いしだのりこの 海苔弁当

日々、思うこと、見たこと、聞いたことをたらたらと・・・

マヨネーズではありません

2012年05月20日 | 日記
私は、およそ白魚のような手に桜貝のような爪が乗っているというものとは無縁で、指関節ポキポキしたため関節の太い指に、短かくて逆台形の不恰好な爪という手をしている。
なので、これまでマニキュアをしたり、指輪をつけたりというような、手に人の目が行くようなことは出来るだけ避けていた。

昨今流行のネイルなど、私にとっては「意味わからん」、「むだ」以外の何物でも無かった。

でも、昨日、長女が一週間遅れの母の日プレゼントと言って、自分が通うネイル屋さんに連れて行ってくれて、ジェルネイルをプレゼントしてくれた。娘は私が新しいもの好きで、ほんとは何でもやってみたいことをよく知っている。
写真は、薄い黄色のフレンチ、ゴールドラメのライン入り(というらしい)を施したものである。

初めてのネイル。しかし、家に帰ると、案の定というか、当然というか、夫は全然似合ってないと言うし、二女、三女は見るだけで笑えるという。

おまけに困ったことに、食事中にちらっと爪が見えると、自分でも「あ、マヨネーズ、指についてる」と思わず指を舐めてしまったりする。
娘達に言わせると、マヨネーズサラダに指を突っ込んだ後の熊の手みたいらしい。色が悪かったかなぁ。3650円もしたというのに、不評きわまりない。
たぶんこれが、人生最初にして最後のネイルになるだろう。

でも、娘にプレゼントしてもらったんで、しばらくは指を見てはにやにやしているだろうな。そんな私を見かけても、「それ、変!」とか「マヨネーズついてるよ」等とは決して言わないように!
変なのは重々承知しております。

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昔の名前で出ています?

2012年05月16日 | 日記
京都にいるときゃ しのぶと呼ばれたの~♪ 神戸じゃ~ナギサ~と♪

こんな古い歌が口に出るような「秘密保全法案」。
昨日、大阪弁護士会ではカラフルな風船を持って「秘密保全法案の国会提出反対」のデモをしたが、まあー、メディアの取り上げの少ないこと!少ないこと!

1980年代、「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」、略称「国家秘密法案」の動きが出たときは、結構盛り上がったものだった。

同法は、外交・防衛上の国家機密事項に対する公務員の守秘義務を定め、これを第三者に漏洩する行為を禁止ないし罰則の対象とした。その行為は既遂だけでなく未遂や機密事項の探知・収集といった予備行為や過失による漏洩を含んでいた。そして、最高刑は死刑または無期懲役だった。

勿論、殆どのメディアは報道の自由を侵害すると大反対だった。当時の野党もこぞって断固反対、日弁連も国民の人権を侵害する危険が大きいことから大反対の姿勢を明確にしていた。
そして、四半世紀前には若かった私も、当時盛り上がっていた女性運動の仲間と一緒に「国家秘密法に反対する女の会・大阪」を立ち上げ、「大阪のおばちゃんは秘密なんか守られへん」と集会、ミニパンフの発行、イベント等次々と企画していった。みんな元気で楽しく活動し、メディアも小さなグループの活動もどんどん取り上げていた。

その結果、1985年、この法案は廃案となったが、その後も改革クラブ等の政党から「スパイ防止法案」が出たり、自衛隊法の改定が有ったりし、またぞろ今回「秘密保全法案」と名前を変えて出てきた。

この法案は、さすが死刑や無期懲役の罰則は無くなっているが、秘密の範囲や規制対象の人的範囲はむしろ広がっており、知る権利や取材・報道の自由に与える影響は、一層大きくなっている。

法案の問題点についてはまた別稿によるとして、今回、この問題点、法案の危険性についてメディアが取り上げようとしないことについて大きな危惧を感じている。
近隣諸国の脅威?社会の閉塞感?
それともただのへたれですかー?

