いしだのりこの 海苔弁当

日々、思うこと、見たこと、聞いたことをたらたらと・・・

「三丁目の夕日」世代のクリスマス

2012年12月24日 | 日記
昭和30年代のクリスマスは歓楽街でお父さん達が酔っ払っていたイメージだが、それでも都市部の家庭ではクリスマスはあった。

我が家も当時はクリスマスの何日か前に、子供の背より少し高いモミの木を買ってきて飾り付けをして、甘いクリスマスケーキを食べてジングルベルを唱って祝っていた。
モミの木は今のような作り物ではなく生木なので、青々とした香りが家の中に漂っていた。今はしゃれたオーナメントやモールがいろいろと売られているが、そんなものは殆ど無かった。少しばかりの飾りの外は自分たちで手作りをした。天使、星、雪だるまは画用紙を切って、色を塗った。雪は家にある布団綿をちぎってのせて、色紙のわっかをつないだモール、この日のために大事に貯めていた折り紙の金紙、銀紙をつないで切れ目を入れたモール。朝から弟と一緒に大忙しだ。サンタへの願い事を書いた短冊もつるし、若干、七夕の笹に似ているクリスマスツリー。

そんなある年、小学校2,3年の時、何が原因か忘れたが、飾り付けで弟と大喧嘩となり泣かせてしまい、こっぴどく叱られ、反省のため暗い二階で、ジングルベルも無ければケーキも無い、悪い子にはサンタも来ないというクリスマスを過ごした。
そんな時、私は1人で物語を考えるのが好きで、悪い子にも言い分がある、サンタはそれをちゃんと聞いてくれる、そして悪い子はほんとはいい子だったとみんなにわかってもらうというお話を作っていた。

考えてみれば、なんとなく今の仕事にも通じるところがある。叱られることも職業選択につながっている。

私は、いつか、はぐれものの孫ができたら、暖かい布団の中でその子に、この話を膨らませたクリスマス童話を語ってやろうと思う。さて、ディーテイルを詰めよう。
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Merry Christmas!(1)

2012年12月24日 | 日記
本日はイブだ。サンタがやってくる日だ。

昔はどれだけうまく子供達を騙すかに情熱をかけていた。
サンタさんへのお手紙ののぞき見は当然のこと、ありとあらゆる手練手管で欲しいものを聞き出し、サンタの存在を疑い始めた娘達へのプレゼントに工夫をしまくっていた。

ある年は、長女は赤いセーターが欲しかった。赤いセーターなんてどこにでも売っているが、タグが付いていればお店で買ってきたものとすぐわかるし、娘の希望はぼんぼりが付いているとかいろいろ注文が有り、果たしてお店で手に入れられるかどうか・・・
さりとて私は編み物はマフラーですら編めない。困った・・・
そうだ、編み物の得意な依頼者がいた、報酬代わりに是非これこれをお願いしますと頼みこみ二つ返事で引き受けて貰った。
緑と白が少し入ったクリスマス色一杯の赤い手編みのセーターだった。
そろそろサンタを疑いだした娘は、可愛い!と喜びながらも、ひっくり返したりタグを見ているようだが、そんなものは無い!!しかし、自分の親は編み針すら持ったことがない事はもう認識している。「これ、サンタが編んでくれたんやー」と頬を上気させていた。

不発もある。新地のスナックでは、この時期、クリスマスバージョンのつまみが出た(最近は行ってないから知らない)。銀紙に包まれた星のようなチョコレートとカラフルな金平糖。これだと思い無理を言って分けて貰い、手作りの紙の箱に入れて、「トナカイのそりでここに来るまでにすくってきたお空の星さまだよ。一粒食べれば百万倍の元気が出るよ」のメッセージを付けた。お空のお星様をサンタに貰うなんて、これはファンタジー一杯で最高だな、しかも超安いしぃと自信作だったが、目覚めた娘が箱を空け、「え゛~っ・・・これだけぇ?」とがっかりした声を出した。実は、子供はサンタからもそれなりの高価なものを貰いたいと考えていることを知った。

ある年は油断して、おもちゃの包装紙をデパートのもののままに置いていた。それまでは足が付かないように包装紙は包み替え、値札等の証拠物は捨て去るのだが、この年は忙しくてそれを忘れていた。
娘は怪訝な顔をして、「サンタも阪急にいくんかなあ」。私は慌てて「うっかりして数たらんかったから、急いでこうたんちゃう?」とそしらぬ顔をしたが、「あの服のままいくんかなぁ?」、「いや、あれは目立つからきっとスーツに着替えてるとおもうよ」、「そんな夜おそく、デパートあいてたんかなぁ」、「アホなサンタの為にあいてたかもな」と鋭い突っ込みへの応答に難渋した。

