上州からの山旅

凡人noyamaの山旅の記録

中山道を歩く (江戸日本橋~浦和宿)

2023年01月08日 | 街道を歩く
 1日目は江戸日本橋から板橋・蕨・浦和宿を歩きました  





【1日目 武蔵国 東京都・埼玉県】 2023年1月4日(水)晴れ
 計画距離:日本橋---10.8km---板橋---9.3---蕨---4.7---浦和 合計24.8km 
 歩行距離:東京駅~日本橋~浦和駅 30.3km(累計30.3km) 
 行  程:前橋駅5:31==8:12東京駅--08:39日本橋--10:48ときわ食堂11:30----高岩寺(とげぬき地蔵)---12:09観明寺(板橋宿江戸口)12:14----12:27文殊院12:28----12:32ふれあい橋12:32----12:38縁切り榎12:38----13:10志村一里塚13:11---13:17清水坂13:17----14:19戸田の渡し跡14:27----15:05蕨宿15:14---15:25万寿屋15:50---15:50三学院---16:00蕨宿上木戸----16:20辻の一里塚----17:05調(つき)神社---17:16浦和駅17:25===19:23前橋駅 

 冬山に行かなくなり、スキーも寒いので冬の暇つぶしを考えた
 そうだ、五街道歩きなんかどうだろうか?
 山友に話すとあっさり同意された
 早速、年の初めに出かけてみた



 【日本橋8:40出立 板橋宿まで10.8km 】

 朝4時(七つ)に起きて、JRで東京駅に
 「お江戸日本橋 七つ立ち」とは行かないが
 午前8時(五つ時、辰の刻)、日本晴れの日本橋を出発


 日本橋の北西側に街道の原点、日本国道路原票



 反対側に「魚河岸碑」がある
 関東大震災以後、築地に移り東京都中央卸売市場となった





 神田駅まで○○跡という表示がいくつかあった
 全部チェックしていると先に進まない
 急ぐ旅では無いがそれなりに進みたい



 都営バスは水素バス



 甘味処「竹むら」 「藪そば」
 須田町の信号先を左に入ると、東京都選定の歴史的建造物がある
 伝統的建造物群保存地区とは違い建物が連坦しているわけではないが都心にある古い建物は趣がありホッとする



 松の内ということもあり神田明神は初詣客の賑わい
 鳥居脇に弘化三年(1846)創業、名物明神甘酒の老舗天野屋があり。
 「富士山に 肩を並べる 甘酒屋」と詠われましたそうなので寄ってみたかったが
 混雑しておりパス



 本郷3丁目信号角に「かねやす」の看板
 「本郷もかねやすまでは江戸の内」と言われたそうだ
 信号を過ぎて右手には、ご存じ東大赤門
 東京大学の敷地は加賀藩上屋敷跡、赤門(御守殿門)は徳川十一代将軍家斉の娘溶(やす)姫が前田家に輿入れする際に、建立された門(重要文化財)



 本郷追分の信号を17号沿いに進むと右手に曹洞宗金龍山大圓寺
 大圓寺は天和二年(1683)の天和の大火(てんなのたいか)の火元といわれている
 境内に安置されている「ほうろく地蔵」は火あぶりの刑に処せられた八百屋お七を供養する地蔵尊
  


 巣鴨商店街入口附近には真言宗豊山派真性寺
 境内には江戸六地蔵の一つ、正徳四年(1714)造立の銅像地蔵菩薩像がありる。
 江戸の六口に街道守護として安置されていた



 おばあちゃんの原宿、巣鴨地蔵通商店街
 巣鴨地蔵通りに入ると右手に初詣で賑わう曹洞宗萬頂山高岩寺がある
 本尊はとげぬき地蔵と呼ばれる秘仏
 境内には、患部と同じ個所を洗い清める洗い観音があり長蛇の列ができていた



 通りに2店舗ある「ときわ食堂」、どちらも満員御礼
 アジフライ定食(900円)で早めの昼食、小ぶりだが肉厚で美味しかったが
 アジフライ3枚は年寄りには少しばかり油濃かった



