きょうは、太平洋戦争開始74周年。当時ぼくは一歳九カ月の赤ん坊。もちろん記憶にない。しかし名古屋大空襲で家を焼かれ友だちを失い栄養失調寸前になった戦争の恐ろしさは覚えている。「戦争はもうまっぴらごめん」。「日本国憲法」公布10ヶ月後に文部省が発行した教科書「あたらしい憲法の話」は、「…いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、悲しい思いをしたくないと思いませんか」と書いているがその通り。教科書は「こんな戦争をして日本はどんな利益があったでしょうか。なにもありません」とのべつつ「戦力の放棄」と争いごとはおだやかに相談してきまりをつけるという「戦争放棄」の日本へふたつのことを説明。.まったく同感。
戦争体験世代が少数派となったいま、この戦争の反省はどこへ消えたのか。アベ自公政権によって憲法の平和原則はズタズタになり、第二次大戦の反省もうやむや。けどね。「反動のバネはこわれやすい」ぞ。去年も書いたがことしも同じことを言う。大阪のダブル選挙に見るように大阪人も、日本人も外から見るとおかしなところがある。あるにはあるが、簡単な数式では解けないのが世の中の摩訶不思議。ただ、薔薇園の赤薔薇さんは、「戦争はお断り」の棘を出し通せんぼしてござるよ。「ノン・パサラン」(写真は全部二ノ切池公園の薔薇)。
戦争へのめり込むもの嗤う薔薇 昇龍子
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ノーやん

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