ある都内の動物園に、8歳の妹を連れてでかけた。普段の生活では動物園にいる動物とは出会うことはできない。地球にはたくさんの動物が共存することを勉強する格好の場所である。人工的に繁殖を手助けし、生態を保護するなど動物園の役割は幅広い。しかし、現在の日本の動物園は、レクリエーションの部分を重視し過ぎている気がする。
それを象徴するのが飛べない鶴である。檻のない場所に2匹の鶴が歩いていた。私のイメージだと鶴は冷たく澄み切った空の中を大きな羽を使いながら優雅に飛んでいるものである。しかし、私の目の前にいる鶴は蒸し暑い中、羽を動かしながら歩いているだけだ。さも飛びたそうに。
ある本に、「鳥は初列風切と呼ばれる小さな羽根を切られると飛べない」と書いてあった。そう、この鶴は羽を切られていたのである。動物の生態を人々に伝える動物園が、動物の生態を変えてよいのだろうか。何か違う気がする(土渕梨菜)。
それを象徴するのが飛べない鶴である。檻のない場所に2匹の鶴が歩いていた。私のイメージだと鶴は冷たく澄み切った空の中を大きな羽を使いながら優雅に飛んでいるものである。しかし、私の目の前にいる鶴は蒸し暑い中、羽を動かしながら歩いているだけだ。さも飛びたそうに。
ある本に、「鳥は初列風切と呼ばれる小さな羽根を切られると飛べない」と書いてあった。そう、この鶴は羽を切られていたのである。動物の生態を人々に伝える動物園が、動物の生態を変えてよいのだろうか。何か違う気がする(土渕梨菜)。