 東京都で唯一残る路面電車、都電荒川線 庚申塚駅



 延命地蔵
 文政年間(1818~30)の造立で、中山道で行き倒れになった人馬の霊を供養している



 大正大学前の「種子地蔵」
 大学前の通りには名産の滝野川牛蒡や人参、練馬大根等の種苗を扱う商家が軒を連ねタネ屋街道と呼ばれた




 【板橋宿着12:09 ここまで計画10.8km 実際の歩行距離12.5km】


 真言宗豊山派如意山観明寺 この辺りが板橋宿江戸口
 観明寺参道口の青面金剛像庚申塔は寛文元年(1661)造立、都内最古で板橋区有形文化財



 大名等が参勤交代の際宿泊した板橋宿の本陣・脇本陣は商店街となり現存せず、石碑で位置を示してある



 地名の由来となった板橋



 交番となりにある板橋宿碑 



 男女の縁を切りたい時はこの榎の樹皮を煎じて相手に飲ませるとその願いが成就するという「縁切り榎」
 妙齢のご婦人がお参りしていた



 氷川神社



 志村の一里塚(日本橋より三里)
 都内で現存する一里塚は北区西ケ原と志村の二ケ所だけで、国史跡、板橋区史跡



 宅地に取り込まれた様な庚申塔と大山道道標
 「十二支の組み合わせによって六十日に一度巡ってくる庚申の日を庚申待ちといい、人間の体内にいる三尸(さんし)の虫が寝てしまうと天帝にその人間の悪業を告げてしまうからので、仏教では帝釈天や青面金剛、神道では猿田彦を祀り一夜を明かす行事」五街道ウオークより



 清水坂
 日本橋を出立し最初の難所といわれた急な下り坂。
 清水坂は途中から左に大きくカーブ、ここからは中山道で唯一富士山が右手に見える右富士の名所



 戸田橋がかかる荒川は東京都と埼玉県の堺
 橋を渡り、右に階段を降りると案内板が左方向を指示している
 ここを曲がらずに直進すると水神社や戸田渡船場跡碑がある



 水神社


 戸田渡船場跡碑は斜路の上にあった




 【蕨宿着15:05 ここまで計画21.1km 実際の歩行距離23.1km】


蕨宿碑 下木戸跡



 下木戸を入ると右側に蕨町道路原票がある
 道路には中山道69次の絵図が埋め込まれている



 マンホールも旅がらす風



 
 蕨市歴史民俗資料館 隣に本陣跡碑


 
 ここまで24km、7時間程歩いき足にマメも出来てきたので
 天保年間(1830~44)創業の萬寿屋で白玉ぜんざい(550円)をいただき一休み



 萬寿屋前が言宗智山派金亀山極楽寺三学院の参道



 梵字馬頭観音塔

手前が目疾地蔵、万治元年(1658)の造立。
 寛文~元禄年間(1661~1704)にかけて造立された六地蔵
 奥の子育地蔵は元禄七年(1694)の造立

 黄金の亀が居る手水舎



 上木戸跡



 一六橋 蕨宿一番地
 一六橋は見沼用水の分流で一六用水に架橋されていた
 蕨宿一番地が蕨市とさいたま市の境



 辻の一里塚
 一里塚跡碑の並の弁財天は水難除に祀られている



 関元屋の「お助け井戸」は関東大震災や東京大空襲で逃げ延びた人達の喉を癒した



 日没後17:00やっと調(つき)神社に到達
 狛犬ならぬ狛兎が昇って来た月をくわえるように見えた
 兎年とあって参拝客で大賑わい

東京駅から9時間、30kmの歩行
 休憩時間を入れて時速は約3km、宿場間の距離は25km
 脇道にそれたりして2割程余分に歩いたことになる
 次回からの計画に取り入れたい
 




 初めての街道歩き
 東京駅から巣鴨まではビル群の下の喧噪の中を歩きました
 巣鴨を過ぎたころから街の雰囲気は変わります

 「ちゃんとある歩ける 中山道六十九次」八木牧夫著 山と渓谷社
 を参考に歩きましたが見どころが多く中々先に進めません
 今は消えてしまった宿場や本陣等も紹介されており迷うこともありましが
 オリエンテーリングの様にそれらを探して歩くのも楽しみの一つです
 食事や休憩場所もできるだけ土地土地の名物を探しますが思うようには行かないものです
 
 貧乏性のせいか、先を急ぐ旅でもないのについ先を急いでしまうのも反省点
 アスファルト道路を歩くのでランニングシューズを選びましたが
 靴下が化繊のものだったので汗で蒸れてマメが出来てしまったのも反省点でした

 分割しての中山道歩き、京三条大橋につくのはいつのことでしょう

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