道の神さま 野の仏たち

「困った時の神さま・仏さま頼み」だけの
この罰あたり者が、
道ばたの素朴な神仏に惹かれブラブラ歩いています。

庚申さま

2017年03月08日 | 庚申・青面・猿田彦

     庚申                       毛馬内・上ノ野                2007.9.19
     ウン 大青面金剛(道標を刻む)  元文5年(1740)   
     アーンク 奉 庚申供養 2世安楽   宝暦14年(1764)
 
仁叟寺の坂を登りきったところの左に3基の碑あり、道の向こう側一帯は江戸時代の館あとだから、
そのあたりにあったのが、現在の道路わきの空き地に集めてあるのか、詳細はわからない。




     




       

庚申さま

2017年03月04日 | 石碑群

     〇〇 カンマーン 庚申      安永4年(1775)    尾去沢・元山尾根        2007.11.7
     カンマーン アブラウンケン 庚申供養塔   宝永2年(1705)  
     〇〇 カンマーン 供養庚申   享保17年(1732)
     月日 庚申             文化5年(1808)


     青面金剛像   無記年   尾去沢・元山尾根                    2007.11.7

現在花輪を向いている方を尾去沢鉱山の表と側の斜面とすると、昔栄えた田郡はその裏側にあたる。
両地区のあいだには、水晶山・大森山・五百枚山へと続く稜線がのびており、
田郡から峠を越えて表側にでる、その峠道近くに庚申さまが多く残っていたといわれる。
しかし坑道が崩落して地表に凹みができ、祀られていた石碑の幾つかはその穴に引き込まれていき、
残ったものも多くは崩れて散乱していたようで、昭和62年、元山尾根の現在地に復元したという。




       


女の神さま

2017年03月03日 | その他

                                                    2006.11.25

金精さんは駒形系でけっこう見られる。しかし女性版になるとよく似た滝でにやっとすることもあるが、
鹿角で単独にご神体として祀られている姿は、荒瀬の共同浴場脇の祠の中でしか見たことない。
大湯温泉は子宝の湯で名高い、しかも4つの共同浴場では荒瀬の湯が1番効くといわれているので、
ここに祀つられていてもおかしくない、今日は女の記念日・ひな祭りである。




     

六十六部

2017年03月02日 | 経典 回国・一字一石

     奉納大聖大乗妙典六十六部日本聖山  明和8年(1771)  花輪・乳牛       2010..11.20
 
六十六部とは、法華経を書き写し、全国66ヶ国に一部づつ納め寺社を遍歴する行脚僧のこと、
鎌倉末期に始まって、江戸時代には出家のほか俗人も加わるようになった。




       

庚申3態

2017年02月25日 | 庚申・青面・猿田彦


     〇〇庚申   大正2年(1913)   大湯・宮野平                     2006.12.10
     青面金剛像   無記年

美しい山容でピライミッド伝説も伝わる黒又山いわゆるクロマンタの麓、登山道入口の鳥居の脇に、
庚申・青面金剛・猿田彦の石碑が並ぶ、
もともとこの場所に存在していたのか、付近の道ばたに祀られていたものがここに集まってきたのか
私にはわからない。


     猿田彦大神    昭和51年(1976)                               2007.4.8

大きな庚申の碑に裏に隠れている猿田彦大神、この碑は比較的新しいものである。




    

駒形神社

2017年02月21日 | 崇善さま・馬の神
     
     駒形神社   昭和46年(1971)    大湯・白山                      2006.12.16
 
白山に移された駒形神社は、不老倉林道に少し入って左側の山裾にある。
 
このとき駒形神社の中に入ることができた、想像していたよりも広く、神さまたちで賑やかだった。
ご神体の金精さまを中心に、縄文時代の大きな石棒、十和田修験・青龍権現、おしらさま、
奉納された木製の手足や金精さま、お稲荷さんの下僕キツネを除けば興味ある神様たちが並んでいた。




     

廃村に残る駒形神社

2017年02月20日 | 崇善さま・馬の神
 
     旧駒形神社   昭和50年(1975)  大湯・中折戸                      2008.4.6
 
不老倉鉱山が廃鉱となり、鉱山へ送られていた電気もストップしたため、
その電気に頼っていた途中の集落も廃村になって住民は中折戸から白山地区に集団移転、
そのさい集落にあった駒形神社も一緒に移り、誰もいなくなった地に、石の祠と金精さまが置かれた。




       

青面金剛

2017年02月17日 | 庚申・青面・猿田彦

                                                        2016.5.8
 
大山街道の東側と南武線の南側の区域は、ガキの頃の行動範囲からスポッと抜け落ちている。
 
駅周辺は一部を残してガラッと変わってしまい、ブラブラと歩いて踏切を越えたところに、
濱田庄司の碑と隣り合って青面金剛像が祀られていた、この像も見たのは初めてである。




       

庚申さま

2017年02月15日 | 庚申・青面・猿田彦

     刻字剥落    大湯・根市                                   2007.4.8
 
大湯から根市方面への道の左側に立つ。
資料にはサイノカミと述べられているものもあるが、
根市に住む古老は、この碑を庚申さまとして祀っていたと話す。
道の脇やや高いところあるのは、道を改修するさい、掘り下げて拡幅したので、高くなったとのこと。




      

庚申塔

2017年02月14日 | 庚申・青面・猿田彦

     〇〇ウン庚申    寛政元年(1789)   花輪・                       2007.4.11
 
ぱっちりと目を開いたミーアキャットが庭に、家の前を通る人を見つめている。
鹿角の盆地周辺部には台地の所どころから櫛の歯のように丘陵が盆地に伸びて、
その先端に中世の館があったところが少なくない。
この庚申塔は、館からの道が盆地の底に向かう途中に立つ。