上州からの山旅

凡人noyamaの山旅の記録

中山道69次を歩く (長久保宿~下諏訪宿)和田峠越え

2023年11月23日 | 街道を歩く




【8日目 信濃路 長野県】 令和5年(2023)11月18日(土)雪/曇り
 宿場距離:長久保--7.6km--和田--22.8km--下諏訪 30.4km 
 歩行距離:民宿みや~遊遍館(ユーペンハウス)32.5km(累計257.7km) (日本橋・下諏訪3割増257.7
/201.4=1.28)
 行  程:民宿みや07:00---09:13和田本陣跡09:15----11:30接待(永代人馬施行所)11:56----12:47東餅屋跡12:47----13:28中山道古峠13:31----14:05西餅屋茶屋跡14:05----14:10西餅屋一里塚跡14:10----14:22旧中山道・R142出合14:22----14:48水戸浪士塚14:50----15:00樋橋茶屋本陣跡15:02----15:32横断地下道15:33----15:45御柱木落し坂15:48----16:32諏訪大社下社春宮16:42----16:48龍の口16:51----17:08下諏訪宿17:13----17:13甲州道中・中山道合流之地17:13----17:19諏訪大社下社秋宮17:22----18:02遊遍館(ユーペンハウス)1泊朝食付き5,220円



【7:00 民宿みや 出発】


民宿みやを出発すると、落合橋手前の草地に羊が数頭


手前の落合橋を左に進む、空は青空だが天気予報は良くない
今日の長い行程を考えると少しばかり天候に不安を覚える


大門川に架かる和田橋、中山道を示す道標が整備されている



7:25 1.4km ここから国道142号線を離れ右へ


水理の里公園の馬頭観音
道路整備などで周辺のものが集められたのだろうか?


青面金剛・道祖神 
少し変わった丸みを帯びた石塔



上深山口バス停
中山道を意識してか藁屋根の形の良いバス停



天王夜燈(寛政十二年=1800)、西国巡礼供養塔(宝暦二年=1752)、青面金剛像庚申塔
江戸中期この地から西国33観音巡礼に出かけた記念OR供養塔?



斎藤木材工業
「日本一の木造ドームを造った大断面集成材のメーカー」ここにあったんだ!




ミミズの碑 ミミズの夫婦が寄り添うような石碑、これも双体道祖神か?
「落ち葉等を食べ植物が育つ土壌を造り、煎じれば解熱剤にもなる」ミミズに感謝して建てられた
せっかくの解説版だが良く読めない




相馬家の門 立場跡
立派な長屋門の手前に壊れそうな門があるが同じ相馬家の門だろうか?



水場 芦田宿から下諏訪宿にかけて水場が沢山あり飲み水には苦労しない




馬頭観世音塔、大乗妙典供養塔(寛政八年/1796)、庚申塔(享和三年/1803)、三千僧接待碑(安永六年/1777)
「三千僧接待碑は諸国遍歴一千僧の接待を発願して建碑、結願した後に三千僧を発願としたため、一の上に二を刻み三とした」


線刻の男女双体道祖神? よく判らない


左の石碑は古そうに見えるが平成八年(1996)建立、二人の童と獅子舞の祝祭碑
真ん中は4?、右は青面金剛


阿亀馬頭観世音塔
お亀と馬頭観音? 文字塔で無ければ「お亀の面に馬を乗せた」面白い馬頭観音だろう


馬頭観世音、水供養水道之碑、回国百番観音碑





若宮八幡宮
戦国時代当地の領主と武田信玄が戦い、敗れた領主の墓がある


枝が道路を横断する境内の樹齢三百年ケヤキの大木



江戸より49里、「上組の一里塚」跡
後ろはクルミ畑、近辺にはクルミ畑が多くある




【28次 和田宿 8:37 5.2km】


是より和田宿


八幡社



祝言道祖神 平成3年(1991)建立の新しいもの
隣に水場もありバブル時代の代物か?ふるさと創成一億円事業なんてのもあったけど



追川橋の向こう右手に旧旅籠「かわちや」、歴史の道資料館として公開されている



「民宿みや」が経営し、営業している和田宿唯一の宿
素泊まり一棟貸しなので江戸方面からの単独行では手前の民宿みやに泊まる他無い



本陣跡 長井家



石合 
旅籠の意匠を残しているが民家、狭い玄関前に上手に駐車している



「米屋鐵五郎」は上の問屋だった、現在は和田宿休憩所
寄って資料収集したかったが日程を考え先を急ぐ



脇本陣 翠川家


旧庄屋宅(なが井)を改装した旧本亭旅館



和田宿の家並、京方面を見ると峠が白く見える

江戸方面は青空



万屋 立派な卯建が目立つ


高札場(こうさつば)
「次の宿までの駄賃、犯人の罪状などを人々に知らせる場所で、旅人は笠等の被り物を取るのが習わし」 


双体道祖神 芦田あたりから双体道祖神の数が増えたような気がする


9:35 7.8km 「鍛冶足の一里塚跡」日本橋より区切りの五十里目
道標「左 松澤歩道 右 諏訪街道」




ごみ無し童地蔵
不法投棄防止の地蔵の様だが、標柱が壊されていた



10:00 9.5km  祝言道祖神
「この辺りには二軒の茶屋があり、うち一軒は塩つけ宿と呼ばれる中牛馬稼ぎの牛宿で、信州の特産品を上州まで運び、帰路は貴重な塩を持ち帰った」


