能勢謙三の鹿児島まち案内日記

思い出の店1

 天文館で飲み続けて36年。今では案内しようにも案内できなくなった店もたくさんあります。それぞれの事情で閉店した店々です。そんな店には、いろんなことを学ばされました。目を閉じれば店のこと、そのころの自分のこと、あれこれが浮かんできます。これから、そんな思い出の店を随時紹介したいと思います。1回目は「睦美庵」です。

 その店は、天文館G3アーケード街地下にありました、タカプラ側から入って行って右側、味の四季の手前でした。いま丸新うどんが入っている所です。
 階段を10段ほど下りて右側の戸を開けると睦美庵がありました。今をときめく小じゃれた店、とは真反対にあるような、いわば飴色の店。旧海軍あがりの溝口さんが奥さんと2人で切り回していました。カウンター中心。日本酒と、おじやが売りでした。おじやは、軍隊を思わせる飯ごうに入って出てきました。海老、鶏などいくつかメニューがありました。かき卵で、とじてあったような気がします。
 溝口さんは昭和20年8月9日、長崎は大村の海軍工廠で原爆に遭いました。B29の編隊が熊本方向へ飛んでいったと思っていたら、長崎の空が赤く染まったとのこと。ただならぬ予感がしたとのこと。その時のことを何度も店で溝口さんに聞いたのですが、何しろ酔っ払って何軒目かに行くことが多かったので、あんまりちゃんと覚えていないのです。本当にごめんなさい、溝口さん。
 80歳ほどだったでしょうが、体は大柄でがっちりして、肌つやもよく、とても若く見えました。いつも毛糸の帽子をかぶっていた記憶があります。見ようによっては、新劇の役者にも見えました。どちらかといえば、裏方の奥さんの方が年上に見えました。こんな2人が穏やかに鹿児島弁で会話する姿が昨日のことのように思い出されます。
 やがて溝口さんは当時の話を本にまとめました。その後しばらく足が遠のいていたら、病気で倒れ、店も閉めたといううわさを聞きました。そして、そのうち亡くなったと。
 つまみの干物や珍味類も多い店でした。いつか早い時間に訪れて、オツなつまみを肴に日本酒もじっくり楽しんだ後、締めにおじやを食べてみたいと考えながら、結局実現しませんでした。そして、溝口さんも亡くなってしまいました。
 今となっては夢の中の出来事のような…。老夫婦で営むこんな店が、いま天文館のど真ん中にあるだろうかと思えば、惜しいことをしたと痛感します。合掌。
 

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