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“合成の誤謬”の解としてのグローバリズム?

2012-07-13 17:11:41 | 考えるもの

経済学で解決できないデッドロックの問題が“合成の誤謬”。
コレは絶対に解決できない問題として有名です。
政治の役割はこの限界を突破することなのかも?

“合成の誤謬は、クラスの混同に過ぎない”と指摘している現象学者か論理学者がいましたが。
でも、どうやって解決するのかは書いてありませんでした。~w

現実にはWindowsのレイヤーのように2つ以上のクラスが存在するので、
現象学者や論理学者の指摘は無効かもしれません。
論理クラスの混同は、クラスの優劣関係をハッキリさせるとかヒエラルカルな構造を確立するとか…
…しか解はないですが、これは形式論理の場合です。
経済という現実は形式論理の世界ではないので、論理(理論ではない)的な解はありません。
…というか無効です。このへんを知ってる小飼弾404 Blog Not Found)さんとかの思考能力は強い!ですっ!

経済という現実の問題では“力”が解となるのかもしれません。
政治とはそれを前提とした対応であって、それ以外には意味が無いかもしれません。


部分解と全体解が両立しないのが“合成の誤謬”ですが…
どうしても解決しようとすれば…実は…簡単です。
どちらかの一方の解だけを肯定すればオーケー…なんですね!
合成の誤謬の解は、排他的にしかあり得ない…ということ…です!

これがローカルとグローバルの対立だったりします。
そして、どちらか一方の主張に立って他方を否定する…これがコンフリクトの直接の原因。

どちらか一方の立場に立つことは簡単。
自分が得したり優位になる立場に立って主張するのは、個人であれば誰でもやってること!?
それはエゴかもしれませんが、そのエゴをどう解決するかは簡単じゃありません。

“合成の誤謬”は経済ブロガーのテキストを読んでも解が見つかりません。
でも経済学者のオリジナルな見解では、いくつか解になりそうなものも発見…!
それから、形式論理だけの理論オタク的な世界にも解はありません。
理由は簡単で、理論は現実ではないからです。ましてや現実は形式論理じゃない!
最先端であるかのようにゲーム理論などをもちだしても、解はありません。
現実はゲームでもないので…w

いくつかある暫定的、蓋然的な解の1つは、
前回のエントリー「一対一か3人以上かで異なるアメリカ人の対応の仕方…」がヒントになりました。

グローバルとか、コンフリクトとか、人類の歴史は…ムダにしちゃいけない、学べるものがありそうです。



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