道の神さま 野の仏たち

「困った時の神さま・仏さま頼み」だけの
この罰あたり者が、
道ばたの素朴な神仏に惹かれブラブラ歩いています。

お地蔵さま

2017年03月28日 | 地蔵・観音・不動

     地蔵菩薩堂 お地蔵様2体   高屋・米代川左岸                    2008.9..25

お堂の前の花壇はよく手入れされ、この2体のお地蔵さまは、夏前・冬前に衣替えなんかして、
この集落の人々は、よくお地蔵さまの世話をしている。
隣の墓地に、地蔵菩薩堂跡と刻まれた石碑が立っているので、元々はそこに祀られていたものだろう。


                                                     2016.10.17




庚申さま

2017年03月23日 | 庚申・青面・猿田彦

     庚申   申ヶ野・猿賀神社                                  2007.4.11
 
猿賀神社は青森県平川市に大きな神社がある、その神社と申ヶ野の猿賀神社とは関係が深い。
境内には、この庚申さまのほか田道将軍の石碑があるが、本筋でないのでそっちの方は省略する。
近くには大湯環状列石や巡検使道・野中堂もあり、足を延ばしてもいいだろう。




      

馬頭観音

2017年03月21日 | 地蔵・観音・不動

     馬頭観音像?                                         2006.12.26

庚申さまを探して坂道を登っていくと館の上部に出た、そこは一面の畑となっていた。
畑の縁に四角いコンクリの枠があったので、近づくと中には木造の馬頭観音(たぶん)が祀られていた。
腕は肘から先が無く、頭も抜けていたが、とてもいい顔をしている。




「阿修羅像と勝るとも劣らない」と書いたら、阿修羅は「格が違う」と怒るか?。
あれから10年もたったが、まだあそこにあの状態で居るのかな。




      


百万遍

2017年03月20日 | その他

     キリーク百万遍念仏供養  文化4年(1807)    大欠・墓のそば           2007.9.17

「南無阿弥陀仏」を百万回唱える念仏行事が百万遍である。
春と秋の彼岸に、集落の外れや十字路、百万遍の石碑前で婆さんや主婦・嫁たちが車座になり
大きな数珠を回しながら「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」と、念仏を唱える。


     百万遍に使用した数珠   松ノ木・金精神社                         2008.4.29




      

百万遍 お地蔵さま

2017年03月18日 | 地蔵・観音・不動

     百万返供養・南無阿弥陀仏   文化3年(1806)   土深井・東側墓地         2013.9.18
     お地蔵さま                            同上

集落に迫る山は高梨館、そこから土深井の家並みが一望、その向こうに田畑が広がり、米代が流れる。
集落の山側と田側のはずれに、お地蔵さまと百万遍・南無阿弥陀仏が一対となって祀られている。


     南無阿弥陀仏  土深井・西側墓地                           2008.11.11
     お地蔵さま        同上

お地蔵さまだとされている石碑は、どう見ても坊さんに見える。でも横の札に「南無地蔵尊」とあるので、
お地蔵さまなんだろう。




      

疱瘡神

2017年03月17日 | その他

     お化け石            大湯中町 神明社裏                    2006.12.17
 
夜な夜な馬に化けて町中に出没し脅していた九尾の狐を、大湯の殿様が退治したという伝説が残る石。
種痘が普及するまで天然痘は疫病とされ、後遺症もが残ることもあり恐れられていた。
お化け石は疱瘡神だともいわれ、
古老によると、さんだわらに赤飯のおむすび2つ供え、瘡蓋あれば石にはり、祈願したという。




      

庚申さま

2017年03月16日 | 庚申・青面・猿田彦

     〇〇?庚申                                           2010.5.22
     剥落

歩いたら面白そうな道を探し八幡平地区を走っていると民家の前に石碑があったので見ていると、
家の方が奥から出てきたので、この庚申さんについてしばらく話を聞く。
この碑は、20mほど離れた道の法面にあったものを、拡幅工事のさい家の前に動かしたと語っていた。




     

庚申さま

2017年03月13日 | 庚申・青面・猿田彦

     庚申    元治元年(1864)    毛馬内南・押出                     2007.9.19
 
中央の大きな碑と両脇の碑で一組になっているものと思われる。
その堂々たる姿は、
いまある住宅地の中より、田んぼ道の脇にあれば存在感もあり、いい風景になるような気がする。





     

海岸近くに

2017年03月10日 | 旅の中で

                                                     2012.3.10

浜と浜との間を上下にいく国道を避け、内浜と岬を経由する回り道を、迷い間違えながら行く。
岬の先端近くの集落、過去に何度も津波に襲われた地のようで、
大地震が発生した際の心得が、海を望む斜面に立つ碑に刻まれていた。



いまや、どの道を通りどの集落を行ったかはっきり覚えていないが、
あまり車が通らないところに、金毘羅・馬頭観音・庚申・山岳修験などに混じって、
鹿角では見たことのない銘のものも並んでいた。




      

馬頭観音ほか

2017年03月09日 | 旅の中で
                                                       2012.3.10
東日本大震災から6年の歳月が流れた。
三陸大地震後、ちょうど1年目に友人やよく泊まりにいった宿などの様子を尋ね、
いわき市から宮古まで巡った。
遠野の近くでは一里塚の場所なのか、石碑がまとめて祀られているところがあった。
同じ南部藩でもところ変われば…、馬頭観音や蚕供養など遠野物語を連想する石碑が目立っていた。