峠に向かうが雪が降り出し、車道沿いに歩道は無く車を気にしながら歩く



ビーナスライン・扉峠方面は通行止め



10:40 12.0km 唐沢の一里塚 



和田峠口
ここから国道を離れ旧道を歩く




休み茶屋跡にある避難小屋と三十三体観音
避難小屋のトイレは使用禁止


平坦な道だが雪降り積もる


ごみ無し童地蔵にも雪



11:30~12:00 14.5km 接待茶屋跡  ここで休み昼食
「江戸の豪商が幕府に千両寄付し、その利子を碓氷峠坂本宿と和田宿に下付し設けられた接待所。
11月から3月まで旅人に粥と焚火、牛馬には年中煮麦を施行した」


向かいに「接待の湧水」があり、水汲みに来る人が絶えない



12:22 15.7km 長坂の避難小屋



12:35 16.2km 広原の一里塚 江戸より52里




一里塚から200m程歩くと再び国道へ出る。そこから車道を更に200m歩くと東餅屋立場跡
力餅が名物だそうだが今は廃墟となった東餅屋ドライブイン



ここから国道142号を離れビーナスラインを潜る


ビーナスラインを何度か横断して旧道へ



13:20 18.0km 和田峠(古峠)
和田峠へ付くと先ほどまでの雪が嘘のように晴れ渡った


御嶽山坐王大権現

大日大聖不動王



石小屋跡
「和田峠から下諏訪へは急坂で風雪の時は通行に難渋したので、下原村の名主勝五郎が安政二年(1855)郡奉行所の許可を得て、石小屋を建て、人馬の避難や荷置場とした」



道祖神&牛頭天王
峠を下がると晴れた空は去り、たちまち雪が積もる吹雪となった
「 牛頭天王(ごずてんのう)は神仏習合の神。釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされた」



西餅屋茶屋跡
和田峠と下諏訪宿の中間に設けられた立場



江戸から53里 西餅屋の一里塚





旧道から国道142号線に出るが、やはり歩道が無く滑る路面は怖い



浪人塚(和田峠より4.6km)
1864年天狗党は朝廷へ尊皇攘夷の志を訴えるべく京都へ向かう途中ここで幕府から討伐の指示を受けた高島藩・松本藩と戦った。
双方とも10人前後の死者を出したが天狗党が勝利し加賀藩に投降するまで進軍した



14:55 23.0km 養蚕の神様 蠶玉(かいこだま)神社



樋橋茶屋本陣
樋橋村は寛永十一年(1634)立場として誕生した



四本の柱に囲まれた道祖神
是より前に樋橋の一里塚跡(江戸より54里)があったはずだが工場があり入口が判らなかった




15:45 26.4km 木落し坂(峠から8.0km)
御柱祭は数えで七年(満六年)毎の寅年と申年に行われる諏訪大社下社の大祭です、諏訪大社下社の春宮と秋宮に立てる御柱(樅の大木)八本を奥山から切り出し、曳行の途中、この坂から御柱を落とす神事


木落し坂まで来ると雪は止み晴れ間が出たが日没が近い



落ち葉に埋もれそうな、道祖神や馬頭観世音等


芭蕉句碑
「ゆき散るや 穂屋のすすきの 刈残し」今頃の季節か?



16:05 27.2km 注連掛(しめかけ)
木落し後の御柱を一旦ここに安置し、注連縄を掛けて清め休ませる所



山の神


道祖神 このあたりの神様は御柱4本が建っている





16:38 29.0km 諏訪大社下社春宮



臨済宗妙心寺派白華山慈雲寺 この階段を上がったところにある
武田信玄は慈雲寺中興の祖といわれる天柱和尚を師と仰いでおり、戦場に赴く際に慈雲寺に立ち寄った



龍の口 江戸の旅人もここで喉を潤した、街道沿いの飲料水には事欠かない



下諏訪の一里塚(江戸から55里 峠から10.9km) 
屋込みで一里塚があったと場所とは思えない





【29次 下諏訪宿 17:00着 30.0km】


岩波本陣跡(峠から10.9km)
日もとっぷりと暮れ闇夜に提灯の明かりがありがたい



甲州街道・中山道合流の地




17:20 30.4km 諏訪大社下社秋宮

ここで本日の行程を終了し2km先の宿へ向かう、途中のラーメン屋でラーメン・餃子にビールで夕食

9984
宿の遊遍館(ユーペンハウス)に着くころまた雪が降り出した
冷えと疲れを癒すには良い温泉宿だった




何日も降らなかった雨が降った昨日、今年の初雪で吹雪の峠越えの本日
機能性の高い衣服や靴のなかった時代の先人の苦労を思えば大したことは無いのですが
街道旅の艱難辛苦や醍醐味を少しばかり味わった気分
歩行時の困難はさの大きさが帰って来た時の思い出の深さに比例するようです
中山道135里の内まだ55里、これからが楽しみな今日この頃です
 
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 地図




日本橋からの記録はこちら

【用 語】
【立場(たてば)】江戸時代の五街道やその脇街道に設けられた施設。次の宿場町が遠い場合はその途中に、また、峠のような難所がある場合はその難所に、休憩施設として設けられたもの。茶屋や売店が設けられていた。立場が発展し、大きな集落を形成し、宿屋なども設けられたのは間の宿(あいのしゅく)。杖を立ててひと休みしたのでその名が生じたといわれている。

【高札場(こうさつば)】幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げておく場所

【「問屋場」(といやば)】人馬の継立業務(幕府の公用旅行者や大名などがその宿場を利用する際 に、必要な馬や人足を用意しておき、彼らの荷物を次の宿場まで運ぶ)、飛脚業務(幕府公用の書状や品物を次の宿場に届ける)

【本陣と脇本陣】天皇の勅使や、公家、大名、公用で旅をする幕府の役人などが宿泊するための施設です。本陣だけに宿泊できないときに、予備にあてた宿舎が脇本陣




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