【岡潔の思想】3
下記のお葉書は5月30日に横山賢二様よりいただきました。

それに対するわたくしの返信が以下の手紙です。
横山賢二様
お葉書拝読させていただきました。さっそく購入いたします!
そしてまた、過日大変貴重な資料をご送付いただき恐縮のかぎりです。
折を見ては、パラパラ捲りながら岡先生を偲んでおります。
手作りのここちよい感触がありとても気に入っております。わたくしのブログには、かなり岡先生のことを記事にさせていただきましたが、この資料を基に、またあらためて書かせていただくつもりです。
それにしても若き頃の読書は、大袈裟ですが自分の一生を決めてしまうような事件だったのではないかと、今あらためてそのように思います。
高校一年生(昭和41年)のときにふと手にした『人間の建設』が契機になり、それ以来小林秀雄さんと岡潔さんを読み続け、とくに岡先生の著書『日本民族』に「芭蕉」の章があり、ここを読み俳句及び連句の面白さを知ったことが、俳句を始めるきっかけになりました。今は連句もしており、頂戴いたしました『石風句集』の最後のほうには、連句の記載があり大変興味深く拝読させていただいております。
※松澤信夫様のご尽力に頭がさがります。
ところで横山様のブログ記事の、2019年の講演録の中に「岡が日本人の心の底に第10識(真情)を発見したことは、人類の未来を変える20世紀最大の発見であると私は思っているのだが、岡が西洋人の心の底にこの「意志」があると指摘したことも同じく、20世紀までの時代の原理を大転換する人類史上まれにみる大発見であると私は思っているのである。」と、書かれていますがわたくしもまったく同感いたしました。
とくにこの第10識(真情)の発見という個所を読んだ瞬間、『人間の建設』においての岡先生の発言が思い起こされました。
岡 赤ん坊がお母さんに抱かれて、そしてお母さんの顔を見て笑っている。その頃ではまだ自他の別というものはない。母親は他人で、抱かれている自分は別人だとは思っていない。
しかしながら親子の情というものはすでにある。あると仮定する。すでに母親は別格なのです。自他の別はないが、親子の情はあるのですね。そして時間というようなものがわかりそうになるのが、大体生後三十二ヵ月すぎてからあとです。
そうすると、赤ん坊にはまだ時間というものはない。だから、そうして抱かれている有り様は、自他の別なく、時間というものがないから、これが本当ののどかというものだ。それを仏教で言いますと、涅槃というものになるのですね。
世界の初まりというのは、赤ん坊が母親に抱かれている、親子の情はわかるが、自他の別は感じていない。時間という観念はまだその人の心にできていない。そういう状態ではないかと思う。そののち人の心の中には時というものが生まれ、自他の別ができていき、森羅万象ができていく。それが一個の世界ができあがることだと思います。
そうすると、のどかというものは、これが平和の内容だろうと思いますが、自他の別なく、時間の観念が無い状態でしょう。それは何かというと、情緒なのです。だから時間、空間が最初にあるというキリスト教などの説明の仕方ではわかりませんが、情緒が最初に育つのです。
自他の別もないのに、親子の情というものがあり得る。それが情緒の理想です。矛盾でなく、初めにちゃんとあるのです。そういうのを情緒と言っている。私の世界観は、つまり最初に情緒ができるということです。
小林 岡さんのお考えは、理論とは言えない。一つのビジョンですね。私は大変面白いと思います。
とくにわたくしが感銘しましたのが、赤ん坊には自他の別がなく時間の観念がない、そして母親に抱かれて笑っている、ここが涅槃だというそのことを指摘されている箇所です。これが、横山さんがご指摘なさった、第10識(真情)の発見と同じところをさしているのではないでしょうか。
とにもかくにも、わたくしにとりましての岡先生は、一生学んでゆく理想の人であり続けています・・・・
ところで、小林秀雄先生のお墓は北鎌倉の東慶寺にあり、近くですのでお参りも何回もさせていただいていますが、岡先生のお墓への参詣はまだ果たしておりませんので、今年か来年中には岡先生のお墓にお参りをしたいと念願しております。
いずれにせよ今後ともご健筆を揮いながらの記事、また講演等々のご活躍を期待しております。コロナ禍がなかなかおさまりませんが、どうぞ日々ご自愛なさりながらお過ごしください。
ありがとうございました。
令和3年6月1日
佐野利典
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横山賢二氏の講演録【数学者 岡潔思想研究会】より
【西洋の心の根底に潜む「意志」】
※典比古
次回25日(日)は、そのわたくしの手紙にたいして、令和3年6月3日の日付で横山氏より再びお手紙と、またまた貴重な資料を頂戴いたしました。
そのことを記事にいたします。