あれから(もうすぐ)2年
長いようで、短いようで、

※ 何が大事かってことなんだけど、…それは目に見える結果なんかじゃないんだ。
結果がどうでも良いってことでもないんだけど、大したことではない!
それよりも大事な大切なことは、動機や意志・意思・意図なんだって識ってほしい!
「 つまり、何て言いたいのか…って言うと!」
・今の、さっきの、あの時のアナタのセリフや態度・表情が、どんな意識や意図・感情によるのかなんだ!
怒りや憤り、不平不満・疑い・イライラ・セカセカといった否定 or ネガティブな意識や意図・感情を
さも当然の権利として顕していたのではないだろうか!
アナタが周囲に顕す全ての怒りや憤り、不平不満…といった否定 or ネガティブな意識や意図・感情は、
周囲に波及し、そしてアナタ自身に還ってくる。 …それだけなんだ。… それが何に成り得る(変わる)のだろうか?
それがアナタが創りたいモノなのかどうかを考えて欲しい。
「もう氣付いたようだね!…と言ってもハッキリとした知覚としてではなく、
「なんとなく今までとは違う。」、「でも、確かに以前とは違ってきている。」
・・・ そんな感じなんだろうと思うけど。
そこで!『とりあえず、やってみる!(積極的に行動すること)』が今後の君の課題なんだ。」
( ↓ 以下は一昨日から盲聴してたものを…アエテ…文字や言葉に変換してみたので、
それらの文字や言葉に対して抱かれる…意味や印象にはコダワラズに…心で感じ取ってください。)
「一昨日、『 神は 人を通して 地上に 顕れる。』 …って言ったよね!
さらに、「世の中は確かに変わった。しかし誰の目にもそれと識るようになるには、
私達ひとり一人がそれを地上に顕していかなければ、そのようにはならない…という事で、
ひとり一人の想い・ゐずまい・表情・言葉・行動…が、変わっていかなければならない。」…と!
「それを…とりあえず、やってみる…ってことなんだ。しかも、…積極的な行動…でね!」
『 ハッキリ言えば、「理想の自分の周囲を創り上げていく」ってことだョ。
君のこころから出ずるところの…想い・ゐずまい・表情・言葉・行動…を以ってしてだ。』
「君は以前、「滅私・互譲・調和」って言ってたけど、あれは正解だけど・正解でもない。
滅私・互譲・調和は、アナタがアナタの…想い・ゐずまい・表情・言葉・行動…を以って築いてくモノで、
他人に求めるモノではない。 ましてや 主義・主張として論じ・説明していくモノでもない。
それは君が君の肉体と魂を以って体現していく、地上に顕わしていくモノでしかないんだ。」
「滅私・互譲・調和・理解・協力・親切etcな想いで、
そのゐずまい・表情・言葉・行動に顕すことを理想として自分の周囲を創り上げていってほしい。
それを「とりあえず、やってみる!」 & 「積極的に行動していけよ」 ってことなんだ。」
「『失敗・ツマヅキ・下手こいたら…』だって?それらは必要・必然・最善な出来事…過程にすぎないョ!
例えば、未来への糧だとか・踏み台にしてくものであって、気に病むものでも背負い込むべき重荷でもない。」
「アナタが周囲に対してすること(想い・ゐずまい・表情・言葉・行動)は、
たとえ相手が1人でも、 …ひとつの全体に対してしていること… …なのだから、結果的にそれは、
…神に対して、そして自分自身に対して…していることにもなる。
それが、批難・軽蔑・敵意・憎しみ・妬み・怒り・不平不満・疑い・心配・セカセカetcや、
優勝劣敗・吉凶禍福・損得勘定を基準として競い・比べ・争っているものだとしたら、
…それも全て、例外なく!… 神に対して…、自分に対して…、したことになる。」
「アナタがそれを望まないのなら、それが瞬間的な想いであっても、気づいて改めることだね。」
Fel'c
・確かにそう言われると、常に意識しているつもりでも、いつの間にか忘れている自分に氣付いたりするものです。
そのように…氣付いたら、また心がけて…の繰り返しで 身に付けていくもの なのかも知れませんよね!
