映画なんて大嫌い!

 ~映画に憑依された狂人による、只々、空虚な拙文です…。 ストーリーなんて糞っ喰らえ!

マキノ雅弘-あるカツドウ屋の生涯

2008年07月25日 | テレビ番組
     ■ETV特集「マキノ雅弘-あるカツドウ屋の生涯」 (NHK教育=2008年07月20日)


 亡くなる2年前、1991(平成3)年の第16回湯布院映画祭でマキノ雅弘特集が組まれた際、挨拶に立たれたマキノ御大の貴重な映像が、番組の終盤に流されました。以下は、その時にお話になった内容、言わば、御大の遺言です。

 「…死に切れんのですよ! 親の代から、4つの年から、ヤクザな稼業だと言われて…。人の家の前を頭下げて、撮影させて頂いて…。道路でやったらヤクザに怒鳴られて、殴られて、それでもカメラだけは大事に持って逃げた。そういった子供の頃を思い出す。自分の若かりし時を思い出す。映画界がなぜ、こんなヤクザな商売なんだろう…。今年で足掛け80年、自分では気が付かなかった。馬鹿にしてる訳だ…(笑)。それを皆さんに言われてはじめて、あぁ俺は映画生活80年を、ずっと夢見て来たんだなぁ…って事を、つくづく今夜、気が付きました。ありがとうございました。」 〈満場の拍手〉 「どうか、お願いがございます。面白いな、いいなと思ったら、口々に宣伝して、どんな手を打っても見てやって下さい! 見てやって下さい! 日本映画を見てやって下さい! どうかお願いします。日本の映画界の為にも、どうか皆さんが見てやる、映画を見てやるという事を約束してくれませんか?」 〈満場の拍手〉 「ありがとうございます。この約束を頂いたら、実行に移るまでは死ねません。実行に移ったら報告に冥土へ参ります。ありがとうございました。」 (満場の拍手〉

 80年の映画人生を振り返って「どうか映画を見てやって下さい!」と、涙ながらに絶叫しておられた御大に対して、僕たち映画ファンはどう応えるべきなのか!? 子供たちを見下す愚かな教師のような目線や、甘やかされて育った裁判官よろしく我が物顔で作品を裁いていく身勝手な振る舞いは、依然として許されるものなのか!? 《鑑賞》とは、ベルト・コンベヤーで運ばれてくる作品を“面白かった籠”と“面白く無かった籠”に選り分ける作業では無い筈です。

 「見てやって下さい!」。人生の全てを映画に費やしてきた御大のこの絶叫に対して、人生の全てを費やしている訳ではない僕たちは、いったいどのような面持ちでこの思いに応えるべきなのか!? ましてや80年という年月に、まだまだ遠く及ばない道程であれば、猶の事、映画の何を語れると言うのか!? もしも、見る事が許されるのならば、ただただ映画からの教えを請うのみです。そして、せめて出来る事があるとすれば、そこから学んだ映画の素晴らしさを人々に紹介する事くらいです。


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