まさよっち放浪日記 - Masayochi's Wanderings-

アフリカから、何故か、中央アジア、そして気が付いたら日本へ。ふと心に浮かんでくる何気ない事を書きとめてみました。

「縁」

2013-12-09 22:54:46 | hitorigoto

先日、東京の六義園を訪問。12月初旬なので、紅葉の季節は終わってしまったかなと思いきや、赤、緑、黄といった彩を楽しむことができた。変わりゆくものの美しさ。改めて日本の四季を満喫したひと時。

 

紅葉を楽しむ間、愛用しているピアスを片方落としてしまった。以前からキャッチが緩んでいたので、前もなくしてしまい、友人に見つけてもらったことがあった。今回はもう見つからないかと思ったら、2-3日後、かばんの中から、ピアスが見つかった。探していた時は見つからなかったのに、というより、かばんの中には入ってないだろうと、外ばかり探していたのかもしれない。

私のところに戻ってきたピアス。何か「縁」を感じた瞬間。失くしたと思っていた物は、実は意外と身近なところにあるものなのかもしれないな。

 


ワクワクなひと時

2013-12-08 00:16:01 | hitorigoto

先日、友人が関わっているセミナーに出席した。セミナーのトピックについては、全く知識がない私。それでも、面白そうかもと思って参加した。もちろん新しい分野について学んだが、それよりも印象に残っているのは、海外からのパネリストの方々の「仕事」に対する想いや情熱がビシビシと伝わってくるこの感じ。聞いているだけで、こちらまで元気をもらえるようなひと時だった。

彼女たちの話の中でひたすら繰り返されたキーワードは、「Collaboration」「Partnership」言葉にすることは簡単だが、実際に現場で実行していくことは難しい。でも、彼女たちが言うと、色々あっても、本当にそれを推進するのだろうな、そのことを重んじて仕事に携わっているのだろうなと自然と思えてしまう不思議な感じ。

こういう人たちと仕事をしたら楽しいだろうな。私も、素敵な魅力あふれる彼女たちみたいに、仕事を進めていきたいな、といった気持ちがふっと湧いてきた。時差ボケの中、セミナーに参加してよかったかな。改めて友人に感謝。


独り言

2013-08-18 14:01:04 | hitorigoto

ふとしたきっかけから、東北での復興に携わっている人たちの話を聞く機会を持った。その人たちの熱い思いを感じながら、今までのアフリカでの経験を自分なりに振り返ってみた。環境等異なる点は多々あるが、復興に携わる上での共通点みたいなものはある。そんな気付きのきっかけをくれた友人に感謝。


大事なこと

2013-07-21 22:24:40 | hitorigoto

人間関係で大切なことには色々あるけど、相手を「信じること」、「わかろうとすること」、「思いやること」が大事なのかな。

でも、相手を信じる、わかろうとする前に、まずは自分を「信じること」、「わかろうとすること」、「思いやること」。

自分がどう感じて、何を思って、、何を望んでいるのか、を知ること。自分の気持ちに正直になること。 そして、自分自身を信じる。 大丈夫だって。

自分のことがわからないと、自分を信じないと、何もはじまらないんだろうな。

 


車の運転

2013-07-20 19:13:53 | Liberia

車の運転

リベリアに来てから、車の運転に挑戦することにした。日本で何年も前に、マニュアルの運転免許を取ったが、その時も、教習所の先生にあきられながら、なんとか免許をとった。免許取得後、日本でも、一度も路上で運転をしたことがないペーパードライバー。車の運転って、なんとなくだけど怖い。そう思って、運転をしてこなかった。アフリカに来てからも、この秩序のなさの中でどうやって運転できるんだろう?私には無理!無理!と最初から運転をする気が全くなかった。そうこうしているうちに、時だけが過ぎてしまった。

あることがきっかけで、自分の中で最初から無理と決めつけるのはどうなのかと疑問を感じ、車の運転にチャレンジすることにした。まずは、リベリアの教習所に通うところからはじめた。実技15時間。短すぎる!しかも教習所というちゃんとした場所があるのではなく、人通りが少ない路上で実際に練習をするという実践型。一応、A4サイズ1ページのカリキュラムもある。色々なことが実践的で、スペアタイアが盗まれてないか確認するところから最初に教わり、バッテリーや、エンジンオイル等、メカニックなこともきちんとチェックするように習った。タイヤのかえ方も一応教わる。知っておいて損はない。

