山口県周防大島物語

山口県周防大島を中心とした「今昔物語」を発信します。
(興味のある話題のカテゴリーを古い順に見て下さい。)

1940年(開戦前)ハワイに居た大島郡の人達 1

2024年08月10日 21時40分00秒 | 1940年(開戦前)ハワイに居た大島郡の人達
1940年(昭和15年)にハワイに居た山口県人たちの消息を知らせる本がヒロ市で発行されました。翌年に真珠湾攻撃を受けますので、これらの人は家族を含め、ハワイの強制収容所へ送られます。この中で、僧侶、神官、学校の先生、経営者、メディア関係者は日本人を扇動する可能性があるとして、問答無用で今度は本土の強制収容所へ移動させられます。そこでまた思想調査を行った上、振り分けの上、また別の強制収容所へ送られ転々とさせられます。最後まで日本の勝利を確信し、天皇を崇めた、所謂、「No! No! Boy」は最終的にツールレイク収容所に送られ、、最後に「勝組」は日本へ「違法」に送還されました。ハワイを含む米国で生まれた日系人は「アメリカの市民であり市民権」をアメリカの法律は保証しているにも関わらず、米政府は日本人のみ無視し、同じ敵国扱いした、ドイツ人、イタリア人は白人なので適用しませんでした。今も昔もアメリカはダブル スタンダードです。どこまでいっても日本人は白人からすれば「イエローモンキー」で有色人種扱いですから、気を付けなければなりません。昔、ロスアンジェルスの親戚を訪問したこのことを尋ねたら「ビロング ツウ ザ ホワイト」だから問題ないとしていましたが、また、トランプ大統領時代にアジア人蔑視が表面化しました。

下記は苦労した大島郡人です。ハワイ生まれは「市民権」があります。

注)尚、人数が多いので、当面、インデックス程度のUPとします。
  実際は家族構成や経歴が書かれていますが、個人的に必要なら 
  該当ページのコメント欄に必要な人名と理由を書いて送って下さい。
  時間があれば対応します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 『布哇日本人発展銘鑑』発刊によせて

   台湾在留内地人の間に「民勅」といふ言葉がある、これは「民間勅任官」といふ意味であって
  長年台湾に住み功労のあった人物に対する敬称だそうである。この言葉が妥当であるかどうかは
  別問題として、仮に布哇在留同胞の間に同じ意味で「民勅」に相当する人物を求めるならば、
  あらゆる分野にわたり、ずいぶん多数に上ることと思う。
   日本人が時の布哇王朝政府の招きに応じ、官約移民として布哇に渡航して以来、既に五十有五
  年の長き歴史を経過して居る。その間日本人の、布哇発展の貢献が如何に偉大なものであったか
  は今更、言うまでのないことである。これを端的に言えば布哇の発達史は同時にこれ布哇日本人
  発展史なのだ。而してこの布哇発達史、布哇日本人発展史の緯となり緤となる在留同胞各界の人物
  こそは所謂「民勅」の敬称に値する功労者と言ってよい。
   畏友布哇商業社主幹大久保源一氏の近業『布哇日本人発展銘鑑』は版を各県別に分ち、まず
  「防長版」を上梓し続いて広島版 熊本版 等布哇に残留多き各県版を続刊される計画と聞いて
  居る。本書は布哇在留各県人各界の代表的人物を広く網羅紹介することを主眼としているが、
  書中収められる、人物はその一人々々が、日本民族海外発展の第一線に立つ平和の戦士であり、
  同時に布哇の今日を築く上に、程度の差こそあれ、それぞれの寄与をなし来つた「民勅」的
  功労者なのだ。この意味に於いて本書は布哇日本人発展の生きたる人的史実の輯録とも言ふ
  を得べく、永く我らの兒孫に傳ふべき好個の記念物たり、且つ文献としての重要なる意義を有
  する出版物と言ふも敢て過言ではあるまい。
   久保氏は新聞人として二十有余年間の経験を有する練達の士である。氏の手によりてこの
  意義ある企画が行はることはまことにその人を得たるものと信じ、本書を廣く紅潮に推薦する
  所以である。

  1940年6月1日       ホノルル市カイムキの寓居にて
                                浅 海 庄 一
                                   【日布時事編集長】


【1940年(開戦前)ハワイに居た大島郡の人達】

1)小林 政一 Kobayashi Masaichi
  明治22年1月5日生
  本籍地 大島郡屋代村中片山
  現住所 ホノルル市北キング街227
  職業  商業
  経歴  明治41年広島県立広島商業学校卒業、大正2年来布、渡布前、三菱合資会社
      若松支店勤務たりしことあり、着布後、精々堂商店、布哇清酒会社に勤め、
      1919年小林呉服店を開業、傍ら1926年キースター式布哇洋裁専門学校を経営
      業務発展して今日に至る。尚、氏は山口県人同志会理事、ホノルル日本人商業
      組合理事、山口県大島郡人会理事長歴任、キースター式布哇洋裁専門学校主事。


2)中司 キチ 「Nakatukasa Kichi」
  明治26年3月10日生
  本籍地 大島郡安家下庄町
  現住所 カウワイ島ケカハ
  職業  長男 機関師
  経歴  大正12年10月15日来布。カウアイ島ケカハ耕地就労、今日に至る。長男中司
      丑蔵君は大正12年母と同伴現地に来りてミールの機関師として今日まで勤務す。
      氏は日本生まれである。


