さて、本日はJRダイヤ改正という事で、寝台急行「銀河」も廃止になってしまった日でもありますが、今回は同じ急行でも寝台車両のみで組成された列車では無い「急行・かいもん」の寝台券です。昭和34年9月に熊本-西鹿児島間に準急としてディーゼル車での運転開始から昭和40年に急行に格上げ、その後昭和43年10月に客車運用に変わり、その当時からずっと座席車と寝台車の混成で運転されて平成5年3月に廃止になっています。北海道内で完結する座席・寝台の混成列車と似た性格で「かいもん」も九州内で完結する列車でした。それにしても夜行列車が次から次へと廃止になってしまうのは非常に寂しい限りです。。。
今回も券面の列車名から辛うじて夜行列車の部類になろうかと思われますが、しかし乗車区間はいよいよ夜行列車の域から脱してしまった感もあるのはご愛敬ということで。さて前置きはこの辺で。今回は懐かしの夜行列車の中である、寝台特急「みずほ」です。昭和36年に登場して寝台特急「さくら」と共に、東京と熊本県、長崎県を結ぶ九州ブルトレの1つとして長らく活躍しておりましたが、平成6年12月に廃止に。思えば、この「みずほ」から東海道ブルトレが1つ1つ消滅していく始まりとなってしまっています。その「みずほ」の中でもただ単に寝台券だけでは芸がないので「みずほ」号利用の「立席特急券」をご紹介します。寝台列車の末端区間で寝台を座席として利用する列車があります。この場合、寝台料金は取らずに「立席特急券」として開放していることがあります。俗称として「ヒルネ」と呼ばれる事もあります。「立席特急券」は自由席特急券と同じ料金で、特定特急料金が設定されている場合、特定特急料金と同額になります。この券面では「B立席特急券」となっており、この区間(博多-長崎)では特定のB特急料金が適用されます。「立席特急券」を利用した場合、原則として座席は保障されず、もし空いていれば座ることもできますが、「はやて」・「成田エクスプレス」などJR東日本の昼行列車の立席特急券については着席できないことになっています。この場合は「みずほ」と列車名が表示されていますが、あくまで「立ち席」であり、座席番号が指定されないのが最大の特徴です。「立席特急券では着席できません」とありますが、寝台列車のヒルネ(座席利用)の場合は座っても問題ありません。
これは「懐かしい夜行列車」のうちに入るのか?と問われると微妙な所ではありますが、しかし今となっては貴重な夜行列車の部類になってしまうと思いましたので今回はこの列車の、この号数です。青函トンネルが開業した昭和63年3月13日から運転を開始した寝台特急「北斗星」。翌年の平成元年3月からは寝台列車の定期運転では珍しい3往復体制になったのでした。北斗星5・6号は運転開始からJR東日本が担当する編成で運転され、A寝台個室やB寝台個室の内装は共同運行のJR北海道と比べると好みもありますが可もなく不可もなく・・・と言った感じになるでしょうか。マルス券面を見るとお判りの通り、この寝台券はA寝台1人用個室ロイヤルの寝台券です。ただこの当時の個室券にはソロやロイヤルなどの個室の俗称?がマルス券面に併記されておらず個室の部屋番号だけな淡泊なものでした。この時はまさか北斗星が1往復のみの運転になるとは思いもしませんでしたが、この先の行く末も考えただけでも寂しさを増しそうな感じです。かつては臨時北斗星81・82号も設定されて数字だけでは82が最大でしたが定期列車で運転された6号が北斗星の最大数字となりそうです。更に右下に目を向けると「席」と記入されておりますが、ここでは割愛させて頂きます。
現在も臨時列車となって運転しておりますが今回は「急行ちくま」です。この列車自体は「おが」と同様に案外と長い歴史を持つ列車で、「ちくま」として大阪~長野間を運転開始してから約50年が経つ列車だそうです。この列車が通る地方名「筑摩」から列車名を取ったとも、日本最長の川である「信濃川」の長野県での呼び名である「千曲川」だという説もありますが、まぁ深くはこのブログでは追求しない方向です。さて、この列車は完全な寝台車で組成された列車では無く、座席車との混結編成で運転され、寝台車は14系(初期は20系。のちに14系寝台を経て14系15形に変更)、座席車は12系が使用されていました。このような組成の夜行列車は「だいせん」や北海道・九州内での夜行急行で運転されていた形態でした。この寝台券の券面から寝台料金が5150円であるところから、14系の3段寝台である事もうかがえます。機関車のヘッドマークは設定されておらず、客車側のテールマークだけがイラスト化されていたようで、そのあたりが急行列車であるがゆえなのでしょうか。
今回は急行「おが」号です。平成4年まで東北・奥羽線経由で上野-秋田間を運転されておりましたが運転末期は臨時列車の扱いでした。しかしながら使用車種が20系という事もあり立派に寝台急行の部類に入ります。20系が使用されていたのは平成4年まででそれ以降は平成6年まで14系座席車に変更になりそのまま運転廃止となりました。この当時の20系寝台車は貴重な存在で定期で使用される列車も少なくなった頃でした。料金も急行料金でしかも寝台は3段なので一律5150円となっていましたが、20系寝台の中段などは乗っていられない程の狭さで寝るしかありません。それでも車内は夜行列車の趣は十分に感じられ、3段寝台が当たり前のようだったのも今は昔です。
2008年の1発目からは「懐かしの夜行列車シリーズ」(笑)と題しまして、またもや緑色のマルス券をご紹介し続けるという暴挙に出ますのでご了承下さい。さて、表題の通りの懐かしの夜行列車、第一回目はJR北海道で運転されていた全車指定席の快速「ミッドナイト」号です。昭和63年7月に運転開始の札幌~函館間の快速として運転されていた列車で、運転当初はキハ27の2両編成で1両は座席車、もう1両は車内一面にお座敷列車のような長い床にカーペットを敷き、そこで横になれるという「カーペットカー」の組成でした。座席車の座席も当時の特急グリーン席で使用されていたリクライニングシートで角度の深いものが使用されていました。快速という事で乗車券の他に指定席料金だけで乗車出来て、しかも北海道の普通・快速列車の指定席料金は300円という事もあり、この価格設定で仮眠するには両者ともに十分な設備でした。平成12年12月に使用車種が変更となりキハ183が使用されると上記のようなグリーン座席・カーペットカーではなく普通座席のみに代わりシートピッチも狭くなり、その1年後には運転自体が廃止になりました。画像の指定券はキハ27が使用されていた時のものですが快速なのに急行券扱いとなっています。この当時は普通・快速列車で指定席を設定する列車が少なかったのでマルスでは急行券区分で設定していたのでしょうか。料金の内訳には急:0・指300となっている所も発券には特殊な雰囲気が漂います。