何かこの2か月は酷く疲れやすい
特にPCに向かってタイプしていると
これも症状の一つなんだろうかと感じる
そんな日を送ってる
短めな記事にして行こうと思う
今日は4月18日木曜日
地震の警報音が凄かったが揺れは弱く助かった
現在の気温25℃ちょうどで湿度を感じる曇り
では其の一の続きから始めます
柳井市街並み資料館で説明を聞き
いよいよガイドさんと散策に出発です
白壁の街並み館を後にして少し坂を下ります
(マウス操作で小道を奥に進むと色々見えてきます)
少し変わったポストがあります。
”状書集箱”
ここで少し考えました、八海の下手な記事より
動画をで様子を紹介出来ないか?
そのほうがわかりやすいはず!
そのために先に動画をチェックしてみます!
いいのがありましたので紹介します
こちらの2本です!
早速、白壁の街並みをYouTubeで紹介します!
【ほぼ日帰り一人旅】さん
柳井いろいろYouTubeです
【ゆっくり街散策 】さん
/Walking in Japan
Shinonome channnel
柳井市のほぼ全ての観光地を見ることができましたね~!
やはり動画の制作者の方 センスがいいです!
ここで十分に理解したよと思われましたら
下の閉じるを押しますと
”おいでませ山口”にページ移動します
「八海爺ちゃんの記事読んでやろうと思われましたら
”閉じる”を押さずにスクロールして下においでください」
面倒臭い! ハイ面倒です高齢者ですもの~(*^^)v
[閉じる]
お疲れ様です。
引き続きお付き合いありがとうございます。
では、案内されるがままの爺さん婆さんは
ついて歩いていくが楽勝!
ガイドさんも高齢者だ
見えてまいりました!
案内所出たらみてるし・・
こちらが屋号”室屋”の東北東方向からの佇まいです
小田家は、元禄元(1688)年創業の柳井の大油商さん
中国地方でも指に入るほどの栄えぶりだったようです
南南西の裏門は柳井川に面しています
ガイドさんに案内される赤の他人の仲良く人達と歩きます
赤いバッグを持たれて居られるのがガイドさん
西南西方向を見ていますが・・なんと見えない
間口20m・奥行き119m、京都の町屋でよく見られる
「鰻の寝床」と言われる敷地で白漆喰の長大な邸宅 が圧巻です
姫路城なども漆喰防火ですよね
いぶし銀の瓦が美しさと威圧感が十分です
こちらが入り口です
このお神輿はなんなのでしょう
ウエッブからイメージを使わせて貰ってます
こちらの色々なものも何でしょう
左手が玄関を入ったところです
中の陳列の品の一部です
ウエッブからイメージを使わせて貰ってます
次に進みます
柳井の代表的な木綿問屋「木地屋」
貞末家)がこの地にあったことから名付けられた。
幅1mほどの狭い路地が柳井川まで約110m続く
幅1mほどの狭い路地が柳井川まで約110m続く
後で歩きます(;^_^A
ここで鏝(こて)絵を見つけた
金魚が浮き出ている様に見える
皆さんが生け花屋さんをのぞき込む
なんだなんだ! ?
いました!ポーズを取って三毛猫
船には縁起の良い動物
睨みが利いてるよ
上田歯科医院案内板の横を左にとります
白壁の屋敷がまだ見えます
誓光寺の門前を通りこちらに来ました
柳井山 湘江庵
パンフレットを見るよりガイドさん
の説明が良く分りますね!
柳と井戸が見える (* ̄▽ ̄)フフフッ♪
遥かの昔
約1,400年前、豊後国(大分県)の般若姫が用明天皇に召されて
上京の途中に、この地に上陸し水を求めた。
このときこの土地の民が差し上げた清水がたいへん美味しく、
そのお礼にと姫が地元の民に何が良いかと尋ねられたが
約1,400年前、豊後国(大分県)の般若姫が用明天皇に召されて
上京の途中に、この地に上陸し水を求めた。
このときこの土地の民が差し上げた清水がたいへん美味しく、
そのお礼にと姫が地元の民に何が良いかと尋ねられたが
地元の民はそのお言葉で気持で満足と丁重にお返しした
すると姫は不老長寿の楊枝を井戸のそばにさした
不思議に一夜にして柳の大樹になった伝えられている。
すると姫は不老長寿の楊枝を井戸のそばにさした
不思議に一夜にして柳の大樹になった伝えられている。
般若姫が絶世の美人だったことから、
この井戸の水を飲むと女性は般若姫のように美人になり、
長寿が保てるといわれている。
ここで文句の一言
山口県観光のセンスなさが出てる注意書き
「龍神から出ている水」
「神聖な水である」
なのに
龍の口元にはラミネートで保護された
注意書きが有った
「飲まないでください」
訳位書いておけないの?
