お昼ごろから時雨出した。自転車でスリップ転倒したことがあるのであわてぬよう用心して旧伊丹街道をひた走る。知人と会う。雨は夕方あがる。帰りを急ぐ。が、きょうは千里の公園へどこも行けずじまい。というわけで気ぜわしい一日が過ぎ写真を撮るひまなし。義兄が師事していた故阿波野青畝師のお句に
朴という気ぜはしさうに枯れにけり 青畝
がある。師は朴の枯れる姿が「気ぜはしさう」というのだが、その時間感覚は時代や場所によって違うのではないか。いまのぼくにはオーバー―な表現に思える。朴葉は柏のように大きく丈夫や。箕面の山中でも拾ったことがある。40代のころ、家族で御嶽山に登ったとき一泊した濁川温泉でテーブル一杯に山菜料理がでた。その中の一つに朴葉みそというのがあった。朴葉の上に味噌を置いて焼くというだけのものだがけっこうおいしかった。
しかし考えて見ると「時間」というのはとらまえがたい。12月の一日一日はやはりこれまでの月とは微妙に違う気がする。
のんびりとかつ気ぜわしき時雨かな 愚老
自転車をこわごわ街道時雨けり 同
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ノーやん
fm
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