昨年の事、友人が結婚するという知らせを聞いた。後日、結婚式に招待されたが、僕は結婚式というものに参加したのはそれが初めてだった。
式の間、僕はずっと浮ついた心持であった。懐かしい顔ぶれに見守られながら、式は次々と進んでゆく。
なんだかスクリーンで映画を見ている様な感覚になってしまい、いまいち現実味に欠けているような気がした。
それは結婚というものが、スイスの政治家の汚職事件くらい、僕の生活には関係の無かった事柄であり、さらに僕の中の彼と結婚を、頭の中でうまく結びつけることができなかったからなのである。
しかし、家に帰ってジャケットを脱いで、ネクタイをふにふに外していると、不意に彼が結婚したという事が理解できた。その瞬間、僕はとてもうれしい気持ちになった。
彼とは二十代前半の慌ただしくて、どうしようもない時期の多くを過ごしたが、僕はその間に彼から、意識的にも無意識的にも多大な影響を受けた。そしてそれは僕だけでなく、周囲にいる人間は皆そうであったように思う。彼にはそんなカリスマ性のようなものがあったのだ。
彼は歌を唄ったが、彼の書く詞は繊細でミェルヘンで優しくてロマンティックで、そしてセンセーショナルだった。
なにより、いつも曲の一節目が完璧な一節目であった。
春が来る前に彼と難波で珈琲を飲んでいると、彼はもうすぐ子供が生まれると言った。
それから数日経つと、生まれたての赤ん坊の写真が送られてきた。なんだか不思議な気分になった。
そして先日、猫の飼い主と亀と河童を引き連れて、彼の新居に彼の子供を拝みに行った。
家の扉を開くと、明るい部屋に彼と奥さんがいて、そして赤ん坊がいた。
僕が赤ん坊を見ていると、彼は抱いてやってくれと言ったが、僕は狼狽えた。
僕は子供が好きでない。ああいった無垢な手合いは接し方がわからない。端的に言うと面倒なのだ。
誤解のないように言うと、流石の僕も友人の子供に嫌気がさしたわけではない。
ただ、まだ生後五か月くらいだと言っていたので、そんな子供はきっと首が座ってない。
首が座っていないということは、持ち上げた拍子に首がころりと取れてしまうかもしれない。そんなことになっては取り返しがつかない。
僕は彼に、首が取れたりしないかと尋ねると、彼は大丈夫だと言った。
恐る恐る抱きかかえてみると、僕と同じように不安気な表情を浮かべていた赤ん坊も、僕の顔を見て笑ったのである。それはとても感動的な瞬間であった。
僕は両手に生命を抱えていた。
それから奥さんの手料理を肴に昔話やくだらない話をしていると、時折赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。これまでの僕ならば、それに対していい気分はしなかったのだろうが、その時はそれさえ愛おしいなあと思わずにはいられなかった。
そして隙を見て、もう一度抱かせてくれと頼んだ。
この日を境に、子供は好きでないと言っていた僕の価値観はひっくり返ってしまった。
何といっても子供は可愛いのである。
その顔をじっと眺めていると、確かに彼の面影がある。彼と赤ん坊は血が繋がっている。
なんて素晴らしいことなのだろうと思った。
彼は冗談交じりに、物心がつく前にはバンドマンとの関係は一切絶とうと思っている、と言った。
僕たちはそれはいい考えだ、と言った。
式の間、僕はずっと浮ついた心持であった。懐かしい顔ぶれに見守られながら、式は次々と進んでゆく。
なんだかスクリーンで映画を見ている様な感覚になってしまい、いまいち現実味に欠けているような気がした。
それは結婚というものが、スイスの政治家の汚職事件くらい、僕の生活には関係の無かった事柄であり、さらに僕の中の彼と結婚を、頭の中でうまく結びつけることができなかったからなのである。
しかし、家に帰ってジャケットを脱いで、ネクタイをふにふに外していると、不意に彼が結婚したという事が理解できた。その瞬間、僕はとてもうれしい気持ちになった。
彼とは二十代前半の慌ただしくて、どうしようもない時期の多くを過ごしたが、僕はその間に彼から、意識的にも無意識的にも多大な影響を受けた。そしてそれは僕だけでなく、周囲にいる人間は皆そうであったように思う。彼にはそんなカリスマ性のようなものがあったのだ。
彼は歌を唄ったが、彼の書く詞は繊細でミェルヘンで優しくてロマンティックで、そしてセンセーショナルだった。
なにより、いつも曲の一節目が完璧な一節目であった。
春が来る前に彼と難波で珈琲を飲んでいると、彼はもうすぐ子供が生まれると言った。
それから数日経つと、生まれたての赤ん坊の写真が送られてきた。なんだか不思議な気分になった。
そして先日、猫の飼い主と亀と河童を引き連れて、彼の新居に彼の子供を拝みに行った。
家の扉を開くと、明るい部屋に彼と奥さんがいて、そして赤ん坊がいた。
僕が赤ん坊を見ていると、彼は抱いてやってくれと言ったが、僕は狼狽えた。
僕は子供が好きでない。ああいった無垢な手合いは接し方がわからない。端的に言うと面倒なのだ。
誤解のないように言うと、流石の僕も友人の子供に嫌気がさしたわけではない。
ただ、まだ生後五か月くらいだと言っていたので、そんな子供はきっと首が座ってない。
首が座っていないということは、持ち上げた拍子に首がころりと取れてしまうかもしれない。そんなことになっては取り返しがつかない。
僕は彼に、首が取れたりしないかと尋ねると、彼は大丈夫だと言った。
恐る恐る抱きかかえてみると、僕と同じように不安気な表情を浮かべていた赤ん坊も、僕の顔を見て笑ったのである。それはとても感動的な瞬間であった。
僕は両手に生命を抱えていた。
それから奥さんの手料理を肴に昔話やくだらない話をしていると、時折赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。これまでの僕ならば、それに対していい気分はしなかったのだろうが、その時はそれさえ愛おしいなあと思わずにはいられなかった。
そして隙を見て、もう一度抱かせてくれと頼んだ。
この日を境に、子供は好きでないと言っていた僕の価値観はひっくり返ってしまった。
何といっても子供は可愛いのである。
その顔をじっと眺めていると、確かに彼の面影がある。彼と赤ん坊は血が繋がっている。
なんて素晴らしいことなのだろうと思った。
彼は冗談交じりに、物心がつく前にはバンドマンとの関係は一切絶とうと思っている、と言った。
僕たちはそれはいい考えだ、と言った。
わたしは器がペットボトルのキャップ以下なので、まだニシカズさんの幸せ結婚生活を思い描くことができません( ఠ‿ఠ )吐血しそうです。命の危険でございます。
ニシカズさんがかっこよすぎるのがいけないのであります。いや、大好きです!!!!!!
もし大好きな人が出来て、その人との子なら可愛いと思うようになるのかもしれない、と考えることは度々ありますが…子供は硝子のような存在です。
とても楽しんで読ませていただいてます。ありがとうございます。