上州からの山旅

凡人noyamaの山旅の記録

中山道69次を歩く (下諏訪宿~塩尻宿)塩尻峠越え

2023年11月25日 | 街道を歩く




【8日目 信濃路 長野県】 令和5年(2023)11月19日(日)快晴
 宿場距離:下諏訪~塩尻 11.8km 
 歩行距離:秋宮~塩尻駅 18.0km(累計275.7km) (日本橋・下諏訪3割増275.7/213.2=1.29)
 行  程:遊遍館7:18==バス150円==7:35諏訪大社下社秋宮07:38---10:14塩嶺御野立公園展望台10:18---10:18旧塩尻峠110:29---10:33旧塩尻峠10:34---11:43首塚・胴塚11:43---12:18塩尻宿12:18---13:24平出一里塚13:24---13:46塩尻駅14:35==15:37小淵沢16:27==18:24佐久平(塩尻~佐久平2,310円、Suica使えない)、
 佐久平駅前第2駐車場 3日間2,400円

【下諏訪宿から塩尻宿へ 7:48秋宮を出立】

昨日までと様変わり、快晴の朝を迎えた


しかも、午前中2本しかないバスが宿の前に停車する



おかげで朝の時間を節約して、昨日の終点下諏訪大社秋宮へ到着
昨晩の雪がうっすら屋根に積もっている
改めて中山道69次の旅の安全を祈願する


御柱



高札場




魁塚(さきがけつか)
「赤報隊は維新政府の許可を得て魁として、「年貢半減」を宣伝しながら東山道を東へ兵を進めた。しかし、新政府は財政的に年貢半減の実現は困難であるとして密かに取消し、年貢半減は赤報隊が勝手に触れ回ったことであるとして、偽官軍の烙印を押されこの地で処刑された。後に名誉回復されている。毎年命日に慰霊祭が開催されている」



一宮常夜灯と春宮参道


御柱の建っている道祖神





砥川に至る道は民家の間に申し訳程度に残されている




8:27 2.9km 渡辺家住宅(岡谷市文化財)
高島藩の散居武士(城下ではなく在郷の村々に住んだ武士)の住宅跡で、村の治安や警備を担った。
この家から3人の大臣が出ている





彌林山平福寺(真言宗智山派)
明治の廃仏毀釈廃止された諏訪大社の別当寺の仏像を引き継いでいる
境内の日限地蔵(ひかぎり)は日にちを決めてお願いすると願いを叶えてくれる



道標「左いなみち 右中仙道」寛政三年(1791)建立
左は松本に至る伊那街道


紅葉の綺麗な民家

棟飾は中信から南信地方独特の「雀おどり(雀おどし)」というらしい、「電線音頭」の踊り姿??




9:00 4.0km 東堀の一里塚 江戸から56里



常夜灯と道祖神



御柱に囲まれた左から天満宮・蠶玉神社・天満宮



中山道 今井周辺

昨日越えてきた和田峠方面が真っ白に見える



御柱に囲まれる双体道祖神? 祝言道祖神にも見える



高島藩(諏訪藩)が設けた番所跡


御小休本陣 主屋等が国登録有形文化財
塩尻峠を前に小休止した



中山道道標、「右しもすは 左しほじり峠」平成4年建立



眺めの良い下諏訪岡谷バイパスと長野自動車道岡谷インター付近から

八ヶ岳と諏訪湖

甲斐駒と仙丈




石船観音
足腰の弱い人に対して霊験あらたかといわれ、草鞋(わらじ)が多数奉納されている

境内の鳴沢清水



塩尻峠への登り途中にある大石


ゆるやかな登りが続く


10:30 7.5km 塩尻峠 標高1055m



「富士浅間神社」 松本、諏訪両藩の境の宮



展望台

展望台からの景色 眼下に諏訪湖、左八ヶ岳、右南アルプス

富士山も良く見える

北アルプス



上条源治茶屋本陣
宝暦十四年(1764)塩尻峠の通行に難渋する旅人の為に、立場が設けられた

茶屋本陣の向いに明治天皇塩尻嶺御膳水碑




10:45 8.4km 東山の一里塚 日本橋より57里



馬頭観世音文字塔、半僧坊大権現、道祖神

犬飼の清水跡
何処から清水が湧いていたのか判らない




モミジが映える上天気





牛馬守護神 

11:17 10.0km 新茶屋立場跡



永井坂



長野自動車道 みどり湖PA



柳沢の双体道祖神 




「雀おどり」の棟飾りの立派な民家


高札場

民家前にある道祖神



道を横断する鳥居? 滑車が付いており注連縄を揚げるのか大売出しの旗か?




