人生大当たりばかりが、幸運じゃない。
当たらなかった方がいい時もある。
宝くじに当たって、一家離散、異性問題勃発、果ては殺人事件まで。
食当たりから貧乏くじ。
それこそ車に大当たり・・なんて願い下げでしょう。
人それぞれ運のキャパは決まっているので、
それ以上もそれ以下も、分不相応。
そうだ、そうだと招き猫ちゃんも、笑っております。
しつこいですが、当たらなくてもいいんです!!
今回は占いネタ。
SNSをやっているのですが、そこで興味深い事に気付きました。
お友達リストです。
何百人を超える方もいらっしゃれば、僅か数人という方まで様々です。
それを見ていて、「もしかしてあの星が・・」と、調べてみました。
算命学では、お友達の星を「石門星」といいます。
この星は和合、協調、所謂「和して同ぜず」的な意味を持ちます。
この星を持っている人は、自己を保ちながらお友達や組織作りが上手なのです。
データーが解る方のみでしたが、調べてみると、お友達リスト数の多い方には、殆ど「石門星」がありました。
しかし、中には、リスト数が多いにもかかわらず、この星が無い方もいらっしゃる。
で、更に詳しく調べると、それらの方々は、「石門星」と同じ働きをする二つの星の組み合わせをお持ちでした。
その組み合わせとは、「鳳閣星」と「調舒星」。
つまり、「石門星」を持っていなくとも、この二つの星を持っていれば、人間関係構築が良好となるのです。
それらお友達多数の方々は、リアルでも人脈があり、交流も盛んでした。
事ほど左様に、世界中のSNSで、今この時も「石門星」が大活躍しています。
面白いですね。
蛇足ですが、小泉元首相にはこの星、両方(組み合わせタイプも)共ありませんでした。(やっぱり・・)
(参考の為、星の意味合い追加しておきます)
駅前にある大木。
CMの木みたいな立派な木です。
周囲を取り囲んでいるのはベンチ。
待ち合わせスポットにもなっているようです。
木性は「守りの気」、何処にあっても、皆を守ってくれているのです。
ありがとうね!!
とは言え、時々ヘンな人が座っていたり寝ていたりするので、私はちょっと座る気にはなりませんが・・
<宅間守>
2001年に起きた、小学生無差別殺傷事件、所謂「付属池田小学校事件」の犯人です。
この様な惨い事が出来る人間の宿命は一体どうなっているのか・・・・・
宅間と同じ生年月日に生まれた人は沢山いて宅間だけがこの事件を起こしたのは何故か?
算命学的に考えてみました。
最初に言っておきます。
人は生まれ持った宿命通りに生きられれば、何の矛盾もありません。
順調で、満足な人生を送ることが出来るのです。
宿命と環境のズレが本人を苦しめるのです。
そのズレの大小で運不運が決まります。
宅間はそのズレの最も大きな例のひとつです。
宅間の宿命の特徴は感性・知性の星(鳳閣星・調舒星・玉堂星)が多く、「精神性」の高さが特徴でした。(宅間の場合、宿命的に、この精神性、周囲を巻き込んでキレやすいのが特徴)
頭もよく、自らの夢に向かって、努力すればかなりな成功を収められる宿命で、国家資格や高学歴はその手段として適切でした。
人間関係では、母方の祖母との関係を大切にし、最も距離を置くべきは、父方の祖母でした。
宅間は、精神性が高い宿命なので、先ずは現実面よりも精神を優先しなければならなかったのです。
この宿命は非常に頭が良いので、宅間は学者、作家、詩人、クリエーター、アーティスト等の知性、感性を生かした仕事に向かった努力をすべきでした。
しかし、本人も、周囲の環境もその方向にありませんでした。
母親は「兄と弟(宅間)とは出来が違うで」といって宅間の教育には無理解でした。
名門池田中学に進学を希望した時も母親は、「そんなん通るはずがないのに、受けるだけ無駄や」と言って突き放したそうです。
宅間はその時、勉学努力をする事を止めてしまったのでしょう。
自らの夢を描く芽もそこで摘んで(摘まれて)しまったようです。
宅間の中の精神性の星は未消化のままどんどん膨れ上がり、歪んでいきました。
消化されない星は、本来持っている表の意味と反対の出方をします。
歪んだ自己表現である暴力、残忍さ、感性が歪みすぐ切れる、知性の歪みの悪知恵等、その反動は反社会的な行動となって顕れます。
宅間が異常に学歴、資格に拘ったというのは、無意識のうちにその未消化部分(資格、教育を手段にする事)を欲したからだと思われます。
生年月日は同じでも、親や環境は全員違います。
教育に理解のある親許で育ったり、本人が目標を持つことによって、逆境をバネにして努力を惜しまなかったならば、この宿命は又違った方向に動いていたかもしれません。
人間関係では、幸運に繋がる、母方の祖母とは全く縁が無かったようで、代わりに、最も避けなければいけない父方の祖母とベッタリでした。
「僕は、この世で一番好きな人は、おばあさんだ・・・」と反省文に書く程でした。
将来の夢も持てず、精神性(知性・感性・自己表現性)過多の人間がそれをまともに使わず、現実的な仕事、頭を使わない仕事ばかりを思いつきで転々としていると、出口を塞がれた精神は袋の鼠状態になってはけ口を求めあがきます。
かといって、そのような仕事をするための努力もせず、環境を変えようともせず、忌神ともいうべき祖母しか、心の支えは無く、鬱々と世の中を怨んで暮らしていれば爆発するのは時間の問題でした。
ここまで宿命から外れてしまうと、元には戻れません。