なんでだろ~ なんでだろう~
と、またまた古い歌が口をついて出てきた。

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本日は、母の日

2012年05月13日 | 日記
私は、世間水準からいうと、かなり不信心ものである。お盆やお彼岸に親の墓参りをしたことがない。
「お墓は私の心の中にある」。まあ、これはお墓参りをサボる口実でもあるが、私にとって、供養とは、その人のことを思い出し、この世に呼び戻すことではないかと思っている。

母の日が近くなると、自然に母が思い出され、なつかしむ。
母は30代初めで女手ひとつで3人の子を育てなければならない環境に置かれ、必死だったので仕方が無いといえば言えるが、そのストレスを全部子どもにぶつけてきた。とりわけ、生意気で反抗的な私は理解の外らしく叱られることが多かった。

体罰も山ほどあったが、言葉の暴力もすさまじかった。
「このひねくれものが」、「役立たず」、「頭でっかち」「極道もん!」、「おまえは精神的かたわや」と怒鳴られるのは日常的だった。
一番傷ついたのは、弟と喧嘩をして傷つけた時、「うちの大事な跡取り息子に何するんや!お前なんかいらん子で、余分な子やけど、この子のおもちゃに飼うてやってる、おいてやっているのに、何をしたんや!出ていけ!」である。
存在価値を否定されたような気がした。子ども心に、親に愛情を求めて傷つくのは嫌だと決心し、以後、余計に可愛くない子に進化していった。
弟とは仲のいい姉弟だが、この言葉をぶつけられた後は、暫く弟が大嫌いだった。

しかし、仕事について相手方等乱暴な男性に遭遇しても、比較的平気なのは、いくら怒鳴ろうが、脅そうが、「おかあちゃんのほうがもっと怖かったで、迫力有ったで」と比べてしまっているからで、母との生活のおかげでもあり、この点は感謝だ。

そんなことを思い出していると、週末にクライアントから、近隣でかなり激しく子どもが何かもので殴られ、ごめんなさいと泣き叫び、翌日はアザが出来ている、でも関わりになるのが怖くて通報も出来ないと聞き、私が代わって通報しようと思っていたのを、仕事に追われすっかり忘れていたのを思い出した。すぐ児相に電話したが日曜はお休みだ。週明けには忘れずに電話しよう。

おかあちゃん、思い出させてくれてありがとう。

殴られてる子、ごめんな。
私が忘れている間に何発殴られたのだろうかと思うと胸が痛む。



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母達のセクハラ

2012年05月10日 | 日記
レモンちゃんこと落合恵子さんのお話を聞いたことがある。
彼女は「ラブチャイルド」として生まれ、祖母と母に育てられた。ところが一家の生計の柱であるお母さんが職場を転々と変え、子ども心に、どうしてこんなに仕事が続かないのかと不安だったという。
ところが、1999年、元大阪府知事のセクハラ問題が連日テレビで報道されていた頃、もうご高齢で社会の動きだとかニュースに関心を示さなかったお母さんが、そのニュースは熱心に見られていて、ある日、「そう、私をずっと苦しめてきたのは、これだったのよ。セクハラっていうのね。」と、言われたようだ。
落合さんが生まれた時代、ラブチャイルドを生んだ女性に対する世間の目は厳しく、その裏返しとして男達の目は好奇的で、おそらく、お母さんは、職場で様々な誘いや性的嫌がらせを受け、いたたまれなく退職を余儀なくされ、次々と職場を変えざるを得なかったのだろう。

そして私の母。
母は18歳で結婚し、奥様然とした生活の後、33歳で夫を亡くし、何の経験も能力も無いまま、3人の子を育てるために家業を継いで必死で働いてきた。父の死後まもないある日のこと。母は、得意先の社長から「先代はしょっちゅう接待をしてくれたのに最近はさっぱりやな。たまには頼むで」と言われ、夕方から接待に出かけた。数時間後、顔をこわばらせた母が階段を駆け上がり、物干し場で、涙を流しながら、「馬鹿にして、馬鹿にして、主人がいてへんからゆうてこんなこと」とつぶいて、私が花を育てていたミカン箱の土にスコップを何度も突き立てていた。そして「ああ、汚らしい」と自分の手を何度もスカートでぬぐっていた。私は、何があったと聞くことも出来ず、ただ横で座っているだけだった。
その後の問わず語りによると、どうやら、接待の場で、お酌を求められ、その手をにぎってひっぱれ、迫られて、突き飛ばして逃げてきたようだ。
働く未亡人もまた、男達の好奇の対象だった。それから母は誰に言われようと売上げが下がろうと一切接待はしなかった。