男女双体道祖神、抱擁像であるところからお女郎道祖神とも呼ばれている




柿沢の一里塚 日本橋から58里


【12:00 12.5km 塩尻宿】


これより塩尻宿


阿禮神社御旅宮



三州街道の追分、三河と信濃を結んでいた
太平洋側(表)からの塩塩の道




松本藩塩尻口留番所跡標石「塩、米、材木、女人等を取り締まった」




十王堂跡標石の脇に男女双体道祖神(男女の並びが反対)



五千石街道碑 
五千石街道は松本を経由して糸魚川に通じてる。日本海側(裏)からの塩の道
五千石街道と三州街道、裏表の塩が落合う終着点(尻)から塩尻の地名となった



小野家住宅(国重要文化財)、嘉永三年(1850)築の旅籠いてふや(銀杏屋)跡



高札場・下問屋場跡




下尻宿川上家本陣跡


陣屋跡

笑亀酒造は明治十六年(1883)創業の銘酒笑亀(しょうき)の蔵元。穀蔵は国登録有形文化財指定



塩尻宿駕籠立場跡 塩尻村役場跡




阿礼神社
武運の神として信仰され、坂上田村麻呂や木曽義仲も参拝
狛犬が可愛い



掘ノ内の双体道祖神





12:40 14.1km 堀内家住宅
十八世紀後半(約二百年前)の建築、本棟造で棟飾りに「雀おどり」



蠶玉大神、秋葉大神、庚申塔、道祖神、南無阿弥陀佛名号塔



大門神社

境内にある樹齢3百年のケヤキ




耳塚神社、耳の形に似た素焼きの皿や椀に穴を開けて奉納すると、耳の聞えが良くなる



13:00 15.2km 民家の植え込みにある双体道祖神





13:20 16.6km 平出の一里塚 日本橋から59里
本日の中山道歩きはここまでで塩尻駅に向かう




13:50 18.0km 塩尻駅



乗り換えを待つ小淵沢駅前から





やはり旅は天気が良いに超したことは無い
昨日までと打って変わって快晴
東に八ヶ岳、西に南アルプス、南に富士山、北に北アルプスの山々が青空の下良く見える
庶民は山登りなどしなかっただろう江戸時代真っ白なアルプスの山々をどう見ていたのだろう
どの山も山岳信仰の対象であっただろうが誰もが登れたわけでは無い
足元の石塔石仏、周囲の神社仏閣や遺跡や街並みだけでなく遠くの景色も見れると楽しみも広がる
街道歩きは実に楽しい
 
 ↓そんな訳で 押していただくとたすかります





 地図


用語
【立場(たてば)】江戸時代の五街道やその脇街道に設けられた施設。次の宿場町が遠い場合はその途中に、また、峠のような難所がある場合はその難所に、休憩施設として設けられたもの。茶屋や売店が設けられていた。立場が発展し、大きな集落を形成し、宿屋なども設けられたのは間の宿(あいのしゅく)。杖を立ててひと休みしたのでその名が生じたといわれている。

【高札場(こうさつば)】幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げておく場所

【「問屋場」(といやば)】人馬の継立業務(幕府の公用旅行者や大名などがその宿場を利用する際 に、必要な馬や人足を用意しておき、彼らの荷物を次の宿場まで運ぶ)、飛脚業務(幕府公用の書状や品物を次の宿場に届ける)

【本陣と脇本陣】天皇の勅使や、公家、大名、公用で旅をする幕府の役人などが宿泊するための施設です。本陣だけに宿泊できないときに、予備にあてた宿舎が脇本陣

【名号(みょうごう)】名をもって号(さけ)ぶという意味。「六字名号」・「九字名号」・「十字名号」などがある。六字名号は南無阿弥陀仏の六字



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