自分は、「リベラル」あるいは「左」について、下記のようにイメージしています。
人文学的な、学問的な「正しさ」に適っているかはわからないけれど、また、職業政治家のしがらみに縛られた(コップの中のような狭い)世界のなかでの「規定ないしは命名」ではなく、学者でも政治家でもない自分が「リベラル」という言葉を使うときのイメージは下記です。その肝は寛容、互いに個人が尊重し合うこと、つまり社会を見渡してものを考える際には、社会のどこに生まれても自分は耐えられるか(自分がその立場に居たとしたらどう思うか)と自問すること、つまり人種・国籍・宗教・性別・年齢・貧富・姿形・門地出身・その他、人が持つ属性諸条件が一切分からない状態を仮定して、その状態で人々が選択を求められたときに合意する選択が「正しい」と考える価値観、です。
・「リベラル」について。 - 1960年代生まれの音楽メモ。。
いっぽう、「保守」あるいは「右」についてのイメージはこうです。たとえば、今般アメリカ社会で人種差別に対する議論が巻き起こったなかで「黒人の犯罪率が高い、どうにかして減らさなければ、という議論が持ち上がった」といったときに、まず「黒人の犯罪撲滅を!」と思考して、具体案として警察の力や取り締まりの強化を思い浮かべるのが右、「黒人は精神的に経済的に差別されているから犯罪が多いのだ」とまず思考して、社会施策の具体案として学校に行くための金銭的サポートや、採用にあたって差別をしない企業への優遇措置といったものを最初に思い浮かべるのが左、というイメージがあります。
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ところで今の日本社会の状況において、「保守」について、それはどんな価値観か、という記事が2020年6月14日にありました。
・適菜収は、なぜ安倍総理とその支持者を「国賊」と批判するのか? 『国賊論』刊行の理由を聞く(HARBOR BUSINESS Online) - Yahoo!ニュース。
記事いわく、
「保守とは一言で言えば、人間理性に懐疑的であることです。保守は理性のような抽象的なものを警戒し、現実に立脚します。人間は合理的には動かず、社会は矛盾を抱えていて当然だと考えます。そのため、保守は近代 啓蒙思想をそのまま現実社会に組み込むことに否定的です。なぜなら、近代啓蒙思想は理性を拡大すれば理想社会が実現すると考えるからです」。
そして、
「これまで安倍政権を支えてきたのは、主に保守派とされる人たちです。保守派に分類される人の中で安倍政権を厳しく批判していたのは、適菜さんをはじめ極わずかな人たちだけです。なぜ保守派の大半は安倍政権になびいてしまったのでしょうか」「保守思想を理解していないからです」「保守が急進的な自由主義や平等主義を批判する理由はここにあります。新自由主義を批判するのも当然です」。
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ふむ。
そうすると、ネトウヨ的な思考と「保守」は違うものなのだな。私は同じ、あるいは近しい、あるいは近似値みたいなものだと思っていました。また、ネトウヨの方たち自身が自分たちを「右」ないし「保守」と自称することが多いと思っていたのだけれど、これは私の勘違いなのか、あるいはネトウヨの方たち自身が自身の価値観なり感性を誤って保守と称していたのか。いずれにしても、「保守思想」と「ネトウヨ的な感性・価値観・思考」とは違うもののようです。
あるいはもしかしたら、ネトウヨ的な思考とは、世の中を勝ち組と負け組に規定し、自身が勝ち組である/に居ることが「注ぐ情熱の根底に常に在る」思考(新自由主義と親和性がある、または新自由主義そのもの)なのか、あるいは「感染は自業自得」と思う割合、欧米に比べ日本突出なんかはネトウヨ的またはネトウヨ的な思考と親和性がある感性だと自分は感じます。あるいはまた、これのタイプAが「左」、タイプBが「右」といった違いなのか。(Aは筋を通す、理想主義。Bは現実主義)
(あるいは、テニスの大坂なおみさんが差別に抗議してアメリカでの試合のボイコットを宣言した振る舞いを日本から見て、「大坂なおみって面倒くさい人になりつつあるなあ」と考える日本人というタイプ。あるいは、「日本」について不満を口にしたアジア人の顔をした人を見て「おまえ在日?」と言うタイプ。(2020年8月31日追記))
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ところで、
たとえばアメリカで保守というと、(いまでもそうなのかはわからないけど、ちょっと前までは)「妊娠中絶は是か非か」が社会のなかでの最大関心事だったそうですし(是が左、非が右。ちなみに日本でそれが保革の決定的な争点、保守が「死守」する事柄だったと聞いたことは自分はない)、たとえば韓国で文大統領的な左派というと、あれは韓国の民族主義そのもの(つまり普通の言葉では右中の右、韓国人が「最高」で、他の国たとえば日本のことはどうかしたらその存在の価値すら認めないと言いかねない/言いたい思考(核心・気持ちは右で、(口先で)操っている理屈が、左的なものを借用している))だと自分は感じているので、その言葉の使われ方、右とか左とかいう言葉が具体的に指し表すものは、国や地域によって、いろいろ違っているのでしょうね。