そして、最大の失敗は法政書房だ。娘が熱中していた漫画の全巻のプレゼント。娘は喜んで興奮していたが、どれかの本に、法政書房が「石田様」と配達先を書いた紙の切れ端を挟み込んでいた。
じっとそれを見ていた娘は、後ろを振り向いてニタッと笑い、そこで娘のサンタ伝説はおわりを遂げた。

だいたいまあ小学校低学年までですねぇ。楽しいサンタ遊びも。








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お見送り

2012年12月09日 | 日記
先週末、同窓生の訃報が飛び込み、本日告別式に参列した。
家族葬とのことだったが、故人の友人が沢山参列していた。

さて、最近、読経を聞きながら、自分の葬儀はどんなふうにしようかなどと夢想している。

本日は大阪市立北斎場。
http://www.saijosougi.com/kita.htm

初めて行ったが、ここ気に入った。
建物も新しいが、何が気に入ったかというと、普通、友人ならば葬儀場の玄関で霊柩車をお見送りのところ、ここは葬儀場と火葬場が同じ建物に有るので、運ばれる棺の後ろを歩いて、まさに窯の前までお見送りができるところだ。
お祈りの後、棺が窯に吸い込まれビーンと扉が静かに閉まっていくのを見ていると、ほんとにこれでいなくなるのだなぁ、お別れなのだなぁと寂寥感が募る。

うん、私もここでいい。あっさりしている。さて、私の葬儀、
祭壇はいらない。棺の廻りは白い花を中心に花で埋め尽くす。
読経もなし。その代わり、喜多郎のシルクロードのCDをBGMにかける。
香りはお線香の臭いが好きなのでそれでいい。
お香典、供花はいらない。お焼香もなし。
その代わり、あなたの好きな花を一輪だけ持ってきて。そして、なみなみと美酒がつがれた切り子のグラスを棺の前に置いているから、会場に供えてあるドリンクのお好きなものを手にして、切り子のグラスに乾杯して、一輪の花を供えていって。

うんうん、かっこいい!ここ5年以内だったらこれでいこ。かつ故郷大阪市の収入に資することにもなる。さてさてエンディングノートでも作っとこかな。

5年過ぎたら?さあ、その時はその時の気分だから、わからない。家族葬で十分かな。

あぁあ、また昔からの友達が一人いなくなってしまった・・・


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1年の振り返り・個人編

2012年12月01日 | 日記
本日、12月1日。もう12月だ。早いなぁ。。
少し気が早いが、1年を振り返ると、まあ、個人的にはいい年だった。目的地に到達ではないが、目的地に向かう大きな前進の年だった。

3月、次女の結婚。6月、出産。暖かい家庭を築く楽しさと育児の喜びのスタート。私も、久しぶりに長期の休暇でハワイを楽しむことができたし、初孫というこれまで経験したことの無い関係を持たせて貰う事ができた。

三女は4月から法科大学院へ進学し、11月には、司法試験受験資格を持つことができ、目標に向かって着実に歩を進めている。

長女は相変わらずのマイペースで、嵐ファンクラブに邁進している。ちなみに私もファンクラブに入れられた。

更に、2年前に定年退職した夫は、その後何を思ったか、社労士の資格試験に挑戦し、「あれ?ここ初めて読むところやのに・・・誰がマーカーで線引いたんやろ?」と首をかしげるという、甚だしい記憶力の衰えと闘いながら、11月めでたく合格した。2年間、毎日、ほんとに楽しそうによく勉強していたなぁ。えらいなあ。
今後は、これをどう仕事につなげるかの問題があるが、まずは大きな一歩だ。
かくして私は便利な主夫を失い、来年からは再び家事分担の日々が始まりそうだ。

そして、私自身。仕事も好調。また、これまで経験の無い新しい分野の仕事を経験することができた。相手先には何も役に立っていないと思うが、私のほうは、知らなかった世界を見て、違う立場で考えるとことができ、確実に視野が広がった。会務についても、これまでの人権分野だけでなく違う部門を経験し、またそこで活躍されている方々のお話を聞くことができ、この点においても視野が広がり、一歩前進。ワイドになったかしら?って、体型じゃないよ。

さて、来年は全員この一歩をどう進めるかだ。各員一層奮励努力せよ! 私もがんばろっと。


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