大正生まれの母達は、セクハラという言葉も知らず、被害を恥だと考え、そんな目に遭った自分の隙を責め、誰に相談することもできず、勿論訴えることも出来ず、子どものために働いてきた。そんな人は沢山いたのだろう。

元府知事の事件の時、そんな母達を思い出していた。

残念なことに今もまだセクハラは無くならない。でも、相談できる場所はある。支援者もいる。
母達に比べればずっといい。あかんことはあかんと言い続けることが世の中を変えていく力になる。
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どう見ても

2012年05月08日 | 日記
同級生の遺言執行人になっている。

彼女は、ご主人に死に別れた後、落ち込みが激しかった。
母1人子1人で育った彼女には兄弟も無く、子どももいない。身内というものが一切なく、生きる意欲が減退していた。

自分の老後、死後のことを心配して、延命治療拒否の意思表示、葬儀の執行方法や財産の寄付についての遺言執行を依頼された。

「あんな、当然わかっていると思うけど、私とあんたは同い年やんか。どっちが先にぼけるか、どっちが先に死ぬかわかれへんやん」

「ううん、貴方のほうが絶対長生きするにきまってる。この骨格、この体格。絶対よ」

というわけで、引き受けたのだが、その後私が長生きして欲しいからと、いろいろ食べ物を送ってくれたり、旅行に行けばお土産を買ってきてくれる。
しかし・・・霜降り肉だったり、いくら、ウニ詰め合わせセットだったり、とても食べきれない量の中華まんだったり、アルコール度の高い紹興酒どっさりだったり。
これは、どう見ても、私を早死にさせるつもり?

先日、自分が倒れたときにでもすぐに家に入れるよう家を見ておいてと言われ、郊外の彼女の自宅に遊びに行った。途中まで迎えに来てくれた彼女は、なんと、駅の長い階段を手すりなど目もくれず軽やかに駆け下りる。身のこなしが軽く若々しい。
どう見ても、彼女のほうが長生きする?

更に、遺言を書いたら安心して元気が出たとたと言って、今、彼女は通信制の大学で勉強をしている。現役の女子大生だ。勉強の合間は、ガーデニング、スケッチ旅行、美術館巡り等々。
どう見ても、彼女のほうが、健康的で文化的な生活を送っている?

果たして、私は彼女の死を看取ることができるのでしょうか????
絶対無理だと思う人・・・はーい!




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頭が下がる

2012年05月04日 | 日記
同期の弁護士が、自分の出身地である遠隔地の裁判所から頼まれて、交通費で飛んでしまうような報酬で何件もの成年後見人を務めている。

身寄りの無い人、有っても寄りつかない人が多いようで、彼が被後見人のお葬式も出す。勿論お通夜からお葬式まで出席し、お骨あげもし、一周忌とかのお祀りもし、事務所の執務室にはいくつかの骨壺が並んでいて、納骨すべき場所があるものはそこへ、無いものは一心寺の骨仏に納めるという。

彼は、同期の世話役で本当に細やかに気を配りいつも笑顔で、子どもの頃の宗教的環境の中からそんな気持ちが自然に醸成されてきたようだが、それでもなかなか出来ることでは無い。本当に頭がさがる。

私も高齢者の財産管理を何件かしている。まだ皆さんお元気で、私自身そんな場面に出会ったことは無いが、果たして同じ事が出来るだろうか????宗教心など全くなく、合理主義者の私にはたぶん出来ないだろう。

そんなことを考えていると、先日、財産をお預かりしている高齢者(女性)が、入居しているホームで転倒して以後体調不良が続いていると連絡があった。幸い大事には至らなかったようであるが、身寄りがなく誰も見舞いにくる人はいない。「彼ならこんな時はすぐに駆けつけて安心させるのだろう」と思ったものの、「大事ないなら、ま、いそがなくてもいいか」と思う。ここが私と彼と違うところだろう。それでも、先日頭が下がった以上、時間を見つけて行かねばなるまいと、昨日、神戸まで別件で行った後、高速バスで淡路島まで足を伸ばした。

