goo blog サービス終了のお知らせ 

oceansidecompany

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

失われた30年

2023-02-22 19:36:49 | 地球歴史紀行
身近に幻想ってあるもんだ
80年代の日本の景気だ
みんなみんなあれはたまたまだった
あれは幻想だった
忘れた方がいい
今が大事と言うけれど

僕はそう思わない
日に日にそういう確信が強くなってきている
日本人が真摯に見つめて来た先
何十年と積み重ねて来た究極の成果

あれは本当だったんだよ
誰も真実だと思わないだけ真実だったんだよ
太平洋戦争の時より強かったんだよ
それが一夜で砕けた

日本人とってはそれがよかったんだ
もっともっと日本の弱点を知らなくては
すべて長所もあれば弱点もある
今、その事を学ぶ絶好の機会なんだ

yatcha john s. 「失われた30年」


Café guatemalteco

2023-02-22 00:19:53 | 地球歴史紀行
どこかマヤ文明を思い出させる
色合いのコーヒー茶碗
蒼いセノーテの神秘に吸い込まれそうな
吐き出された先が紺碧のカリブ海

十六世紀の海賊船に紛れ込んだ錯覚
吐き気と目眩(めまい)を堪(こら)えて
大西洋を渉る

舷窓からみえる財宝の波しぶき
バミューダの海底に引き込まれて
また吐き出され

気がついた先が我が家のソファーのなか

それほどまでにグアテマラ
呑みたい
行きたい
近所の喫茶店

時間が惜しい
いつになるのか

また聴こえる
誘いの音しぶき

https://youtu.be/1U_ID7YTt4w

音楽:Jack Pintian(Vincent:Starry starry night )

yatcha john s. 「Café guatemalteco 」


平の国香のこと

2023-02-11 21:57:17 | 地球歴史紀行
平の国香のこと
  今年の大河ドラマの主役は「北条義時」です。その北条のルーツは現在の熱海(阿多見)であり、そのさらに前は、平の国香にたどり着来ます。
 平の良望から始まる高望王流の平氏一族は平安京を作った桓武天皇の流れということで、臣籍降下してその姓を賜ったのです。
 国香の兄弟は筑波山の西側にへばりつくように領地を確保したのですが、将門の父、良将の領地が一番沼地で、田畑には適さない土地だったのですが、これがなんと逆転。皮肉なものです。つまり馬を育てる絶好の場所に活用され、良将家の繁栄をもたらしたのです。これが元々仲のよい親戚間の大騒動へと発展してしまいます。
 国香は、涸沼から那珂川、久慈川に抜ける東北方向の豊かな穀倉地帯を遥かに望んでいました。もしかしたら、あの神武の祖父たちが住んでいたとされる、那珂、久慈、多賀といった九州の原点の土地と那珂川の向こうの土地とをオーバーラップして見ていたのでしょう。それが200年後、実現するのですが。

 古来より、オオ氏の流れの豪族の定着、開墾の後に源氏の義家がなぜか常陸側には狼藉を働き、水戸やひたちなかの長者の財産を奪ったという記録があります。源氏はなぜか、その財力を使って現在の栃木側の豪族とよしみを広げて行ったもようです。
 その荒らされた土地に目をつけたのが十二世紀に水戸に勢力を伸ばした国香の流れの平氏(吉田)だったのです。その中心地は現在の石岡市ですが、現在の水戸市にも勢力圏をもっておりました。

 源氏の流れは茨城県北部の佐竹に勢力を温存させ、遥か後に、茨城県中央部の広範囲に拡散していた平氏一門を束ねて切り捨てるよう霧消させてしまいます。
 ここひたちなかには、源氏の流れの武田氏も入植しました。あの武田信玄の先祖の領有地もあったのですが、その水戸の吉田一族との確執があったのですが、朝廷の采配によって、その土地から放出されて、甲斐に移ってしまいます。それによって、吉田一族は広範囲な那珂台地(現在のほぼひたちなか市、那珂市、東海村)の開発に乗り出します。その先鋒を託され、呼び出されたのが、倉員則頼(1151年)。おそらく、中央では、あの清盛政権の勢いがましてきたことが考えられます。倉員則頼もまた在所平氏の一門だったと推測できます。その後、彼の手腕のおかげで、吉田一族の兄弟子孫が、那珂台地の大字ほぼ全土に城(当時は未熟で概ね砦といったところ)を築いていきました。