犯行のあった2001年は、宅間にとって溜まりに溜まった未使用の精神の星が後天運によって膨れ上がり、加えてその状態に針をさす星が回って来た時でした。
正常な使われ方をしていなかった宿命の星は、一気に噴出しました。
本来の宿命の持つ意味とは全く反対の反社会的な形で爆発したのです。
切れてしまった時、ここだけは宿命通リ、周囲を巻き込んだ殺傷事件を起こします。
犯行後「死刑にしてくれ」と言ったそうですが、あれは本音だと思われます。(*刑は既に執行されています)
そういう意味で、充分正気でした。
何故被害者が児童だったか・・・。
精神の星は子供の星でもあったのが、暗示的です。
結論として、人は持って生まれた宿命通りに生きれば良いと言うことです。
かといって、100%宿命通りに生きられる人などいません。
けれど、宿命は代えられませんが、生き方、環境は選ぶ事が出来るのです。
自分らしく生きる環境を切り開いていくのは、自分自身なのですから。
皆、お役目があるから生まれてきたのです。
この世に必要のない人などは存在しないのです・・・
今頃、朝青龍でナンなのですが、宿命軽視でやりすぎるとどうなるか、という実例です。
で、観てビックリ!!
この人、お相撲さんに必要な戦いの星(「車騎星」「牽牛星」)が皆無。
宿命的には格闘技(スポーツ)商売には全く向いていない人。
その代わりにあるのが、信じられないでしょうけど、知恵の星。
むしろ学者にでもなった方がいいような宿命。
おまけに、かなり悪知恵も働く人。
じゃどこの部分で戦っていたかというと、ズバリ、パフォーマンスの一言。
いい意味でも悪い意味でも、自己主張の戦い方で、闘争心を燃やしていたのです。
オイオイ!どうなってんだ!!
誰もが思いますよね。
でもそうなんです。
だから人生面白いのよね。
じゃ、何でお相撲さん、それも最強横綱に・・・
そう、そこが運命の興味深さで、これは本人の宿命ではなく、横綱昇進時に、丁度戦いの星が回って来ていて、それがこの人の格闘技人生を高く押し上げてしまったのです。
それがよかったのかどうかは決め付けられませんが、宿命に無理を強いたのは確かでした。
無理は歪を呼びます。
格闘技(アグレッシブ)運気はまだ続いていますが、引退時(2010年)年は一旦それがブロックされる時期でした。
イケイケ猛烈ダッシュが足払いを喰らったら、どうなると思いますか。(それも宿命無視で)
当然、コケるでしょう。
それも、ドッカ~ン!と。
(アグレッシブさは土俵の上だけでいいのに、場外乱闘やっちゃったんですから。)
この人、引退はしたくなかった。
でもコケちゃった。
宿命無視の歪が、年運の綻びから一気に決壊してしまった、わかりやすい例です。
自分の人生、どう生きるかは個人の自由ですが、無理をすると必ず綻びが出ます。
宿命通り、無理せず、自分らしく生きるのが一番なのです。
暫く前から、アジア関連旅番組に嵌っている。
特にNHKの「世界ふれあい街歩き」は大好きである。
したり顔のレポーターや文化人の、うざったい薀蓄やら講釈やらも無く、只々、旅人の目線になったカメラが、街中をのんびりと歩いてゆく。
ナレーション(このキャスティング最高)も、旅人の独り言で、「お~川に出たよ」とか「美味しそうだね~」」とか自然体そのもの。
思わず私も、同じように呟いている。
お店を覗いたり、気になったお家を見せてもらったり、路地で談話中のお爺ちゃん、お婆ちゃんに声をかけたり・・・
番組途中にインフォメーションとして、その街の郷土史家などが、その地方の故事来歴やら情報やらのお国自慢を素人っぽく語ってくれる。
これがまた、いいんだな。(その土地の事はそこの人に聞くのが一番だもの)
そうこう見ていき、番組45分終了後には、もうその街に行った様な気になってしまう。
飛行機代もホテル代もかからなくて、お勉強も出来て、満足度200%。
さて、ここから占いオババ、これらを算命学的にアプローチしてみると、こんな風になる。
学習の星は二種類あって、一つは「玉堂星」といって通常の学問の星。
もう一つは「龍高星」といって体験学習の星(外国という意味もある)である。
「玉堂星」は、所謂、頭や耳学問で納得出来てしまう特徴がある。
その場に行かなくても、情報や資料で理解(納得)してしまうのだ。
対して、「龍高星」は体験学習なので、自ら行って見たり聞いたり感じたりしなければ、納得しない。
故にこの星は外国や旅(放浪)の星ともいわれている。
かく云う私、「玉堂星」持ちである。
私のテレビだけで行った気になれる習性は、こういう所からきているのだろう。
もし、この番組を「龍高星」持ちの方が見たとすると、(興味を持った場合)即チケットを取って、その場所にすっ飛んで行ったはずである。
鑑定経験から見ても、何かしら外国に関係していらっしゃる方は、全員しっかり「龍高星」をお持ちでしたから。
そんなこんなの、バーチャル旅愛好、こんな見方も加えると、二度面白く観賞出来るのであります。
縁あって英国大使館に招待された。
会場は格調高い、大正時代の洋館。
例えて言えば、赤プリの旧館という感じ。
招待してくれた知人に配慮しつつ、持参カメラで、写真大会。
エリザベス女王の肖像画やらシャンデリアやら今にも華族様が降りてきそうな階段やら、手当たり次第にシャッターを切る。
そんな中で、思わず「おお~っ!!」と釘付けになった写真。
何で、ここに、これがあるんだ!!
