「今、RPGは優しさの時代へ」
それがキャッチコピーになるくらい、昭和のPCゲームは難しかったんですよ。
難しければ難しいほど良いゲーム、とかいう変な価値観がありました。
高い金出してすぐ終わったのでは、ユーザーから酷評される。かといってクリア出来ないほど難しいのはちょっと…
なかなか匙加減が難しいところではありますな。
そこへ、「誰でもクリア出来る喜びを」、といったことで発売されたのが「イース」らしいです。
大ヒットした「イース」は様々なPC、ゲーム機に移植され、シリーズが発売されていないPC、ゲーム機を探す方が難しいんじゃないかと。
儂がプレイした事あるのは、プレイ順でPCエンジン、セガ・サターン、PSP、X68、MSX、Windows、ニンテンドーDS、ファミコンと、思ったより多かった。クリアまでしたのは、PCエンジン版とファミコン版だけですけどね。
その大ヒットシリーズの始祖がNintendo Switchでもプレイ出来るように。
今見ても、美しい。
全裸で水晶玉(?)を抱える図は堪りませんなぁ…
このドットで描かれた髪の毛を、定期立ち読みしていたベーマガで見たときの驚きときたら。
ま、いまだにこれが誰なのか、儂は知らないんですがね。
パッケージ。
今見ても、美しい。
どうして昔のゲームのほうが、パッケージ見るだけでワクワク出来たのでしょうか?(個人の感想です)
マニュアル。
今見ても、細かい設定やストーリー。
マニュアルが操作説明してるだけでなく、1つの読み物になったと感じた頃ですかね。(個人の感想です)
今シリーズの主人公アドル、儂は雑誌記事などからプレイ前から好色一代男だと認識してました。
だって、やたらと女がストーリーに絡んでくるから…
ついでで、Ⅱのランスの村のリリア。
ついでで、とあるアダルトゲームのタイトルは、この「ランスの村」から取ったという話。
やたらと女と絡んでるから、と開発者の方が語ってるのを雑誌か何かで読んだ記憶。
ともわれ、儂が初めてプレイしたのがPCエンジン版で、おおよその女性キャラはバストアップでボイス付きの演出だったためか、尚更「イースといえば女」というイメージが刷り込まれたのかもしれません。
そのPCエンジン版、10代でプレイしたのですが、確かにサクサク進める優しさを感じました。
しかし、40代半ばでプレイしたファミコン版はカマキリに大苦戦。
そして、今回50代でプレイしたPC88移植版のカマキリ戦。
やっぱり大苦戦。
それでも5回目くらいでクリア出来たから。
ファミコン版の方が苦戦したから。恐らく10回20回ではきかないくらい負けたから。
で、今回のPC88版、中ボス云々よりも、道中の雑魚キャラが強いのね。
すぐ囲まれリンチ状態に…
PCエンジン版もファミコン版も、こんなに雑魚キャラに苦戦した覚えはないぞ…
そうか、PCエンジン版で感じた優しさってのは、丁寧に丁寧に調整を加えた結果だったんだなと、今更ながら気付く。
まぁ、1980年代半ばのパソゲーと比較すると、PC88版も優しさを感じたのでしょうけどね。五十路を迎えた儂には優しさが足りないかも…
雑魚キャラからリンチを繰り返されたので、一先ず中断。ⅠをチャッとクリアしてⅡに入ろうと計画してたけど、無期限延期。
厳しさに打ち拉がれた儂は、優しさを女性に求めた。
PCエンジン版。
サラの顔がクッキリと見えるように。
MSX版
今見ると、サラはPCエンジン版より好み。
ニンテンドーDS版
まぁ、技術の進歩を感じますな。ちょっと別物って感じはします。
ファミコン版
まぁ、ハードの限界を感じますな。ちょっと別物って感じはします。
X68版
まぁ、コンセプトの違いを感じますな。誰やねん?って感じの別人です。