いしだのりこの 海苔弁当

日々、思うこと、見たこと、聞いたことをたらたらと・・・

落ち込んだ1週間

2016年06月14日 | 日記

公園で見つけた頭が草で体が大根の馬。なんか、今の私みたい

先週は厄日続きで、珍しく落ち込んだ。
まず、月曜日にクレジットカードが無いことに気付いた。
火曜日、日々のスケジュールを書きこんだ訟廷日誌が見当たらない。
金曜日、事務所の鍵を事務所に置いたまま出たので、土曜日に打ち合わせを入れたのに、私以外はお休みなので事務所に入れない。土日にしなければならないことがほかにも山とあるというのに。
日曜日の夜から、携帯電話がどこにもない。

わずか一週間で、次から次へとこれだけなくしものが続くと、さすがめげる。どこで最後に使ったか思い出そうとしてもわからない。ここに間違いないと思っても違う。
これは、もはやミスというより、なんちゅうか耄碌というものではないかと思うと・・・・もう上を向いて歩く気になれず下を向いて歩いている。


カードはまだいい。何処かにおき忘れたので盗難ということはないと思う。でもいつまでも出てこないので、やむなく再発行の手続きをした。カード引き落としをしていたものをやりかえる手間とか、少し不便だが、ここまでは許容範囲だ。
鍵を忘れたのも、事務所の同僚にヘルプしてなんとか事務所に入れたものの、自分のミスで人に迷惑をかけてしまったと思うと落ち込む。
携帯電話も、あほらしいが、買い換えればいいと近くのショップに行く。しかし、顔写真付きの身分証明がないため、買えない。仕方なく明日東京出張だからそこで買おうと帰る。登録した電話番号を移せず何かと不便だがコツコツやっていくしかない。

しかし、訟廷日誌の紛失だけは、どうしようもない。
     困ったーーー
同業者ならよくわかってもらえるが、弁護士にとってある意味、何をなくすよりはるかにショックだ。もう、記憶力が完璧衰えている私には、数カ月先の予定など思い出せるはずがなく、これでは仕事にならない。
            んーーーーーーーー



どれか一つなら、ま、たまにはこんなこともあるわと平気だが、これだけ短期間に立て続けだと・・・・落ち込んで、自己嫌悪で・・・
後は笑うしかない。
次になくすんは命やなとか、携帯無くしたのは、毎晩ゲームと漫画で時間を無駄にするなという神のお告げにちがいないと、酒のネタにし、同世代人に、「僕も携帯なくして落ち込んでいたけど、まだましやと励まされたよ」と勇気づけをしていたり、もうやけくそ。











しかし、週が変わると
         神はまだ私を見捨てじ!


月曜夜、携帯を変えなかった私が家に帰ると、なくした携帯が机の上に!
なんでも、洗濯カゴの中に入っていたようで、洗濯寸前に救出されたとのこと。
なんでそんなとこに入ってるん?綺麗になりたかったん?
おかえり、おかえり。あー、まずは良かった。

さらに、火曜日、木⭕️先生から、家裁の待合室で、日誌見つけましたとお電話をいただく!
激感謝!ありがとー。男前ー。これからは先生の事務所に足を向けて寝ません!

というわけで、平穏な日常に戻ったが、これは、なんだったんだろう
耄碌?
たまたま?
???????


とりあえず私は疲れているということにしておこう。多分疲れがたまっている。きっとたまっているはずだ。
夏は少しゆっくり遊ばねばと思った次第。
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大阪憲法ミュージカル2016「無音のレクイエム」

2016年06月04日 | 日記
で、何を長々と泣かない女の話をしたかと言うと

昨夜、大阪憲法ミュージカル「無音のレクイエム」を観劇し、久しぶりに「笠置シズ子」さんにお出ましを願ったわけである。

これまでも大阪の弁護士の呼びかけで市民ミュージカルを開催してきたが、今年4回目。
ミュージカルを通して、日本国憲法のバックグラウンドやメッセージを知ってほしいという願いである。
今年のテーマは、平和と人権である。
6歳から74歳の90名弱の出演者の150時間に及ぶ稽古の積み上げ、そして脚本と演出の確かさ。舞台は戦前、戦中の大阪千日前。笑いの街から笑いが消えていく。息詰まり自分に思いも口に出せない、そして大阪大空襲、子ども達を含めた多くの死者。笑いあり、涙ありの2時間。
たった4日の公演だけで終わらせるのがもったいない出来だった。

安保法制の成立、昨今のマスコミの後ろ向きの姿勢、今年の参院選の選挙結果いかんでは、憲法「改正」が政治的日程に上がってくる。
このとおりでなくとも、今にこの時代に似た時代が来ては嫌だ。平和がないがしろにされてはいけない。

ミュージカルの伝える力の大きさに感動しながら、頭の中は「笠置シズ子」である。この矛盾、どうしたもんじゃろのう…


関西テレビで紹介

http://www.ytv.co.jp/ten/sp/
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泣かない女

2016年06月04日 | 日記
私は外では絶対に泣かない女で通してきた。特段強い女というわけでも、クールだというわけでもない。

実は、根強い泣き顔トラウマである。

子どものときは、悲しかったり、寂しかったり、嬉しかったりした時に泣くことはなかったが、悔し泣きくらいはした。親に叱られた理由が納得がいかないのに、言い分を聞いてもらえず理不尽に怒られるとかである。

しかし、悔し泣きってやつは、我慢の限度を超えたとたん、真っ赤になって溜めていた息を吐き出して顔をゆがめて泣くことになる。そうすると、それを見て、私の親は、「あんたが泣くのを我慢してる顔も、泣いた顔も、どっちも思い切り不細工なんやーーー!!!!!」と、もう2.3発余計に殴りたくなるらしかった。

確かに自分でも泣いた後の顔を鏡で見て、上瞼がはれ上がり、ただでさえ細い目が埋もれた線でしかなくなり、鼻の頭は赤く膨張して、「いやぁ、これ・・・ほんまっ、不細工やなぁ」と子ども心に強く納得してしまい、以来ン十年。

テレビや映画で、美人女優が、涙をつつ―――ーっと流すだけで泣いているシーンがある。思わず後ろからそっと肩を抱いて抱きしめたくなる。あんなふうに泣けるのがずーーーっと不思議でならなかった。美人は泣いても美人なんやというのが不思議だった。

しかし、私の泣き顔が不細工と言う現実が変わることもなく、私は外では絶対に泣かないという選択をしたのである。
とはいえ、やはり腹の立つことや悔しい時もある。それに、歳をとると涙腺が緩み、悲しい話とりわけ子供が不幸になるような芝居等では、ついついじわーーっと、涙があふれそうになる時もある。
そんな時でも、外では絶対に泣かないと決めている以上、私は泣けない。

で、どうするのかというと、
頭の中を、ぱっぱらばーに、するのである。
相手への怒りで胸が詰まる時は、「ほんま、このおっさんなにいうてはりまんねんやーーー、めちゃくちやでござりまするわいなー あちゃぱあ!」と小学生の時に見たあちゃこの漫才(古っ!!)ふうに脳内会話をするとか。
また、悲しいシーンでは、全く関係のないお下劣なダジャレを作ったり、「たまの日曜、サンデーと言うのに、わて、ほんまによいわんわー」と笠置シズ子の買い物ブギ(古っ!!)を脳内で大音量で流すのである。

もし、普通人が泣くべきところで泣かない私を見かけたら、脳内、このように戦っておりますので、できるだけそっと放置していただければ何よりです。
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