それは、「長州ファイブ」と呼ばれた、若き日の明治の元勲達(伊藤博文、井上馨、遠藤謹助、山尾 庸三、井上 勝)の凛々しいポートレート。
幕末の動乱期「車騎星」の時代 に、遥か異国に憧れ、荒海を乗り切っていった「龍高星」を胸に抱いた青年達。
松田龍平主演で、数年前に映画にもなった。
http://www.chosyufive-movie.com/
たまたまその映画を見ていた私は、大興奮!!
すぐさま、関係者に謂れを聞いたのだが、大使館でこの映画のロケがあったという事くらいしか、詳しい事はわからない。
だったら、映画のキャストの写真もアリだと思うのだが、何故だか隣には金閣寺の写真。(?)
大使館スタッフに聞きたくとも、英語がまるでダメだから聞くに聞けない。
ま・いっかと、「長州ファイブ」を撮影。
エゲレス(イギリス)に渡ってすぐに撮られたという、この5人の青年「長州ファイブ」の写真、ポーズも決まっていてカッコいいのだ!!
この時点で、もう他の写真はすっ飛んでしまった。
おそらく、もう二度と伺えないだろう大使館にお呼ばれし、そして!そして!こんなに興味深いお宝写真を拝めたなんて・・・
心底、知人に感謝!感謝!をすると共に、ロマン溢れる幕末・明治の日本創世期「車騎」と「龍高」の時代にに思いを馳せたのでした。
宿命には忌神と守護神が混在しています。
ざっくり言ってしまえば、苦労の星とラッキー星が混在って事でしょうか。
「エ~!忌神!ヤダヤダ!!」「ラッキーがいい!!」と誰もが思いますよね。
でも、一概にそうも言えないのです。
宿命内のこの星は、どちらも必要なものなのです。
苦労せずにいい所取りなんか出来ません。
好きなものだけ食べていたら、体壊すのと同じ事。
宿命もそれとおんなじ。
仮に出来たとしても、一時そう思うだけの勘違い。
後で、借金取りが追っかけてきて、それこそ身包みはがされます。
苦労しながら、幸運を見つけて人生を切り開いていく、それが開運の近道なのです。
その為には、自分の宿命を知り、お役目を知り、生き方を見つめなおす事が大切なのです。
「苦いも甘いも全て良薬」これが結論です。
だから、今日も元気にファイトで行きましょう!!
宿命には5つの質の星が表れます。
福(貫索・石門)寿(鳳閣・調舒)禄(禄存・司禄)官(車騎・牽牛)印(竜高・玉堂)の5星です。
この5つの星を、1つずつ全部きれいにお持ちの方は少なく、殆どの方は、偏って持っています。
それら偏りは、個性なので、いい悪いは無いのですが、中にはご不満の方もいらっしゃいます。
特に印(知恵の龍高・玉堂星)に拘る方が多くいらっしゃる。
この星が欠けていようもんなら、
「あ~!知恵の星がない!頭が悪いって事ね!!!」ともう大騒ぎ。
いえいえ、そうではありません。
欠けた星の意味するところは、拘るなというサインなのです。
無いものねだりはダメよ!と、宿命は言っているのです。
知恵の星がなければ、知恵に固執せず、謙虚に受身で物事を受け入れれば、自然と知恵がつくのだと教えてくれているのです。
つまり、学びの姿勢の暗示です。
これは、全ての欠けた星に関していえます。
無い星には拘るな。
謙虚に向き合えと、宿命の欠けた星達は教えてくれています。
そうです!何事にも、無いものねだりは、いけません。