コツコツ歩き隊!

札幌・街の一コマ : 新渡戸稲造記念公園

小さい発見でも楽しいもの。
たとえ小さくても積み重ねていくと、さらにまたそこから発見があるかもしれません。
ウォーキング中に「発見」があると、ウォーキングがやめられなくなります。
色々関心を持ってみるといいですよ。


もし、ウォーキング中に公園のそばに来たならば、名前をチェックしてみると面白いでしょう。
とても楽しいことがあります。

いたってシンプルな時もあるのですが、「なぜその名前?」というのもあり、それはもしかしたら昔の地名の名残かもしれませんし、他に意味があるかもしれません。
「?」的なものを見かけたら、調べてみるとよいでしょう。

北海道の公園にも、昔の地名や歴史の名残等がよく見受けられ、思わぬ発見にテンションが上がることがあります。
例えば、こちら「新渡戸稲造記念公園」。



札幌市中央区にある公園であります。
すぐそばに豊平川。
住宅街の中にあります。


新渡戸稲造は、札幌農学校(現・北海道大学)出身であるため、札幌は新渡戸稲造ゆかりの地の一つであるのですが、なぜここに彼の記念公園があるのでしょう。



公園に設置された記念碑によれば、ここはかつて新渡戸稲造が勤労青少年や晩学者のために明治27年(1894年)に開設した、男女共学の無料の夜間教育施設「札幌遠友夜学校」がありました。


銅像は札幌出身の彫刻家・山内壮夫氏が制作しました。

妻・萬里子夫人(メリー夫人)の実家・エルキントン家に生涯仕えた女性の遺産を遺言によって萬里子夫人が相続すると、古家付き土地を購入して夜学校を開設、夫・稲造と共に経営にあたりました。


 
教師を務めたのは北大生の有志。
無償で教育に当たりました。
ただ、彼らに教員の資格がなかったため、生徒は卒業しても無資格でありましたが、閉校するまでの50年間に、数千人が学び、1000人以上が卒業しました。
 
「遠友」の由来は論語にある「友あり遠方より来たる、また楽しからずや」 からであります。



昭和18年(1943年)、遠友夜学校に授業停止命令が下がり、一旦、逓信局の倉庫となったようですが、昭和39年(1964年)勤労青少年ホーム「レッツ中央」が開館、平成23年(2011年)まで集団就職等で札幌にやってきた若者たちのオアシスとなりました。

5000円札にもなった偉人・新渡戸稲造。
なぜ彼が偉人と言われるのか、その一端をこの公園が教えてくれます。
(萬里子夫人も立派!)

 

<参考資料>
  • 『まち歩き 札幌の歴史』(赤谷正樹・著 北海道新聞社)
  • 新渡戸稲造記念公園の説明板

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