<宅間守>
2001年に起きた、小学生無差別殺傷事件、所謂「付属池田小学校事件」の犯人です。
この様な惨い事が出来る人間の宿命は一体どうなっているのか・・・・・
宅間と同じ生年月日に生まれた人は沢山いて宅間だけがこの事件を起こしたのは何故か?
算命学的に考えてみました。
最初に言っておきます。
人は生まれ持った宿命通りに生きられれば、何の矛盾もありません。
順調で、満足な人生を送ることが出来るのです。
宿命と環境のズレが本人を苦しめるのです。
そのズレの大小で運不運が決まります。
宅間はそのズレの最も大きな例のひとつです。
宅間の宿命の特徴は感性・知性の星(鳳閣星・調舒星・玉堂星)が多く、「精神性」の高さが特徴でした。(宅間の場合、宿命的に、この精神性、周囲を巻き込んでキレやすいのが特徴)
頭もよく、自らの夢に向かって、努力すればかなりな成功を収められる宿命で、国家資格や高学歴はその手段として適切でした。
人間関係では、母方の祖母との関係を大切にし、最も距離を置くべきは、父方の祖母でした。
宅間は、精神性が高い宿命なので、先ずは現実面よりも精神を優先しなければならなかったのです。
この宿命は非常に頭が良いので、宅間は学者、作家、詩人、クリエーター、アーティスト等の知性、感性を生かした仕事に向かった努力をすべきでした。
しかし、本人も、周囲の環境もその方向にありませんでした。
母親は「兄と弟(宅間)とは出来が違うで」といって宅間の教育には無理解でした。
名門池田中学に進学を希望した時も母親は、「そんなん通るはずがないのに、受けるだけ無駄や」と言って突き放したそうです。
宅間はその時、勉学努力をする事を止めてしまったのでしょう。
自らの夢を描く芽もそこで摘んで(摘まれて)しまったようです。
宅間の中の精神性の星は未消化のままどんどん膨れ上がり、歪んでいきました。
消化されない星は、本来持っている表の意味と反対の出方をします。
歪んだ自己表現である暴力、残忍さ、感性が歪みすぐ切れる、知性の歪みの悪知恵等、その反動は反社会的な行動となって顕れます。
宅間が異常に学歴、資格に拘ったというのは、無意識のうちにその未消化部分(資格、教育を手段にする事)を欲したからだと思われます。
生年月日は同じでも、親や環境は全員違います。
教育に理解のある親許で育ったり、本人が目標を持つことによって、逆境をバネにして努力を惜しまなかったならば、この宿命は又違った方向に動いていたかもしれません。
人間関係では、幸運に繋がる、母方の祖母とは全く縁が無かったようで、代わりに、最も避けなければいけない父方の祖母とベッタリでした。
「僕は、この世で一番好きな人は、おばあさんだ・・・」と反省文に書く程でした。
将来の夢も持てず、精神性(知性・感性・自己表現性)過多の人間がそれをまともに使わず、現実的な仕事、頭を使わない仕事ばかりを思いつきで転々としていると、出口を塞がれた精神は袋の鼠状態になってはけ口を求めあがきます。
かといって、そのような仕事をするための努力もせず、環境を変えようともせず、忌神ともいうべき祖母しか、心の支えは無く、鬱々と世の中を怨んで暮らしていれば爆発するのは時間の問題でした。
ここまで宿命から外れてしまうと、元には戻れません。
犯行のあった2001年は、宅間にとって溜まりに溜まった未使用の精神の星が後天運によって膨れ上がり、加えてその状態に針をさす星が回って来た時でした。
正常な使われ方をしていなかった宿命の星は、一気に噴出しました。
本来の宿命の持つ意味とは全く反対の反社会的な形で爆発したのです。
切れてしまった時、ここだけは宿命通リ、周囲を巻き込んだ殺傷事件を起こします。
犯行後「死刑にしてくれ」と言ったそうですが、あれは本音だと思われます。(*刑は既に執行されています)
そういう意味で、充分正気でした。
何故被害者が児童だったか・・・。
精神の星は子供の星でもあったのが、暗示的です。
結論として、人は持って生まれた宿命通りに生きれば良いと言うことです。
かといって、100%宿命通りに生きられる人などいません。
けれど、宿命は代えられませんが、生き方、環境は選ぶ事が出来るのです。
自分らしく生きる環境を切り開いていくのは、自分自身なのですから。
皆、お役目があるから生まれてきたのです。
この世に必要のない人などは存在しないのです・・・