 ちょっとだけ余談を挟ませて頂きます。この倉員則頼という者の所在地と言えば、ひたちなか市よりだいぶ離れて現在の石岡市と鉾田市の境にあります現在名、「倉数」ですが、この倉員の「員」が「数」に転じたものです。何をいう私はここの出身です。この倉員(倉数)の名前の由来は、そこの神社「潮宮(いたみや)神社」の祭神、「高倉下」の「高」が取れたものです。この倉数には、「かなくそ遺跡」がありましたので、あの「フツノミタマ」を連想させるものです。
 さらに余談ですが、この倉員則頼の那珂台地統治の要所はどこだったかも容易に推測できます。これは皮肉めいておりますが、後に要所となった勝倉城があった「勝倉」でありました。ここも平氏一門で、あの武田に隣接しております。志田淳一氏によれば、当然、この勝倉は「倉員」を反転させたものと言っておられます。古辞にはレ点をつけていて表記した例もありますから。

 面白い逸話があります、この倉員氏ですが、当の茨城県にはその姓は見当たらないのですが、福岡県の筑後市付近には残っているそうで、地名は蔵員となっていまして、当時は平氏の荘園があったという報告があります。さらにそこには仏閣があり、坂東寺と言います。

 ひたちなか市那珂湊地区には、樫原神社がありまして、当地では地域の人たちの信仰を集めておりますが、この神社は元は、那珂川対岸の現在の涸沼の北部地域の茨城町にありましたものを室町期に現在のひたちなか市に移転されました。これなども考えるに、那珂川北岸に平氏の領地が点在して、各郷が平氏を敬うその気運が最近まで残っていた証拠であると推測いたします。
 この筑波山と那珂川の西側が武士の発祥の地であったのです。国香の名の如く、東の土地に壮大な平安京をも越える安らかな国をつくろうと望んだ人がいたと思うのは、私だけでしょうけれど。彼は夢みる開拓領主だったのです。
 その後、その子貞盛の子孫から清盛や北条政時の流れが出て来るのです。
 神武、天武、聖武、桓武という風に「武」のつく天皇は時代を切り開く気概があったのです。

伊尹




棚田

2023-02-09 21:48:58 | 地球歴史紀行
棚田 
永遠の輝き 
宇宙の響き
同じ血を分けた知恵の民が残したもの 
モンスーン気候の落とし子
いや それを育んだ偉大な精神
先を見る能力 
丁寧な手作業 
絆を神と呼ぶ謙虚さ

中世の武士たちもそれを受け継いだ
蝮の住む谷津を一所懸命 
血と汗と知力と絆を籠めて
人類が気が付き 
そこから学び 
幸福を得る手段

この知恵がある限り 
人類は生き延びれる
たとえ遥かな銀河の異星人でさえも
見下ろす限り 
その偉大さに恐れおののくでしょう

私は呼びたい 
Delight of the earth, delight of the Galaxy !

yatcha john s. 「delight of the earth」


墨攻

2023-02-08 17:44:39 | 地球歴史紀行
墨攻 
 前稿「楽毅」に登場より約100年前、紀元前370年、中国粱城を守るべく、一人の墨家の輩が派遣されました。伝説上の人物、革離です。墨家は、兼愛、平和主義を貫くために、守城法を考案しました。
 いわば専守防衛を徹底したのです。また、民生の技術に優れていました。

 革離はなんと10万の敵に4千人の住民の結束で守り通します。具体的には、どのようにそれを可能にしたのか未だに詳細には分かっていません。
 その後、墨家は突如、中国の歴史から忽然と掻き消えます。どこに去って行ったのでしょうか。

 しかしその思想を体現し、手先が器用な民族が、後になって出現することは誰もが知っています。

Yi Yin