正月から、体調崩れ・・熱に咳きに鼻水とヘロヘロ状態・・
そんな中、今日3日から動き出す・でも、まだまだ復調とはいえない(-_-;)
今日の収穫・・・
コウチャンフォーに寄って、あれこれ本をみてると、
藤原新也の「メメント・モリ」をみつける・・
「メメント・モリ」とは、
ラテン語で「死を想う」
題名が題名だけに、
コメントとフォトがスゲ~~~
藤原氏は前から気になっていたカメラマンだけど、
彼が25年も前に出版した本がこれだ。
改訂版とのこと・・
著名なアーチスト達がこの本によって、
いろいろ触発されたのが、
納得の写真集だ。
いつも、写真集は、
買わずにチェックだけして、
後で図書館で借りることにしてるが・・・・・
これは座右の書となる本だ~~
おもわず買ってしまう・・
.fujiwarashinya.com/memento_mori/memento.html
冒頭の文を・・
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「ちょっとそこのあんた、顔がないですよ」
いのち、が見えない。
生きてることの中心(コア)がなくなって、ふわふわと
綿菓子のように軽く甘く、口で噛むとシュッと溶
けてなさけない。
死ぬことも見えない。
いつどこでだれがなぜどのように死んだか、そ
して、生や死の本来の姿はなにか。
今のあべこべ社会は、生も死もそれが本物であ
ればあるだけ、人々の目の前から連れ去られ、
消える。
街にも家にもテレビにも新聞にも机の上のポ
ケットの中にもニセモノの生死がいっぱいだ。
本当の死が見えないと本当の生も生きられない。
等身大の実物の生活をするために、等身大の
実物の生死を感じる意識(こころ)をたかめなくてはなら
ない。
死は生の水準器のようなもの。
死は生のアリバイである。
MEMENNTO-MORI
この言葉は、ペストが蔓延り、生が刹那、享楽的
になった中世末期のヨーロッパで盛んに使われた
ラテン語の宗教用語である。その言葉の傘の下に
は、わたしはこれまでの生と死に関するささやか
な経験と実感がある。
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そんななか、今朝撮った自分のフォトは
なんと気が抜けてるのだろ(^_^;)