中野求馬とは、隆慶一郎氏の「死ぬことと見つけたり」に出てくる主人公斎藤杢之助の親友である。
斎藤杢之助が浪人として下から佐賀藩を支えるのに対し、中野求馬は家老の家柄として、殿様に諫言しながら忠義を尽くすために力を少しずつつけていく侍である。
中野求馬の父は、加判家老として先君に諫言し腹を切り、そのため求馬は一般藩士から徐々にステップを経て、昇進していくこととなった。
父と同じく「武士の本分とは、殿に申し上げて死を賜ることだ」という考えに基づいた忠義を尽くすため、家老に上りつめようという上昇志向があるが、嫌味がない。偉くなって私腹を肥やそうとかそういう類の私心がないからである。
その中野が近習筆頭になって感じたことに次のようなものがあった。
『仕事は今までと大して変りはなかったが、部下が使える分だけ余計にできる計算だった。人使いの難しさがやってみて良くわかった。…(中略)…自分でやった方が余程早いと思って動こうとして、土山(家老)にこっぴどく叱られた。その叱られ方が奇妙だった。「楽をしようとしてはならぬ。」と云うのである。 人を巧く使うのが職務のうちであることが呑み込めた。』とある。
自分がやった方が早くても、人にやらせ、育てなければ組織は活性化せず、次の世代に続いていかないであろう。菅首相のように、原発に詳しいからと地震翌日にヘリコプターで現地を視察(見学?)に行き、結局は対応策実施の遅滞を招くようでは、本末転倒である。
官邸の指示、経済産業相の指示、斑目委員長の発言など先週コロコロ報道があったが、実際の行動をトレースしてみれば、東電の現地の吉田所長の判断で注水を継続していたということであったという。
聞きかじりの知識から政治家が遠隔指示を出すよりも、現地にしっかりした考えと、実行力を持った現場指揮官がいるならばそこに任せ、周囲の雑音から現場の判断を指示してやるのが官邸としてのリーダーシップではないのだろうか。
戦時中の、「大本営の上級参謀は政治に長けているが現場を知らず、日本軍の下士官は優秀であった。」という言葉を思い出した。東電の所長ともなれば下士官ではなく将校に相当するだろうが、現場で信頼されていると聞き及ぶ。
発災直後に派遣された東京消防庁のレスキュー隊に向かって「いうことを聞かなければ処分する」などとムチで人を動かそうとする海江田経産相とは雲泥の差だ。
会社としての東電の責任はともかく、必死に頑張っている現場の指揮官の判断を最大限活かし、現場が働きやすいようサポートすべきである。自民党も民主党も社民党もなく、またアメリカやフランスの国の別もなく、政治圧力でなく放射能対策としてプラスに働くことならなんでも取り入れて欲しい。
本棚から忘れ去られ、古い埃まみれの一冊の本(葉隠)を引っ張り出し楽しみました。
死ぬことと見つけたりは、まだ学生の頃書店で見ても暗いイメージで読まなかったのですが、隆作品を一通り読んでから手にとりました。
歴史小説という娯楽として読んでも、今の世に出てきて欲しい傑物がおおいですね。
私は未だに葉隠の原典には触れたことがありませんが、いつか読んでみたいと思わせてくれる作品でした。(^o^)