
【4日目 相模國・甲斐國】 令和7年(2025)4月25日(金)晴れ
歩行距離:与瀬~大月34.5km (日本橋から歩行距離107.2km、宿場間距離96.8km 107.2/96.8=1.11)
平均時速2.9km
宿06:26 - 06:40 坂本本陣跡 - 07:20 与瀬一里塚 - 07:30 甲州道中・横道 - 07:35 秋葉神社 - 08:20吉野本陣跡 – 8:45関野の一里塚-9:12関野本陣跡--9:45諏訪関所跡 - 10:26塚場の一里塚 - -10:47上野原本陣跡--11:50大椚の一里塚 - 12:55 野田尻宿 - 13:10萩野の一里塚--14:34犬目宿-- 14:25 - 15:08 君恋温泉 - 15:13 恋塚の一里塚山谷 – 15:23上野原市・大月市境 - 16:18上鳥沢の一里塚 - 17:07 猿橋 - 17:40殿上の一里塚跡- 18:02 厄王権現口 - 18:22 大月駅—ホテル浜野屋(素泊6,600円)
【与瀬宿】
宿は早朝の食事にも対応してくれ朝6時に朝食を食べ与瀬宿を出立
「明治天皇與瀬御小休所阯碑」がある。
「慈眼寺入口」の立看板の後ろに本陣を示す木柱があるそうだ
与瀬神社 急階段を登って中央本線と高速道路を跨いだ向こうに本殿があるようだが先を急いだ
この「ラーメンセンター」手前の沢を登って
高速道路を潜り、反対側のこの標柱の所を高速道路沿いにUターンしてみた
与瀬の一里塚? 日本橋から16里 7:10 宿から2.6km
迂回して、沢の反対側に回り腐りかけた木柱「与瀬・・・」
木柱の右側は広場の様になっており下は高速道路、フェンス越しに相模湖
赤坂分岐 ここから旧道らしきところに入る
南無阿弥陀仏名号碑、蚕影山(こかげさん)碑、廿三夜塔、馬頭観音等
この辺りも養蚕が盛んだった
相模湖インターから相模湖
【吉野宿 相模國】
吉野宿 高札場 8:15 宿より5.2km
「吉野宿ふじや」と街並み (藤野町郷土資料館)
大月市の猿橋と構造も工法も同じで、規模が少し小さいところから小猿橋と呼ばれた
* 関野の一里塚 江戸日本橋より17里 8:45 宿より6.5km
【関野宿 相模國】
JR中央本線をこ線橋で渡る
境川に架かる橋で、相模国(神奈川県)と甲斐国(山梨県)の国境
【甲 斐 國】
橋は「境川橋」 そちらへ進むと関野方面へ戻ってしまう
九十九折れの急坂を登っていくと眼下に相模川、遠くに中央高速が見える
諏訪関所は、甲斐二十四関の一つで、境川番所とか境川口留番所とも呼ばれた。 明治4年に廃止となり、建物は一時渋沢栄一の別荘になった
以前は「古郡神社」、「古郡神社諏訪大明神」と称した
塚場の一里塚 日本橋より18里 10:26 宿より11.4km
【上野原宿 甲斐國】
新町二丁目信号 この辺りから上野原宿
酒饅頭が名物らしく、1つ120円の餡饅頭を買い歩きながら食べた
ほんのり日本酒の香がして美味しい
上野原宿本陣跡 10:47
国道から入ったところに門だけ残っている
鶴川橋を渡る
【鶴川宿 甲斐國】
鶴川宿入口 11:05 宿より13.5km
地蔵尊と水天宮
鶴川宿の街並み 本陣や脇本陣跡はわからなかった
大椚(おおくぬぎ)の一里塚 江戸日本橋より19里 11:50 宿より16.0km
5時間歩いたので一休みする、腹も減った
200年経過しても、綺麗に祀られた二十三夜塔 寛政十二年(1800)建立
大椚宿発祥の地 (大椚は間の宿)
右に安永六年(1777)建立の秋葉山常夜燈、左に文政二年(1819)建立の念仏供養塔
吾妻神社と観音堂
観音堂には色彩の施された大日如来像と千手観音像
【野田尻宿 甲斐國】
野田尻宿の街並み 矢印の民家の庭に牛頭観音石碑がある
「明治天皇御小休所址碑」本陣跡 12:55 宿より18.8km
臨済宗熊埜山西光寺