もう一つ言うと
もっと洒落た付け方したらどうよ観光課さん
龍も撮影出来ない(笑)
(般若姫の伝説は只今調べております)
確かこの辺りは花崗岩板を通る水、酒に向く軟水
男性が飲むと美男になると聞くが注意書きに従い
爺ちゃんは飲まなかった・・
その井戸の直ぐ横、こちらが十一面観音堂
真言系では聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、
如意輪観音、准胝観音
菩薩の一尊。観音菩薩の変化身の1つ、
六観音の1つで頭部に11の顔を持つ菩薩である
10種類の現世での利益(十種勝利)と
10種類の現世での利益(十種勝利)と
4種類の来世での果報(四種功徳)
をもたらすと言われてる
ありがたい、ありがたい 南無南無
ありがたい、ありがたい 南無南無
お賽銭は当然ですね
菩薩様のこの並び
左が虚空菩薩 中が11面観音菩薩 右が薬師如来?
かなり古いものらしい
虚空菩薩
明星天子、大明星天王とも呼ばれる。また、知恵の菩薩として、
人々に知恵を授けるとされる
薬師如来
瑠璃光を以て衆生の病苦を救うとされている無明の病を直す法薬を
与える医薬の仏として如来には珍しく現世利益信仰を集める
次に進みます
さて、ガイドさんに案内されて元の室屋のすぐ横
きじ屋の小路を進みます
幅1mほどの狭い路地が約110m位あります
おいて行かれてる 秘密の飲み物でも飲むかな
気になる壁の奥・・広縁なの?
壁の中間に引き戸が見えます
樋の奥に見えるのは蔵か
瓦にも文様がされているし軒も造りが凝っている
この引き戸の奥は何なのか
説明を聞き逃す・・
麗都路通りに続く柳井川そばの大きな通りに出てきた
柳井津の室屋西の裏口
船の送りにをこちらから入れていた
津とは港町の事を表していると言う
この石灯篭
この灯篭の向こうは港となり全部で20基ほどあったようだ
夜間船はこの光の何番目かを目指して船を着けていたそうだ
この石灯篭も同じ役でも形が違う
同じく石灯篭が立つ
人見物のイソヒヨドリ
綺麗な声で囀っていた
残っている雁木の石階段
柳井川の雁木の見える風景
奥には橋袂宝来の地蔵尊も見えている
ウエッブよりお借りしているイメージです
川上に移動すると当時唯一の橋
”蓬莱橋”が有りますそこから海の方向を見てみる
その昔の個々の深さはどの位だったのかと風景を
想像したりする、ただ川下に見えるような景色はなかったと思う
舟が入ってくるのだからね
島影は周防大島と聞く
ガイドさんの体格のよろしいこと背中が逞しい
蓬莱橋にて
蓬莱橋にて
見かけないがこの地区に残る木の電柱
この地区のみ2本残してあるそうだ 2本目
柱を登る爪付きの道具の刺さった後
当時の生活の歴史が残されている
この地蔵は、宝暦年中(1751~1763年)に
古市・金屋の人達が建てたもの。
江戸中期に4度の大火があり、柳井の商人は土蔵造りにして
江戸中期に4度の大火があり、柳井の商人は土蔵造りにして
防火に備える一方、信仰としても頼った
地蔵の前に「天保五年」(1834年)と書かれた永代常夜灯があり
現在も毎年8月24日に供養が行われている
地蔵の前に「天保五年」(1834年)と書かれた永代常夜灯があり
現在も毎年8月24日に供養が行われている
愛宕地蔵尊
1本目の電柱と白壁の家が見えてきた
左端の家とその隣の家の間を通って白壁の街並へ進む
この辺りも柳井津である
小路を入ってきた所に辻があるそして東へと白壁が伸びる
いよいよ白壁の街並みとなります
佐川醤油店 ・国森家住宅など
みどころがいぱいです・・・たぶん
みどころがいぱいです・・・たぶん
それでは疲れましたので今日はここらで止めます
後日、頑張って仕上げをしておきます
ではまた
晴天お日様光線大サービス、ノンアルBを1本飲み干しましたよ(笑) ガイドさん頑張って歩かれますから
ついていかねばいけませんよね (;^_^A
面白かった
いつか行きます♪
何時かとおっしゃらず65才までにはどうぞ~(笑)
お待ちしておりますよ。