西田一紀 『狂いてさぶらふ』

ある事ない事そんな事

たいして若くもないウェルテルの悩み

2018年01月20日 01時32分16秒 | 日記
誤解の無いよう先に述べておくと、私はウェルテルではなく、西田である。
日本人の父と、同じく日本人の母の間に生まれた、紛れも無い日本人であり、西田というしばしば耳にする姓を授かった、どこにでもいるようなありふれた男なのである。

言わずもがな、所帯を持った女性に恋慕の念を抱いた事も無ければ、それによって自害しようなどと考えついた事もない。
恋した女性の名が、シャルロッテであったことなど、果たして記憶のどこを探してみても思い当たらない。

それどころか、私には彼の様な高尚な(高尚であるかどうかというのは、人によって見解が異なるが)悩み事などこれっぽっちもありはしない。
ただひとつ、悩み事をするという点においては、ウェルテルも西田も違いは無い。


先日の事、南の窓から差し込む鈍い光受けて、目覚まし時計より一足先に目を覚ました。
部屋の明るさから察するに、その日は天候はあまり優れないようであったが、間もなく目覚まし時計が鳴り始める頃合いである事はわかった。

秒針が勿体ぶって進む音が妙に焦ったく思われたが、ふとまた眠りに落ちてしまった。
それからいくら時間が経ったのかは定かではないが、目覚まし時計がテーブルの上で踊り始めた。

まだ私が十代の頃には、目覚まし時計が鳴り始める直前の、一瞬の気配によって微睡みの沼より抜け出し、ベルを鳴らす隙も与えずに止めてみせたものだが、今日に至っては、ベルは八畳の箱に閉じ込められた静寂を、狂ったように掻き回している。

その日もベルが鳴り始めて、既に十秒は経っていただろうか。
私はその小さな暴君を諭すべく、先程まで石像の様に沈黙していた我が身を持ち上げた。
いや、正しくは持ち上げようとしたのである。

しかしどうした事であろう。体が動かないのである。
確かに私の頭は覚醒している。そしてそれを確かめるべく、「わああああ」とひとつ唸ってやった。
だがしかし、体の方は矢張り動かない。

まさかこれが噂に聞く「金縛り」というものなのだろうか。そうだとすれば、直に、我が足元より得体の知れない何者かが、よじ登ってくるはずである。

ああ、そんなものを目にするくらいならば、いっそ死んでしまった方が楽だ。私は幽霊なんぞに遭遇する事なく一生を終えてしまいたかったのである。
こんなにも若くして、幽霊を見てしまった時には、この先五十年程の生涯を、ずっとその脅威に怯えながら過ごさねばならぬではないか。
ああ、嫌だ嫌だ。そんな事があっては、断じてならぬ。
私は足元より忍び寄る何者かを追い払うように、布団の中で脚をぱたぱたと動かした。

そしてふと、足を止めた。
なんと、足が動いているではないか。
してみると、これは金縛りではない。

もう一度、ゆっくりと足を動かしてみた。
足は私の意思に沿って確かに動いた。
私はホッと胸を撫で下ろした。

目覚まし時計は、未だ起き上がらない私を挑発するかの様に、踊り狂っていた。


最早ベルの音などどうでもよくなってきた私は、安堵感の中、再び体を持ち上げた。
するとどうした事だろう。

またしても体が動かないのである。
しかし、これが金縛りでない事を承知した私は、力尽くで体を動かした。

「ぬおわあにんっ」

何処から出たかわからぬ様な呻き声が、ベルの音を搔き消すかのように響いた。
その瞬間、これまでに味わった事のないような激痛が、我が首に走った。

そして恐る恐る、首を動かしてみたが、少し動かしてみただけで、得体の知れない痛みが、首を伝って全身へ伝わってゆくのを感じた。
仕方がないので、首を固定したまま、くるくると転がってベッドから抜け出したが、床に落ちた衝撃によって、「ぬおわあにんっ」という声が再び漏れた。

立ち上がってみると、いよいよ困った。
顔が真正面より他に動かす事ができないのである。
そんなわけだから、その日は朝の準備をするにも大層骨を折る事となった。
顔を洗うにも洗面台の高さに合わせて、カマキリの様な格好をしてみたり、服を着替えるにも蛹から出てくる蝶のような気分になってみたりと、そんなところを人様に見られては、恥辱のあまりに悶絶してしまいそうな時を過ごした。

そうこうしているうちに、そこはかとない不安が胸に込み上げてきた。
もしこの首が一生動かないとしたら、そんな事が脳裏をよぎった。
こんな事ならば、金縛りであった方がいくらもよかった、そう思いながら、半ば涙を堪えながら知人に電話をかけて、困った旨を伝えた。

彼は私の話を聞くと、いくらか心配そうな気配を声色になったが、そう深く気に病む程ではないと言って、鍼を勧めてくれた。
日頃、鍼程胡散臭いものもないと、正直なところ鼻で笑っていたものなのだが、この時ばかりは彼の言葉を信じ、藁にもすがる思いで鍼灸院の門をくぐった。


それからの事は仔細に描くには及ばない。
結局、私の首は、もと通りに動くようになったのである。
先生曰く、首回りの筋肉が極限まで凝り固まっていたそうなのだが、それを鍼によってほぐして仕舞いという寸法なのである。
正直なところ、自分の背中に何をされたのか、見えないものだからいまいち判然としなかったが、まったくもって鍼とは偉大な治療法である事を思い知らされたのであった。
もう二度と振り返る事さえもできないと絶望していた私の虚ろな半日は、かくして幕を閉じたのである。



余談ではあるが、治療後先生に、暫くは寝る前に湿布を貼る事を言いつけられた。
その夜風呂から上がって、早速湿布を貼ろうとしてみた。
だがしかし、自分の背に湿布を貼るなんてのは、思った以上に至難の業なのである。
元来体の硬い事に加えて、自らの死角ときている。
湿布を三枚駄目にしたところで、こんな事をしていたら、またしても首を痛めてしまうのではないかと不安になった。
不安になったが、言いつけは守らねばならない。
万一また痛めてしまったとしても、また先生に治してもらえば済む話ではないか。
そう思うと少し気が楽になった。
楽になったが、湿布は一向に言う事を聞かない。

いくら掃除や炊事ができてみても、湿布ひとつひとりでまともに貼る事ができない。
人間は思った以上にひとりでは生きて行く事ができないのだという事を、首の痛みと引き換えに痛感するとともに、郷の両親の有り難みを感じずにはいられなかった。