なないろの日記

あんなこんな気分のフォト日記・・・

そらのくもがみえる・・・

2010年01月30日 | 写真



ひ が かたむき・・

ひ が さしてくると・・

そら に うかぶ くも が みえる・・

ゆきかべ が みせる そら ・・・

なんかな~~

2010年01月17日 | 写真





このところの吹雪の夜や
そのへんで除雪された雪のかたまりを撮ってみる・・・
なにか、かがやくときがあるはずと・・・
でも、なんかな~~、自分自身 納得できない・・・・・・・・

フォトは今日の月とゆうやけ・・・

レタッチ



「メメント・モリ」とは・・・・

2010年01月03日 | 写真
正月から、体調崩れ・・熱に咳きに鼻水とヘロヘロ状態・・

そんな中、今日3日から動き出す・でも、まだまだ復調とはいえない(-_-;)

今日の収穫・・・

コウチャンフォーに寄って、あれこれ本をみてると、
藤原新也の「メメント・モリ」をみつける・・
「メメント・モリ」とは、
ラテン語で「死を想う」
題名が題名だけに、
コメントとフォトがスゲ~~~

藤原氏は前から気になっていたカメラマンだけど、
彼が25年も前に出版した本がこれだ。
改訂版とのこと・・
著名なアーチスト達がこの本によって、
いろいろ触発されたのが、
納得の写真集だ。

いつも、写真集は、
買わずにチェックだけして、
後で図書館で借りることにしてるが・・・・・

これは座右の書となる本だ~~
おもわず買ってしまう・・
.fujiwarashinya.com/memento_mori/memento.html

冒頭の文を・・

   ※※※※※※

「ちょっとそこのあんた、顔がないですよ」

いのち、が見えない。

生きてることの中心(コア)がなくなって、ふわふわと

綿菓子のように軽く甘く、口で噛むとシュッと溶

けてなさけない。

死ぬことも見えない。

いつどこでだれがなぜどのように死んだか、そ

して、生や死の本来の姿はなにか。

今のあべこべ社会は、生も死もそれが本物であ

ればあるだけ、人々の目の前から連れ去られ、

消える。

街にも家にもテレビにも新聞にも机の上のポ

ケットの中にもニセモノの生死がいっぱいだ。

本当の死が見えないと本当の生も生きられない。

等身大の実物の生活をするために、等身大の

実物の生死を感じる意識(こころ)をたかめなくてはなら

ない。

死は生の水準器のようなもの。

死は生のアリバイである。

MEMENNTO-MORI

この言葉は、ペストが蔓延り、生が刹那、享楽的

になった中世末期のヨーロッパで盛んに使われた

ラテン語の宗教用語である。その言葉の傘の下に

は、わたしはこれまでの生と死に関するささやか

な経験と実感がある。


       ※※※※※※   

そんななか、今朝撮った自分のフォトは
なんと気が抜けてるのだろ(^_^;)