「倒れたって聞いたから、心配やから来たよ。大丈夫?」というと、嬉しそうに笑ってくれる。コミュニケーション能力の低い私には、優しい言葉はここまでで限度だが、夕食を食べるのに付き合って、あれこれ雑談をする。
さすが、老人施設では、高野豆腐も小さくさいの目切りでのどに詰まらないようにしている。それを見て、先日私がのどを詰まらせて死にそうになった話をすると、心配げな顔をしてくれる。
「そろそろ任意後見契約に切り替えようか。そうでないと、別の人が後見人に選任されることになるしねえ」というと、「別の人は嫌」と言ってくれる。

同期の彼ほどには出来ないけど、少しは優しくなれた気がする。いくつになっても人に学ぶことはつきない。

なんとなく帰路の新緑と瀬戸内海の輝きがこれまでより綺麗に見えた気がした。
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ピーチに乗って長崎へ

2012年05月02日 | 日記
33年ぶりだろうか。夫と二人で長崎へ旅行をしてきた。

この3月からLCCのピーチが関空を起点として就航した。
基本的にミーハーの私は、立て込む仕事を度外視して、「これは乗らねばなるまい。どこ行こ どこ行こ」と路線を調べて,これまで一度も行ったことのない長崎に行くことに決めた。
GW中だというのに、チケットがとれそうだ。
私は一人旅が結構好きなのだが、ピーチに乗れるというので嬉しくてついつい傍らにいた夫に、「ピーチ乗って長崎行く?」と聞いてしまった。
「一人でいっといで」というかと思ったら、探求心豊かな夫も「行く、行く」と言い出した。

というわけで、4/28,関空に向かった。
何しろ格安航空だ。予約は基本的にネットで(窓口は割高)、チケットはパソコンからプリントアウトして持って行き、そのバーコードをチェックイン機にかざして搭乗手続きをする。ペッラペッラの紙がチケットという、このチープ感がいい。搭乗手続の場所も、ANA等と違ってお家賃の安いエアロプラザだ。

出発時間前に関空に到着。「さてと」、バーコードをチェックイン機にかざす。しかし・・・何度やっても反応せず。不吉な予感・・・

日にち、まちごうた?チヶットを見るが日付けは合っていたが、な、なんと出発時間を間違って、飛行機はたった今離陸しているところだった。
わーーーーっ、わーーーーーーっ!
どうする?どうする?
考えられる方法は三つ。
諦めて家に帰ってふて寝する。
新幹線で行く。
ANAの普通便で行く。
しかし、歩き出した私に後戻りという選択はない。けど、飛行機の普通料金は高い・・格安航空で行くはずの旅が、ああーーー
いやいや、目的は格安で行くことではなく、ピーチに乗ることだ。ここは自分のピーマン頭への罰として普通料金で長崎まで行き、帰路はピーチだ。幸い夫にはシニア割引がきくとかで傷は浅い。この出だしの躓きで、2泊3日ひたすら私は夫に低姿勢の夫唱婦随の旅となった。

帰路は乗り遅れず、無事、ピーチで帰阪。
格安航空だから、機内サービス(ドリンク、食事、毛布、イヤホンなど)は全て有料。手荷物以外の荷物も有料だ。キャビンアテンダントのお姉さんも、クラスに何人かはいる可愛い女の子という風情でピーチ感漂わせている。また到着料金を安く上げるために、かなり空港内僻地に到着する。
しかしなんでも、ピーチは、運賃を安く上げる為に、座席の間を狭めているらしく、なんでも足が前につっかえて窮屈らしい、まあそんなこんなも体験してチープ感を満喫したい。そして、「ピーチは安いけど、狭くてね-」と軽く言ってみたい。

そんな思いで、「まあ、どうせ窮屈なんでしょうね」と、どっかりと座席に座る。
が、が、が、まさかの全然余裕。前の座席つっかえるはずの膝が、拳いっこぶん以上まだ余裕がある。
これって、私の足が短いってこと?そういうこと?これはちょっと予想外のガーンッ!!

足が長くない中高年の皆様、ご安心下さい。皆様には、ピーチは決して狭くはありません。





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