車の運転は思っていたより奥が深い。どんな雑音の中も、自分のペースを守って運転する。他に振り回されない。路上の人から「チャイナ!チャイナ」と言われても、気にしない。後方からクラクションを鳴らされ続けても、焦らず、追い越しをしたかったらどうぞと譲ればいい。必要に応じて、流れに合わせて運転をする。ビクビクしながら、運転をしない。車がぶれないように運転する。堂々と運転し、自分の行きたい方向を明確に示す。近くに集中することも大事だが、遠くも視野に入れるようにすると、計算しながら、運転ができる。

リベリアの場合は、予想もつかない事が起こりえる。例えば反対車線が渋滞しており、その反対車線を走っている(正確には渋滞に巻き込まれている)車が渋滞をまぬがれようと、私が走っている車線に入ってきて、その結果、私の前方から車が走ってくることなど、起こりえる(実際に起こった)。予想がつかない事が起こるかもしれないと頭の片隅におきながら、常に注意を払い、運転をする。そのような事に遭遇したときも慌てず、対処する。

言うは易しだが、実際にはなかなか難しい。人生に対する姿勢みたいと思ったりもした。

 


雨期

2013-07-07 09:51:18 | hitorigoto

雨季の時期。

早朝、目覚める瞬間、自分の選択はこれでいいのかなと疑問に思うことがある。

外は大雨。大雨の音で目覚めたのか、不安を感じたから起きたのかはよくわからない。

こういうとき、誰かに大丈夫だよって、背中を押してもらいたくなる。

まずは自分でね。大丈夫、気が付くと雨はやんでいるから。運が良ければ、虹も見える時もあるさ。


パワーヨガ

2013-07-05 00:29:33 | hitorigoto

リベリアに来てから、パワーヨガをやり始めた。アメリカ帰りのリベリア人の先生が「パワーヨガ」のセッションをやっているので、エクササイズにと思い、はじめたのがきっかけ。アシュタンヨガをベースにしたヨガ、パワーヨガは、様々な「動」と「静」のポーズを流れるように連続的に行う。運動量が多いので、1時間終わったら、汗だく。でも、それが気持ちいい。普段いかに自分が筋肉を使ってないか、次の日思い知らされる。でも続けていると、段々、それが快感にもなってくる。

もちろん、身体のトレーニングにもなるが、自分の身体がどのように感じるかを感じ、自分の呼吸に集中し、自分自身に焦点を当てる一時を持つことにより、心がとっても落ち着く。他と比べたりするのではなく、自分自身に挑戦する。自分の身体が無理だと感じたら、無理をしなくていい。自分の身体がもうちょっと頑張ってポーズをとってみようと感じたら、頑張ってみればいい。人それぞれのペースがある。あるとき、今までできなかったポーズができたときは、とっても気持ちがいい。思わず「あ、私できた」ってにやけてしまう、その瞬間がいい。

本当は毎日ヨガをやれたらいいなと思うのだけど、現実的ではないので、1週間に最低1回、ヨガをやろう!というのが当面の私の目標。やっぱり実現可能な目標じゃないとね。


シンプルに

2013-07-03 22:38:26 | hitorigoto

人生とは意外とシンプルなものなのかもしれない。複雑にしているのは、自分自身。

人生って、自分で選択して、歩んでいく、それだけのこと。自分が選ばなかったら、それは現実にはならない。とはいっても、人生、自分が思う通りにいかないことも多々ある。それも人生の醍醐味として、エンジョイしてみる。時には立ち止まって、遠回りしてみる。人生には決まった道が一本あるわけではないし、誰かが、速度を計測しているわけでもなく。自分のペースでゆっくり進んでいけばいい。

今までの人生の中で、幾つか大きな決断をしてきた。その積み重ねがあって、今、ここにいる。アフリカに来たのは私の選択。アフリカを転々としたのも私の選択。アフリカを去らなかったのも私の選択。そして、リベリアに来たのも私の選択。「あーあっちの選択をしておけばよかったかな」って、後から思うことは多々ある。選択した結果が、すべてうまくいったというわけでもないかもしれないけど、それでも、そのときの私には、それが最善だと思えた。そんな選択の結果はありのままに受け入れてもいいんだよね。

何気に歳を重ねることも悪くないな。


流れ

2013-07-02 22:23:37 | hitorigoto

今日、仕事帰りに、友人とヨガの予定が、ちょっと一杯行きましょうに変更。EUで働いているオーストリア人の彼女とは最近会っていなかったので、ま、いっかと一杯することに。といっても、私はノンアルコホールのミント・レモネード。そこに、これまたEUで働いているスペイン人の友人が合流。彼女は、私たちよりちょっと若い感じの笑顔の素敵な子。リベリアに来て、まだ3ヵ月だというのに、社交的で友人がいっぱい。そんな彼女のちょっとした話が妙に心に残った。

