”スローライフ滋賀” 

植物分類学者「牧野富太郎」の定宿「対山館」の庭再現へCF 創業者の孫が計画(米原市)

 
↑火災で焼失する前の「対山館」の外観=鈴木さん提供(写真:中日新聞より)

 日本植物分類学の父とされる牧野富太郎(1862年〜1957年)が伊吹山に登る際、定宿にしていた旅館が米原市にあった
山麓に存在した「対山(たいざん)館」の庭の一部を再現しようと、創業者の孫にあたる鈴木明美さんが5月14日まで、クラウドファンディング(CF)に挑戦している。旅館は火災で焼失したが、「旅館があった歴史をつなげたい」と、牧野が眺めた景色を残すことを思い立った。

 「神農も 伊吹山には 仰天し
 牧野は対山館に泊まっていた1931年(昭和6年)、愛好家らと植物について語り明かした夜に、伊吹山の植物の豊富さを評してこんな句を詠んだ。旅館は宿泊するためだけでなく、牧野が地元住民らと交流する場所にもなっていた。


写真:鈴木さんの手元に残る、牧野富太郎(左)と高橋七蔵(中)の写真=鈴木さん提供(中日新聞より)


 「対山館」は1925年(大正14年十四)、鈴木さんの祖父で旧伊吹村の村長も務めた高橋七蔵が創業
 幼い頃から伊吹山で草刈りや薬草採集をしていた高橋は、日清戦争後に登山客が急増した山の案内人を務めた。1906年(明治39年)の植物講習会を機に、牧野と生涯の交友が始まった。
 当時流行だったタイル張りで、伊吹山で採取された薬草を入れた浴室「百草風呂」を備えていた対山館。伊吹山で観光産業が発展するのに合わせ、人気を博していったという。
 だが、1974年(昭和49年)1月26日未明、旅館の2階から出火し、鈴木さんの自宅も兼ねていた建物が全焼。逃げ遅れた鈴木さんの弟照彦さん(当時(19))が亡くなった。


↑写真:アルバムを振り返る鈴木さん=米原市上野で(中日新聞より)

 鈴木さんは旧伊吹町に勤めており、その日は夜勤で役場にいた。同僚が制止するのを振り払い、自宅へ走って戻った。「全部消えてしまって…本当に悲しかった」
 旅館があった場所には今、鈴木さんの息子家族が暮らす。今年3月、弟照彦さんの50回忌が終わった後、古いアルバムを家族で見返した。写真は火災後に、親戚や知人から分けてもらったが、長らく開いていなかった。

 間取りや庭の位置など、当時の対山館の姿を思い起こす中で、地元でも薄れつつある記憶を形に残したいと考えた。
 「牧野富太郎を主人公のモデルにしたNHK連続テレビ小説「らんまん」が放映され、注目度が高まっている時期。
「多くの人に知ってもらいたい」と、CFへの挑戦を決めた。当時も使われていた灯籠や、説明看板などを庭に設置する計画を立てている。

 鈴木さんは40年近く、5〜10月に山頂で、山小屋として「対山館」を営み続けている。「花の名前を聞かれるなど、人との出会いを楽しみながらやっている」とほほ笑む。祖父高橋七蔵と牧野富太郎をつないだ伊吹山。自身も人々との交流を大切に、山を見守り続けている。

クラウドファインディング(CF)のサイト: キャンプファイヤー
目標額は35万円。

<中日新聞より>
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「滋賀TODAY」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事