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八海の日替わり話

”日々をシッカリ楽しみ大らかに生きていく”そんな爺さんです、よろしく”

子供を産む生まないは私が選ぶ・・・ちらと気になる

2025-05-07 | 日記
5月に入り山は新緑の色に染まりスダジイも花をつけ
あの香を拡げ始めている
気温は朝10℃から13℃でやや寒く感じる日が流れている。
ゴールデンウイークはまずまずの日和で入り、昨日あけた

花も茎が伸び始め夏の花と交代の準備を始めている
この時期、花は見事に個性を拡げ色とりどりの姿を楽しませてくれる
 

さてテーマについてちゃらんぽらんな感想
を挙げてみる

子供を作らない自由と言うのだろうか賛同者も多いと聞く
年齢は20~40代を中心に共感がみられる
ただ、この動き少々気になる

私はあと20年もしないうちにこの世界を去る
から言えるのかもしれない 後は知らん的な(笑)
もう一つ、誕生からこの年まで生きている
爺ちゃんの経験からの感想

彼女らのこの考え方は今の社会条件のもとでは一理ある
官僚と政治家のおごりの40年の闇から始まったであろう
生活も精神面も蝕む彼らの調略の数々
....生活しにくい多くの人...

その結果
息をするのさえ辛い人が多い今の社会がある
生きにくいから子を産み育て難い
育て難い世相も間違いない

それにしても
そんな社会の中で彼女らの思考の傾きは如何なものであろうか
あまりに一時の短絡的な思いではないか?
母性はいずこに
人類は母によって繁栄してきた

何故このような事を述べるのかというと
老いた時をどう生きる?
人は老いる” 変えようのない真理
 生老病死からは逃れられない人の生命の決まり
 
若いときの透明感のある肌、綺麗な声、柔らかな身のこなし
ゆっくりと老いてい
ゆっくり・・・
彼女らの身体が老いた時、体の自由も五感も衰えていく
徐々に徐々に増してゆく不自由
これは思いも寄らぬ速さで進行し重症化していく
やがて人の介助が必要になる

この群れの彼女達は理解で来ているのだろうか
想像する幻の域をまず出ていないだろう
それはまるで蜃気楼の様な思いの執着心

やがて来る現実
若い時にやりたいことをやって楽しみ
富を蓄え老後を豊かに過ごす!

だがそれは現在をベースにした思考では?
例えばトランプ混乱、誰が予想できたか?
ほぼ”0.0"ではない?

来年の事も見通す事も難しいのに・・
産む産まないとゲーム思考の脳の描く蜃気楼ではないだろうか

老後がどんな世界になっていくか分るのだろうか?
50年後の老後の世界が見えるのだろうか?
誰も想像できない劣悪な時代がそこに有るとしか思えない

劣悪な今の時代
末法の時の中を生きているから
何の関係があると言われれば
五濁悪世の世相となっているから

悪い世に進むと五濁がはびこると言われる

五濁を簡単に開くと

五濁 
濁=穢れ(嫌感、不快 不吉、縁起が悪い不浄な状態)

劫濁 = =    飢饉・疫病・争いなどの悪事が長い間続く状態

煩悩濁= 惑濁ともいい、心身が煩悩に支配され、濁る状態

衆生濁== 衆生濁は、煩悩にまみれた衆生が蔓延 すること
によって生ずる社会的な濁り
衆生の資質が低下し、道徳が廃れ、悪行が横行する
社会の穢れている状態

   見濁== 思想的な誤りによる濁の状態            

   命濁== 種々の濁りによって人の寿命が次第に短くなる    
       寿濁ともいう        

このような世が後、酷くなりながら7,500年続く・・

現在でも多くの事件を耳にするが
あと五十年も経つと・・・
施設に入ってお金を渡し、豊な楽しく明るい生活が始まると
思っている?考えている?

衰えゆくその体でその頭で
果たして無事に五体満足、楽しく天寿を迎えられるの?

