと言われても仕方がない・ムリ!
…と言う、
ネガティブな想いを断ち切れない人たちも、例外なく「常に意識し想像したモノを創造する」のですから、
「与えられた(ぬ)ことを感謝してうけられませんと言うアナタ」を創造するのに必要必然の
「現状・現象・物質・対人・金銭・時間他」を創造する(引き寄せる)だけなんです。
ゆえに四句御箴言は、私達が幸福へ至るために神様から頂いたアドバイス(道標)なのだとご解釈いただければ幸いです。