ままふふ生活

のんびりいきましょう。イイカゲンが一番。

2024年になりました

2024-01-13 14:32:06 | わたくしごと

昨年12月、書こう書こうと思ってはいたのですが、日常に流されているうちにあっという間に師走も押し迫り・・

ブログか年賀状か、で年賀状を取ってしまったワタクシなのでした。

1年経つと年賀状の作り方も忘れちゃうし、PCのキーボード触らないでいたら、ブラインドでは打てなくなってしまうし、ちょっとした日頃のあれこれに時間をとられてしまい、ここの更新ができませんでした。いやーやっぱ年齢のせいかしら、とかいろんなことをトシのせいにしてしまいたくなる。

 

さて気を取り直して。

年末からの備忘録をば。

 

12月29日

トーキョーより二人やってくる。

なのですが、二番目はお昼の便で、一番目はこの日も仕事があって、最終便で、と二人バラバラ。当然のごとく迎えに来てもらうつもりの二人。いや、行ってやりますけど。

私は夜の運転がイヤなので(もしかしたらもう白内障気味なのかも。対向車の車のライトが苦手なんです)夜は三番目に運転してもらいました。

最終便の迎えに行ってびっくり。昼より出迎えが多いし、駐車場も混んでます。うちはJALの羽田からの最終便だったんですが、羽田以外の最終便、違う航空会社の便、いろいろまとめてやってくる時間だったんですね。

ここから先は熊本空港の駐車場を知ってる人しかわからない話なんですが(ということは誰にもわかんないって話なんですが、なら書くなよとかいわないでね)立体駐車場の上のほうに停めて、長男が出てくるやいなやすぐに料金精算機を通して急ぎ車に乗り込み、さて出よう・・・としたのですが、車がすでにぎっしり並んでいて、びくりとも動かないんです。

えー、こんなの初めて。

とにかく車がぎっしり並んでいて、出口まで30分以上かかってしまいました。

なので料金精算機を通して15分以上たってるので追加料金をとられます。

ほとんどの車がこんな調子なんで、料金所でまたお金を払うことになり、渋滞に輪をかけてまして。さらに時間が遅いので、駐車場の誘導員もおらず。

いやもうひどい目に遭いました。

思えばこのときから、年末年始の不幸ははじまっていたのかも。

 

12月30日

お昼過ぎにやっと起きてきた次男が、なんか熱っぽいというのです。

え?なんですと?

どんな感じ?と熱を計ったところ38度。りっぱに高熱。

んー。これは年末の疲れが出たのか、それともインフルかコロナか、さてどっち・・・

 

病院関連はほとんど29日まで。今日からは年末の当番医しか開いてないんだけど、それでもまだ開いてる病院はあったのです。

思えば、このとき強引に病院に連れて行くべきでした。

 

が。

本人も疲れだろうと言うし、咳鼻水その他の症状なしで、単に熱のみだったので本人の希望通り寝かせておくことにしたのでした。

食欲はないのでポカリとゼリーを買ってきて、家にあったアセトアミノフェンを飲ませたのでした。

 

その夜。

アセトアミノフェンがちっとも効かないので、次にロキソニンを飲ませてみましたところ、その1時間後くらいに、全身水浸しの次男に起こされまして。

寝ていた布団はシーツはおろかその下のベッドパットもびしょびしょ、かけ布団も人型にびしょびしょ。パジャマはもちろん汗みどろ。

あんなに大量に汗をかいた人を見たのは初めて、といっても過言では無いくらい。それでシーツもパッドも布団も換え、シャワーを浴びさせて着替えさせまして。

熱は37度くらいになったのですが食欲は相変わらずなくて、ひたすらポカリとウィダーインゼリーです。

そしてワタクシは、といえば洗濯洗濯洗濯。

冬ですし夜ですし我が家は干す場所もないのに、大量の洗濯物。いやもうほんとに。

 

12月31日

サ高住にいる父を日帰り帰宅させ、我が家も年末のもろもろをこなします。

とは言ってもたいしたことはしませんけど、頼んでいたおせちを取りに行ったり車の掃除をしたり、お蕎麦の支度をしたり、とかですけどそれでも気忙しい。

一方次男はといえば、相変わらず高熱。

ロキソニンを飲むといきなり体温が下がるのがこわくて、結局アセトアミノフェンに戻したんですが、やっぱり40度の高熱から服薬後しばらくすると滝の汗、の繰り返し。

休日当番医から発熱外来のあるところを探して、電話してみたんですが、当たり前につながりません。私より時間のあった相方氏が 90分間かけ続けたところ、やっと一軒つながりはしたのですが、当日の朝7時半から病院に並ぶ人たちで、8時には当日の予約を締め切ったそう。

そりゃそうですよね。

小さなお子さんが熱を出したら不安でしょう。

次男のような大人は自宅で我慢すべき・・・かな。

 

当地の地域医療センターのHPを見ましたら、4~5時間待ち、自家用車待機(病院の中には入れない)それでもよければ番号をとりにいらっしゃい、的なことが書いて有ったので、こちらも諦めました。

 

それにしても大人の40度の発熱は見るからにきつそうで、体温計もピピピピと悲鳴のような音を出すし、汗をかいてシーツその他のとっかえはしなくちゃだし、一番怖い脱水を防ぐためにはとにかく水分大事だし・・・

いやはや、本人の辛さもさることながら、私もまいっちゃいました。

 

1月1日

元旦も父を日帰り帰宅のため送迎。

次男抜きの初詣。

おせちお雑煮、4人でいただく。

 

合間にコンビニにポカリとゼリーを買いに行き、シーツ交換と洗濯。

 

この日の夕刻、能登地震発生。

テレビは地震と津波警報一色となりました。

 

1月2日

長男帰京。

父の日帰り、本日までということで、送迎。

次男の熱はようやく下がり始めまして、ゼリー以外にもスープとかおかゆとかを食べられるようになりました。

洗濯の頻度も下がり(流れるような汗をかかなくなったので)ちょっとホッとできる時間がふえました。

コロナかインフルだったときのことを考え、次男に接するのは私一人にしていたので、なにせ忙しかったのです。

 

長男の便は3時前に羽田に着くJAL便。

彼が我孫子に行く電車に乗ったその後、空港でJAL便の火災事故が発生。

 

1月3日

次男はかなり落ち着きました。

熱も37度台、食欲もまあまあ。

彼はもともと7日の日曜日に帰京する予定だったので、飛行機の便の心配はしていなかったのですが、2日の事故の影響で全国的にかなり欠航が出て空の便は混乱したとか。

 

1月4日

相方氏の友人で発熱外来をやっている病院で、インフルとコロナの検査をしていただきました。

両方とも陰性だということがわかって心底ホッとしました。症状からたぶんインフルだったのだろうけど、もうウィルスは出てないと言われまして。

次男の熱があったので、家族全員両親とは窓越しにしか会っていなかったのです。老親たちにうつしたら大変ですから。

なので長男はジジババにガラス越しの新年の挨拶しかしてません。可哀想に。

次男と三男は遅くなりはしましたが、話もすることができてよかったです。

 

とまあ、ぐだぐだ書いてきましたが、今年はお正月から地震、火災、我が家の中ではインフルエンザ とほんとにいろんなことがありすぎて、もう一年も半ばに来てるんじゃ無いかと思う今日この頃。

 

年頭からボロボロですけど、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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