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【東近江・寺社総巡り】第42回・成願寺(東近江市小脇町)

 
6月23日(日)午前、久しぶりに太郎坊の「生願寺」の歴史を意識して訪れた。
生願寺は延暦18年(799年)、宗祖伝教大師最澄の開基と歴史は古い。
近世の近江守護佐々木氏一族のルーツである「小脇郷」、太郎坊の麓にある生願寺は佐々木六角氏の帰依によって盛時は60余坊を有した実に大寺だったのだ。
 しかし、戦国時、佐々木氏は織田軍に敗れ、戦時のご多分に漏れず、天正年間(1573年-1592年)に生願寺も織田軍の兵火により焼失し、現在では行満坊と石垣坊のわずか2坊を残すのみである。江戸期の寛永17年(1640年)に本堂と鐘楼を建立し、成願寺を再興された。
現在の生願寺は60余坊も有した寺院の面影は全くない。小さな太郎坊の寺院となっている。
後で知ったのだが東近江市東中野町の中野神社境内にある南福寺(庵室)はなんと生願寺の寺坊の1つだった。
 
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成願寺
所在地 東近江市小脇町828-1(旧八日市市)
 
■宗派 天台宗
■開基 延暦18年(799年)伝教大師(最澄)
■寺歴 延暦18年(799年)、宗祖伝教大師最澄の開基と伝えられている。
最澄が東方に瑞雲たなびく霊場を感得し、その地に赴くと岩石屹立する急勾配な山の上に太郎坊大権現が現れ、ここに一宇を建立して衆生済度の道場とするよう告げたので、この地に堂宇を建立、薬師如来を本尊とし、太郎坊大権現を奥の院に祀ったという。
  太郎坊大権現は役の行者の眷属48天狗の随一で、勝軍地蔵を本地とし、一切の災厄を滅除して衆生を済度し給うという。その後、佐々木氏の帰依によって盛時は60余坊を有したが、天正年間(1573年-1592年)に織田信長の兵火にかかり、現在では行満坊と石垣坊のわずか2坊を残すのみである。
 寛永17年(1640年)に行承法印が弟子の祐盛とともに本堂と鐘楼を建立し、成願寺を再興した。
 宝暦3年(1753年)、奥の院に祀っていた太郎坊大権現を現在の本堂に遷し、本尊薬師如来の左側に秘仏として安置している。
  現在の本堂は平成12年に全面改築を行った。
秘仏の本尊薬師如来は平安後期の作で滋賀県文化財に指定されている。また鎌倉時代の石造灯籠が東近江市文化財に指定されている。
■本尊 木造薬師如来座像(県指定文化財)
■梵鐘 寛永17年(1640年)製(金屋理左衛門尉勝家作)
 
付近の寺院
 石垣坊徒歩 1分(42m)
 行満坊 徒歩 1分(60m)
 生蓮寺 徒歩 11分(846m)
 瓦屋寺 徒歩 11分(870m)
 法蔵寺 徒歩 13分(963m)
 来迎院 徒歩 13分(1km)
 
 
 
 
 
 
 
 
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