Yさんは戦後広島に赴任し、被爆地の姿を見つめてきた。広島に出張してきた重役には必ず平和記念資料館を案内したという。広島出身のKさんは「広島忌被爆を熱く語る姉」を出句した。その姉が被爆のことを語り始めたのはごく最近のことだそうだ。「やはり被爆者は差別者されたのですか」「原爆投下後にも原爆症になった人もいたそうですね」「黒い雨が降ったそうだが」。つぎつぎと質問が出た。広島から東京、大阪、名古屋、それぞれの空襲体験も話し合う句会となった。「死んだ人が転がっているところ歩いた覚えがあります」「機銃掃射に逃げ惑ったことがあります」、、、。そう語る人の年齢は70歳を超えている。戦後日本の出発点は、ポツダム宣言を受託した8月15日にあった。それにしても、残虐兵器の使用を命じたものの責任も、「国民を欺瞞し」「世界征服の挙」に出た権力者の責任もあいまいなまま、日本という国が63年間歩いてきたことが不思議でならない。大江健三郎氏の「あいまいな日本の私」を自問自答し、「あいまいさ」に引き裂かれず押し流されず非戦・人の道を歩み続けたい。
ドドンパを踊る娘に遇う終戦日
きりぎりす鳴いているかも父母の墓 拙句
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