※ 分水嶺は過ぎました。とても大切な時期に入ったようです。
※ 何が大事かってことなんだけど、…それは目に見える結果なんかじゃないんだ。
結果がどうでも良いってことでもないんだけど、大したことではない!
それよりも大事な大切なことは、動機や意志・意思・意図なんだって識ってほしい!
【 動 機 】
・意志を決めたり、行動を起こしたりする直接の原因。「犯行の―」「タバコをやめた―」
・心理学で、人間や動物に行動を引き起こし、その行動に持続性を与える内的原因。
・倫理学で、行為をなすべく意志する際、その意志を規定する根拠。
【 意思 ・ 意志 】
・あることを行いたい、または行いたくないという考え。意向。
・目的や計画を選択し、それを実現しようとする精神の働き。意志を貫くetc…
【 意 図 】
・何かをしようとすること。「早期開催を意図する」
・何かをしようと考えている事柄。思惑。目論み。
☝つまり、人は自分の身体(声や表情・行動・ゐずまい)を使って…アナタ自身…を世に顕しているんだけど、
その声・表情・行動の ①直接の原因 ②内的原因 ③意志を規定する根拠 ④精神の働き ⑤思惑or目論みが
全てと言ってもカマワナイっつうか、それが一番大切なことなんだ。
(注 ; 今までのパターンで行くと、ここで…「例えばね…」なんて事例を揚げて説明するところだけど…省略します。)
・その動機・意志・意思・意図なんだけど、以前の君のそれとはダイブ違ってきていることに氣がついているだろうか?
それは、君は過去において様々なことに「気づいて」疑問を抱きながらも「意識」し「学び」ながら摸索してきたよね!
それもひとつの動機・意志・意思・意図なんだ。
そこで振りかえってみて欲しいんだけど、「その行程は最短距離or時間だった?」
それとも、「必要・必然で最善な距離or時間だった?」 …判るよね(実感ができているハズだよね…的な意味)!…
・その時点では・・・嫌な事、不必要に思えること、遅々として進まないように感じたりだとか、そんな風にばかり想っていたけど
振りかえってみたら(今にして思えば)、「必要・必然で最善な距離or時間or行程or道程だった。」…って想えるんじゃないかな!
だから、これからも、それは変わらないんだ。嫌な事とか、不必要に思えることとか、遅々として進まないように感じたりだとか、
そんなことばかり感じてしまうかも知れないけれど、それはアナタにとって…必要・必然で最善な距離or時間or行程or道程なんだ。
だから、今…君の持っている『動機・意志・意思・意図』…に、2つだけ!付け加えて欲しいことが在るんだ。
それは、 「ゆっくりと…」 & 「愉しみながら!」
※ 君は君の意図してきた処に必要・必然で最善なタイミングで位置してきたし、それはこれからも同じなんだから…!