荻野一里塚跡 日本橋より20里 13:10 宿より19.5km
車道の擁壁の上に標柱、カーブ地点のせいか離れた擁壁の外れに解説板がある
享禄三年(1530)相模國の北条氏縄の軍勢、武田家の家臣小山田越中守の軍勢が坂を挟んで激戦の地
*この上に今年4月に開館した美術館があるからぜひ寄るように地元のおばちゃんに、声をかけられた
* 永井吐無美術館
昨年亡くなった洋画家永井吐無さんの絵をかかない弟子小俣忠徳さの個人美術館
入館無料でお茶も用意されていたのでここで大休止
永井吐無(1944-2024)サンティアゴデ・コンポステーラや四国八十八ヶ寺四国88か所をテーマにした絵や納経帳の挿絵、瀬戸内寂聴の本の挿絵などを書いている
いままで名前すら知らなかったが、作品はどこかで見た記憶があり好きな画
「先導者の鈴音を頼りに進んできた盲人が、屈曲している山道を先に回り切ってしまった先導者の鈴音の方に進み、谷底に転がるように落ちてしまった」
【犬目宿 甲斐國】
犬目宿碑と街並み 14:34 宿から22.1km
天保4年以来凶作が続きついに7年に起きた『甲州一揆』(天保騒動)の首謀者
犬目慈母観音像脇から富士山が望める
葛飾北斎「富嶽三十六景甲州犬目峠」や歌川広重「不二三十六景犬目峠の富士」はこの観音像辺りから写生したものという
陰陽石 盗まれないように鉄籠に入っているのだろうか?
恋塚の一里塚 江戸日本橋から21里 15:13 宿から23.6km
馬宿跡 八重桜が満開
石畳も残されている
上野原市と大月市の境 15:23 宿から24.1km
市境を過ぎ「山谷バス停」あたりから
残雪の富士山が良く見え、手前の八重桜もあり山里の素敵な景色だが
薄曇りの空に残雪の白い富士が解けて自分のコンパクトカメラではよく写らない
「寒念仏」とは、1年でもっとも寒さの厳しい小寒から節分までの30日間にわたり、鉦をたたき念仏を唱えながら諸所を巡回する一種の苦行
【下鳥沢宿 甲斐國】
下鳥沢の街並み
* 上鳥沢の一里塚 江戸日本橋から22里 16:18 宿から27.4km
旅館「叶屋」跡
街並み
【上鳥沢宿 甲斐國】
井上本陣跡 明治天皇駐蹕地碑
国道20号と旧道を出入りする
【猿橋宿 甲斐國】
長野県上松町の「木曽の桟」、山口県岩国市の「錦帯橋」と並んで、日本三大奇矯と呼ばれている
現在の橋は昭和59年に総工費3億8千万円で掛け替えられたもの
断崖絶壁の架け替え工事を見てみたかったが難工事であっただろう
* 猿橋北詰にある芭蕉句碑「うき我を 淋しがらせよ 秋の寺」
日蓮宗円行寺
文久二年(1862)建立の廿三夜塔、道祖神等
殿上の一里塚跡 江戸日本橋より23里 17:40 宿より31.9km
阿弥陀寺入口にある標柱「一里塚跡 猿橋」と書いてあるようだが朽ちて読めない
また旧道に入る、国道20号は通行量も多く歩道がないところもあるので旧道に入るとホッとする
キリンが居る家 動物病院の様だ
明治40年(1907年)に発電所の運転を開始した水力発電所(現役)
第五甲州街道踏切を渡る
国道20号に出て、また旧道へ
【駒橋宿 甲斐國】
駒橋宿碑 18:05 宿より33.3km
旅籠橿屋跡 駒橋宿の街並み
【大月宿 甲斐國】
大月駅前 今夜の宿「浜野屋」着 18:23
本日の歩行距離34.5km さすがに疲れた
地図
参考1:「ちゃんと歩ける甲州街道 甲州道中四十四次」 八木牧夫著 山と渓谷社
参考2:五街道ウオーク:上記本の著者八木牧夫さんのホームページ
参考3::電子足跡:GPSログがとても参考になります
参考4: きままに歩く:現地解説版など詳細な写真が豊富
参考5:街道歩き旅:写真と文章がコンパクトにまとまって分かりやすい
参考6:「日本史 小辞典」(改訂版) 山川出版社
一面を染める満開のキリシマツツジを見てみたいものです