ノーやん日記パート2

蕪村の句づくりのこころ(続)

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曇りのち雨。「蕪村全集」五書簡のつづきを読む。安永6年(1777)冬、弟子の几董に宛てた手紙に目が留まる。日付けなく時候の挨拶もなしにいきなり韮と冬の取り合わせ句―つぎの5句を書きつけ、どれがいいか選んでくれという。

 霜あれて韮を刈取翁かな/冬木立北の家かげの韮を刈/ふゆざれや小鳥のあさる韮畠/物あれて韮にかくるゝ鳥孤ツ/腐儒者韮の羹くらひけり
右の句々、皆寒郷(貧しくさびしい地)陋巷(貧民の住む狭いまち)の致景(美景・見どころ)也。可否いづれぞ、淘汰を希(ねがい)候。    夜半
几董子

 几董が師匠にどう返事したかは分からない。俳諧においても宗匠と子弟の主従関係は厳しかったのではないかと思うが師匠が自分の句を弟子にどれがいいか選んでみてくれというのは、座の文芸を心得た作法なのだろうか。蕪村の人柄によるものだろうか。現代風に言うと一句に季語がふたつもあるのはよくないとされるがここでは冬と韮(春)の「取り合わせ」として詠われ「季重なり」は問題ではない。

 もし、愚老に3句選べと言われれば、ぼくは「冬木立北の家かげの韮を刈」「「物あれて韮にかくるゝ鳥孤ツ」「腐儒者韮の羹くらひけり」を選ぶ。貧乏人の寒々とした暮らしぶりのこころを眼前に浮かぶように描いている。
               烏ひとつ貧乏眺める梅林 昇竜子

コメント一覧

ノーやん
https://55926699.at.webry.info/
{%笑いwebry%}烏に眺められる貧者急増の日本。憐れんで梅林へ弁当を持ってきてくれるかもしれまへん。
fm
「烏ひとつ貧乏眺める梅林」

カラスもバブルが懐かしいでしょう。給与面では何の得もなかったけど、忘れっぽい日本人は好景気が永遠に続くと思っていました。
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