遅くノロノロやれよって意味じゃなくて、何も焦ったり、セカセカしたりする必要なんて、これっぽっちも無いんだってこと。
「ゆっくりと(最短距離・時間じゃなく)、必要・必然で最善な時間や道程を…愉しみながら歩いていってほしい…!」
Nao’n
『 因(原因)在れども、縁(条件)無くば、果(結果・現象)顕われることなし。』
以前、“原因→結果“と題して「結果(世の中や個人周囲の事象・現象)には必ずそうなるべく原因がある。」
としておりましたが、確かに原因が在ればこそ結果が顕われるということに誤りは無いんですが、必ずしも
100%そう成るというものでもありませんよね。
先日、以前に読んだ本の一部の言葉を思い出したんですが、下記の一文をご覧ください。
「因(原因)在れども、縁(条件)無くば、果(結果・現象)顕われることなし。」
つまり、例えば果物の種(原因)も蒔かなければ・生えて・実り・果実(結果)を収穫することはありませんが、
例え、種(原因)を蒔いても、縁(生育条件)が無ければ(満たされなければ)、果実(結果)を収穫することは在り
得ないいうことです。また、縁(生育条件)の質や量などによっては、果実(結果)の収穫量や味にも違いがでてくる。
これは、私たち個人個人にとって『好都合&アリガタイこと』においても、『不都合&在り難くないこと』においても…
同様に言える(定義できる)ことであります。良くも悪くも・・・です。
まぁ~種(原因)そのものの性質(DNA)よる処の方が大きいとは思いますが!この考え方が以前記事にしていた
「大難を小難に!・小難を無難に!」の考え方の基にもなっています。
これが、「良くも悪くも」の両面なのですから、「良くも…」の方を考えると、「無収穫が少収穫に! 少収穫が
大豊作に!」と解釈してもなんら問題はありません。
例えば、この「縁(生育条件)」の例を挙げるとすればですが、岩手/花巻東高校野球部 佐々木監督です。
『花巻東高校野球部&部員達(原因・種)』が、『佐々木監督という(縁)』を得ることによって、それ以前は2.22%
(45年で2回)だった甲子園の出場確率(結果)が25.00%(16年で8回)になりました。 11.3倍です。
この計算でいくと…花巻東野球部に3年間在籍していれば、在学中に1回は甲子園に行ける計算になります。
これで選手個人(原因・種)そのものの性質・素養を鑑みてみると、①完全なレギュラーだったり、②補欠だったり、
③プロ選手になったり、④プロチームでエースになったり(西武/菊池雄星)、⑤大リーグで二刀流の大活躍する選手
になったり(大谷翔平)とその後の結果(収穫)に違い(性質・素養)が顕われることは皆様方のご周知の通りです。
また、それも個人レベルでの、『 因(原因) + 縁(条件) = 果(結果・現象) 』なのかもしれません。
さて、でもそれだけでもないですよね!①何故この家に、この両親のもとに生まれてきたのか? とか、
②何故このような巡りあわせ(事象・現象)に逢うのか?などetc いわゆる・・・前世とか、運命とかを想定しないと
納得できなくなる類のジャンルで、どうしようもないと考えがちな件についてですが。①については、確かに言って
みたところでどうしようもないことなんでほっとくとして、②ですよね!今回の仮説から言うと、②の場合では、
自分にとって不利益・不都合な「因」も、「縁」を持たせなければ、「果」 = 自分にとって不利益・不都合な事象・
現象は、起きない・若しくはその程度が軽減されるということなんです。(良いこと聞いたでしょ!)
逆の一面を見れば、自分にとって高利益・好都合な「因」も、「縁」を持つ努力を果たさなかったり、チャンスを
見逃してばかりいれば、「果」 = 自分にとって高利益・好都合な事象・現象が、起きない! 若しくはその利益・
好ましさが低減&激減&皆減されかねないということなんです。(まぁ~当たり前のことですけどね!)
この場合の種(良からぬ事象・現象の種)に対する『縁』については、私達それぞれの常日頃の行いや言動・態度・ゐず
まひなどになるのでしょうか?
運を天に任すのは当然なのかも知れませんが、そこに至るまでの努力や誠意(個人個人の在り方)は、必ずや「因に対する
縁となる」ものなんですね。
「因(原因)在れども、縁(条件)無くば、果(結果・現象)実ることなし。」 は、「良因・不良因(原因)在れども、
縁(私達それぞれの常日頃の行いや言動・態度・ゐずまひなどの努力)次第では、果(結果・現象)が如何ようにでもなってまう。」
と言うことなんですよね。
まぁ~『前世の因』については、我々レベルでは自覚も推察・察知もできるものではありませんが、他人と意見が
合わないときや、すれ違い。いつも似たような感じで躓いたり失敗したり、何か起きたりなどはそのシグナルなのかも
知れませんね!
そこで氣付いて方向修正していくことがその人の課題・学習であり、進化していくポイントなのだと思っています。
私たちが今までと『同様・類似の過ち』を繰り返さぬためには、どうしたらよいのか!考えてみてください。