ノーやん日記パート2

「電光影裏斬春風」って?

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晴れ。夜明け前の月。「おっ!きょうは明るいな」。十六夜だった。昨夜が満月。反応がしだいに鈍くなる。月光を詠める俳人になりたい。スケール大きく蕪村のように。親子の情愛細やかな龍太のように。月天心貧しき町を通りけり 蕪村/月の道子の言葉掌に置くごとし 龍太。昼は、パスタ・ナポリタンプラスマッシュルーム。

 午後、せんちゅうの千里図書館へ。リクエスト本を受け取る。ついでに、読み途中だった沼田真佑さんの芥川賞受賞作「影裏」を見つけ読む。D学園高校吹奏楽部の演奏を聴きながら。小説の前半は某社の営業マンらしき主人公が岩手県に転勤し同僚だった友人と渓流釣りする話。仕事の話を綯交ぜて。その友人が、東北大地震で死んだかも知れんという話を耳にした主人公は、友人の実家を訪ね、複雑な親子関係を知る。捜索願をすすめるが、父親は“ほっといてんか”という。その実家の部屋で主人公は模造紙で「電光影裏斬春風」の墨書を目にする。それがクライマックスと思ったのだが…。

 後半、突然に出てきたこの言葉に戸惑う。広辞苑にもない言葉。検索すると、どうやら禅語らしい。夏目漱石が「吾輩は猫である」のなかで哲学者・八木独仙の言葉として書いたものともいう。「でんこうようりしゅんぷうをきる」と読むらしい。その言葉探しに日が暮れる。この小説、そもそも何を言おうとしたいのか。愚老にはいまいち分からない。「電光影裏」に深い意味があるわけでもないのかもしれん。写真上=「カナダ先住民の文化力」展から。下=みんぱくの外周に咲くコスモス。
          手をつなぎ月をふみふみ帰る夜 昇龍子
         

 

コメント一覧

ノーやん
https://55926699.at.webry.info/
{%ふつうの顔webry%}日本の猩々に似ているなと思いアップしましたがぼくには分かりません。
fm
上の仮面の様式は見覚えがありません。やはり広い大陸の東西の両極では文化も違うのですね。言語も違うのでしょう。かすかに記憶しているのは異なる部族間のボディ・ランガージです。手のひらをだし、水をくれないかという意味だったはず。懐かしいなあ。
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