毎日のように出掛けている彼女。社交的なんだなと思っていたら、どうやら、家でじっとしてられないらしい。私なんか、外出すると、疲れるから、家で落ち着きたいと思うんだけど、どうやら、家ではリラックスできないらしい。私もリベリア到着時は、家問題では色々悩まされた。隣のビルからの自家発電機の騒音や、水や電気の供給のひどさ。思った以上に暗い部屋。今のアパートに引っ越してきて、家で落ち着くようになった。やっぱり落ち着く空間を作るっていうのは、時間がかかる。それでも、落ち着く空間を持つということは、心の平穏を保つ上で重要だ。

さらに彼女の話を聞いていて面白いなと思ったことは、いわゆる「通常」ではないこの空間にいると、いわゆる「通常」ではとらない行動をとる傾向があるらしい。何をもって「通常」かそうでないかと決めるのは難しいが、自分が以前に属していた場所、例えば、スペイン人の彼女の場合、ヨーロッパだったらしないようなCrazyなことをいつの間にかやってしまうらしい。その状態が、好きか嫌かどうかもわからず、ただ自分がそういう行動をとっていることに驚いているようだった。ある一定以上のストレス状態にさらされているため、理性を保つことよりも、感情や本能が優先されるからだと思うが。。。。そうか、私は今途上国にいるのだ。毎日生活しているリベリア社会がいつの間にか当たり前と化していたが、いわゆる「通常」でないこの場所は、毎日生活しているだけで、ストレスがたまりやすい場所なのだ。

ま、ある一定以上のラインを超えると、ありのままの現実を受け取るようになるのだろう。そうなってくると、些細なことに心を乱されず、流れに身を任せるという選択も自ずと見えてくる。

自分たちがいわゆる「通常」から離れた空間にいるということ。それを当たり前のように受け取っていること。自分も歳を重ねたということ、を彼女の話を聞いて思った。ヨガには行かなかったけど、別の発見に遭遇。こんな一日の終わりも悪くない。


肩の力を抜いて・・・

2013-06-30 08:33:10 | hitorigoto

人道支援に携わって思うようになったことは(正確にはリベリアに来てから)、まずは自分が幸せだと感じることが大切であるということ。通常、人間とは理性をもって、感情をコントロールし、自分を保ったり、他と関わったりする。ただ、いわゆる通常ではない状況下において、そのような理性のコントロールがちょっとゆるくなることもある。例えば、難民として逃げてきた人々が遭遇する状況、基本的なニーズが満たされない状況下にいると、ちょっとした瞬間に、負の感情を含めた感情が爆発することがある。自分自身が難民でないとしても、支援側として、そこにいる、その人たちと接するということは、その負の感情に接するということになる。その際に、自分の心に余裕がないと、ごったごたの感情に飲み込まれてしまうと、色々なことが見えなくなる。相手の立場にたつという視点が欠けてしまう可能性もある。それって、良い仕事ができないんじゃないかな。

人道支援の現場、難民と言及したが、日本社会でも同じなのかもしれない。育児ノイローゼになってしまう母親。無茶苦茶な締切を上司に言われ、徹夜で仕事をこなし、鬱と診断される会社員。みな、自分の許容範囲以上のストレスがかかり、その状況がずっと続くと、あるとき、ぽんと、負の感情が爆発する。爆発の仕方は各自異なるが、基本的な原理は同じように見える。それぞれ許容範囲は違うけど、人間って、そんなに強くない。そういう弱さもひっくるめて、人間なんだと思う。

そのような状況下におかれた場合、そのような状況の人々に接した場合、まず自分を保つこと。結局、自分自身が幸せだと感じることができなければ、他の人を幸せになんてできないんじゃないかな。ま、この混沌としたアフリカで無理をするなというのは、几帳面な日本人にはちょっと難しい。ややこしい暗黙の社会ルールがある日本社会で、ストレス・フリーの毎日を送るのはちょっと難しい。でも、そのような中でも、もう少し肩の力を抜いて、周りを見渡せるようになると、仕事でもなんでも良い結果につながるのかもしれない。どんな時でも、笑顔を忘れずに仕事をする余裕・強さを身につけられたらいいなと思う今日この頃である。

疲労感&感情の台風に巻き込まれ続けた中、ふっと台風の「目」に立つと、それまで見ていた日常さえも、ちょっと違った色彩をもって見られるようになるのかもしれない。なので、ちょっと疲れたと思ったら、気分転換に美容院に行くこともよし。ちょっと高級なお寿司やさんに行くこともよし。あったかいお風呂にゆっくり入ることもよし。ふかふかのベッドでぐっすり眠ることもよし。ドライブに行くこともよし。自分なりの台風の「目」を作ることを、そろそろ自分に許してもいいのではないかな。