人文学的な、学問的な「正しさ」に適っているかはわからないけれど、また、職業政治家のしがらみに縛られた(コップの中のような狭い)世界のなかでの「規定ないしは命名」ではなく、学者でも政治家でもない自分が「リベラル」という言葉を使うときのイメージは下記です。その肝は寛容、互いに個人が尊重し合うこと、つまり社会を見渡してものを考える際には、社会のどこに生まれても自分は耐えられるか(自分がその立場に居たとしたらどう思うか)と自問すること、つまり人種・国籍・宗教・性別・年齢・貧富・姿形・門地出身・その他、人が持つ属性諸条件が一切分からない状態を仮定して、その状態で人々が選択を求められたときに合意する選択が「正しい」と考える価値観、です。
・「リベラル」について。 - 1960年代生まれの音楽メモ。。
いっぽう、「保守」あるいは「右」についてのイメージはこうです。たとえば、今般アメリカ社会で人種差別に対する議論が巻き起こったなかで「黒人の犯罪率が高い、どうにかして減らさなければ、という議論が持ち上がった」といったときに、まず「黒人の犯罪撲滅を!」と思考して、具体案として警察の力や取り締まりの強化を思い浮かべるのが右、「黒人は精神的に経済的に差別されているから犯罪が多いのだ」とまず思考して、社会施策の具体案として学校に行くための金銭的サポートや、採用にあたって差別をしない企業への優遇措置といったものを最初に思い浮かべるのが左、というイメージがあります。
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ところで今の日本社会の状況において、「保守」について、それはどんな価値観か、という記事が2020年6月14日にありました。
・適菜収は、なぜ安倍総理とその支持者を「国賊」と批判するのか? 『国賊論』刊行の理由を聞く(HARBOR BUSINESS Online) - Yahoo!ニュース。
記事いわく、
「保守とは一言で言えば、人間理性に懐疑的であることです。保守は理性のような抽象的なものを警戒し、現実に立脚します。人間は合理的には動かず、社会は矛盾を抱えていて当然だと考えます。そのため、保守は近代 啓蒙思想をそのまま現実社会に組み込むことに否定的です。なぜなら、近代啓蒙思想は理性を拡大すれば理想社会が実現すると考えるからです」。
そして、
「これまで安倍政権を支えてきたのは、主に保守派とされる人たちです。保守派に分類される人の中で安倍政権を厳しく批判していたのは、適菜さんをはじめ極わずかな人たちだけです。なぜ保守派の大半は安倍政権になびいてしまったのでしょうか」「保守思想を理解していないからです」「保守が急進的な自由主義や平等主義を批判する理由はここにあります。新自由主義を批判するのも当然です」。
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ふむ。
そうすると、ネトウヨ的な思考と「保守」は違うものなのだな。私は同じ、あるいは近しい、あるいは近似値みたいなものだと思っていました。また、ネトウヨの方たち自身が自分たちを「右」ないし「保守」と自称することが多いと思っていたのだけれど、これは私の勘違いなのか、あるいはネトウヨの方たち自身が自身の価値観なり感性を誤って保守と称していたのか。いずれにしても、「保守思想」と「ネトウヨ的な感性・価値観・思考」とは違うもののようです。
あるいはもしかしたら、ネトウヨ的な思考とは、世の中を勝ち組と負け組に規定し、自身が勝ち組である/に居ることが「注ぐ情熱の根底に常に在る」思考(新自由主義と親和性がある、または新自由主義そのもの)なのか、あるいは「感染は自業自得」と思う割合、欧米に比べ日本突出なんかはネトウヨ的またはネトウヨ的な思考と親和性がある感性だと自分は感じます。あるいはまた、これのタイプAが「左」、タイプBが「右」といった違いなのか。(Aは筋を通す、理想主義。Bは現実主義)
(あるいは、テニスの大坂なおみさんが差別に抗議してアメリカでの試合のボイコットを宣言した振る舞いを日本から見て、「大坂なおみって面倒くさい人になりつつあるなあ」と考える日本人というタイプ。あるいは、「日本」について不満を口にしたアジア人の顔をした人を見て「おまえ在日?」と言うタイプ。(2020年8月31日追記))
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ところで、
たとえばアメリカで保守というと、(いまでもそうなのかはわからないけど、ちょっと前までは)「妊娠中絶は是か非か」が社会のなかでの最大関心事だったそうですし(是が左、非が右。ちなみに日本でそれが保革の決定的な争点、保守が「死守」する事柄だったと聞いたことは自分はない)、たとえば韓国で文大統領的な左派というと、あれは韓国の民族主義そのもの(つまり普通の言葉では右中の右、韓国人が「最高」で、他の国たとえば日本のことはどうかしたらその存在の価値すら認めないと言いかねない/言いたい思考(核心・気持ちは右で、(口先で)操っている理屈が、左的なものを借用している))だと自分は感じているので、その言葉の使われ方、右とか左とかいう言葉が具体的に指し表すものは、国や地域によって、いろいろ違っているのでしょうね。