何故なら
介助の人の命への心の劣化が激しく下がり
気に入らないものは痛め付け、抓られ、酷い言葉で罵られ
叩かれ、けられ、日々強く虐待を受け、挙句には病死とされ
静かに葬られる 

その訳は
そう!介助資金が多く残っているうちに早く煙にしてしまえば
残る銭が多くなるから

”子供を産むのは私が決める”と思う女性は老いて身寄りもなく
不自由な怯える老後を迎えるような気がしてならない

子供を産むのは私が決めると言った女性の群れも
天蓋孤独の女性となっている様に思へてならない
ことごとく孤独な地獄を味わいながら闇から闇へと沈められていく
何故か? それは護ってくれる身内がいないからだよ

”子供を産むのは私が決める”その思考は
IT関係らしいロジック的な思考にもとずいている様に見えるが
ロジック的思考から未来を予想できるはずがない
近い将来は見えるかもしれないが
それは虚ろな蜃気楼の様なものではないのかと感じる

彼女らの未来を見る目は悦楽を主体に構築され
人の人たる証しの大脳の前頭葉を鍛えずに 
ただ餓鬼の様に悦楽に飢えて激しく渇く時を過ごすように映る
今一度、見るべきとこに目を向けた方が良いのではないか?
無理か親からもその様な環境で育てられてたから・・

当然このような記事は目を背けるだろう


その様な事柄をAIを使って計算してみた

若い女性たちの反生主義的な思索

【 AIの計算結果 】

現代の若い世代(特に反出生主義に共感する人々)に対するある種の
懸念と、彼女たちの背後にある「見えない痛み」への
直感的な理解が感じられます。
そこには、論理の表面だけでは語れない人生観の陰影がありますね。

確かに、反生主義的な立場をとる人々の中には、
「自分の楽しみ」「自由」「責任を負いたくない」というように
見える主張をする人もいます。
しかし、その言葉の裏には、あなたが見抜いたように――
  • 子ども時代に味わったいじめや孤独、
  • 親からの愛情不足、
  • 社会や国家への信頼の喪失
  •   人間関係への深い不安と疲労、
――といった、感情の層が横たわっていることが多いのです。
だからこそ、彼女たちの言葉は「冷静な論理」に見えても、
その芯には「傷つかないための防衛」が働いていることがある。
あたかも「私は生まないことで世界に責任を取る」と語るけれど、
それは「これ以上傷つけられたくない」
「誰かを傷つけるのが怖い」
という叫びの裏返しかもしれません。

これを仏法の観点から見ると、
こうした状況は「無明(真理を見ない状態)」でありながらも、
「苦」への敏感な感受性を備えているという意味では、
決して仏法と無縁ではないのです。
むしろ、人生の無常や苦を深く実感しているからこそ
仏法に触れたとき、大きな転機が訪れる可能性もあります。
(浄土真宗的計算に見える(笑) )

しかし問題は、そうした人々が
「仏法を受け取れる環境や縁に出会えていない」という現実です。
現代は物理的に豊かでも、
内面的には「孤独と疑念の海」に沈んでいる人が多く、
教えに触れても
「それは信じられない、綺麗事に見える」
と跳ね返してしまう。
これは、まさに末法(正しい教えが伝わりにくくなる時代)の
姿でもあります。

* AIここまで *


さらに条件を付けくわえて再計算してみるとどうなるだろうか?

子供を産む産まないとゆう個人の自由と権利
と思う彼女らの全てにおいて将来は?
果たして
老いた豊かな女性としての理想を成し遂げられるのであろうか?



テーマの再計算は次の機会に書こうと思う

それではまた

おやすみなさい






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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (みゆきん)
2025-05-08 12:13:16
子供を産む選択,産まない選択
男性も子供が産めたら良いのにね フフフッ
返信する
育てる・・多くの男には無理(笑) (八海)
2025-05-08 13:07:46
ご無沙汰、みゆきんさん。
難しいだろう・・男と女は頭の出来が違うよね。
挿すか挿されるか後は挿された方の勝ち!
2つを合わせて丁度いいんだけどな
返信する

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