3)西岡 利太郎 Nishioka Ritaro
  明治12年4月生
  本籍地 大島郡和田村小泊
  現住所 ハワイ島ヒロ市ホナハワイ街
  家庭  ウメ夫人(明治23年2月生)1909年結婚、長男玄太、次男茂、三男實、四男美人、
      長女サダコ、二女ハルヨ、三女ミキエ、四女テルコ
  経歴  氏は明治32年11月布哇島カイヴィキに上陸、1936年妻並びに子供三人同伴帰国し
      約一ケ年滞在の後、現住所のポナハワイに来る。妻ウメさんは1907年4月14日
      アメリカ丸にてホ府上陸。長男玄太、三男實君は日本に在り。長女サダコさんは
      1934年山口県大島郡森野村出身、末岡清氏と結婚、現在ブーエオに在住。
      

4)三浦 治平 Miura Jihei
  明治30年8月7日生
  本籍地 大島郡久賀町字古町
  現住所 カウワイ島カパア町
  家庭  1935年1月15日結婚、夫人ウメ子(明治42年1月5日生)長男正、次男勝
  経歴  氏は明治42年10月30日来布。最初カウアイ島カパア町に上陸、父の経営せるカパア
      三浦商会に働き1927年に店主となり1921年倉庫土地家屋を購入し1929年住宅地を求め
      尚、20エーカーの耕地を買収し年とともに繁栄、カウアイ島屈指の大商店として一般に知らる。
  趣味  海遊び


5)本城 繁蔵 Honjyo Shigezo
  明治27年10月3日生
  本籍地 大島郡安下庄町
  出生地 ハワイ島パパケオ 【日系市民】
  現住所 カワイ島ハナペペ町
  職業  土木建築請負業
  家庭  1918年8月31日結婚 夫人キク(明治34年11月8日生)長男繁、次男岩夫、三男孝、
      長女ハル子、二女ヨシ子
  経歴  氏は3才の時、父母に連れられてカウアイ島ハナパペに来りて同地の日本語学校及び
      公立校に学び当時15才にして卒業。その後、マクブライド耕地会社に勤めること1年
      次に同島、カパアヘ移傳請負業に従事すること20ケ年の後、現地に移住、立派な自宅を
      建てて居り屈指の成功者である。氏は社会公共事業に多大な貢献をなし、カウアイ市民協会
      副理事長、ハナパペ市民協会会長、日本人会監査等を歴任、現在カウアイ島日本人会
      副理事長たり。
  趣味  花作、魚釣り


6)中川 平次郎  Nakagawa Heijiro
  明治15年11月2日生
  本籍地 大島郡森野村
  現住所 ハワイ島ヒロ市キラウエア街アアラレーン
  家庭  夫人ハル(明治24年2月24日生)大正2年6月結婚、
      長男武男、次男和彦、長女フサエ
  経歴  明治40年ガワイ島ハカラウ耕地に上陸、二ケ年勤務の後、パパイコウに傳耕、同耕地
      に三ケ年勤務の後、更にヒロに出て建築請負に従事今日に至る。氏は大正2年10月帰国
      し、大正4年再渡航し、更に昭和2年3月帰国、同年8月来布す。妻ハル子さんは大正4年
      来布せし者にて大島郡森野村、中山與作氏の次女なり。長男長女はヒロハイ校出身、
      次男和彦君はヒロジュニアハイ校通学中。
  


7)池田 傳治郎 Ikeda Denjiro
 明治3年6月9日生
  本籍地 大島郡沖浦村戸田
  現住所 カワイ島ワイポウリ
  家庭  明治38年2月結婚、夫人ウサ(明治10年11月16日生)長男謙一、次男誉志男、長女サカヱ
      次女ミサヲ、三女ヒナコ、四女ハナコ
  経歴  氏は明治25年1月山城丸にて渡航され最初ハワイ島ヒロ、オノメア耕地に在住三ケ年就労後
      カウに赴き六ケ年働き更に現地カウアイ島ソイボリに移転、間もなく大工職となり同地に
      務めること26年今日に及ぶ。三女ヒナコさんはヒロ明照に寄宿しヒロ、ハイスクールに通い
      卒業後父母の許に帰りて同地の医師、秦忠雄氏経営の病院に2ケ年助手として務め、後
      アメリカに赴きパシフック・ユニオン・カレッジに通学、1940年5月卒業、次いで
      グレンデル・ニテルヤムに勤務さる由、同女史の将来が期待される。尚、池田氏はカウアイ
      島カパア浄土院副団長を務めらる。
  趣味  読書



8)西村 金右衛門 Nishimura Kinuemon
  明治14年8月1日生
  本籍地 大島郡安下庄町
  現住所 カワイ島ハナペペ町
  家庭  明治40年結婚、夫人ツネ(明治15年10月10日生)
      長男博、次男四郎、長女アヤ子
  経歴  明治32年2月8日、米国船キールン丸にて渡航、マウイ島プウネネに一週間就労の後
      同地クラアシュバーに来りて事業経営六ケ年、更にハワイ島ヒロ市に転じ在住する
      事一ケ年、其の後カウアイ島に渡りて漁業を始め、郷里山口より妻ツネさんを呼び
      寄せ共に働き、同1920年魚仲買を始む。1930年11月同店の建築に掛かり同31年2月
      初旬、生魚兼野菜店開業経営現時に及ぶ。カウアイ日本人会社会部長。
  趣味  仕事


9)藤本 栄治  Fujimoto Eiji
 明治21年5月13日生
 本籍地 大島郡蒲野村東三蒲1723-2
 現住所 ハワイ島ヒロ市 PO.Box211
 家庭  23年前結婚 夫人 ユキヨ(明治30年5月14日生)
     長男 晃、長女 千恵子、二女 笑子、三女 英子
 経歴  明治40年1月モンゴリア号に来布。氏は20年間ホノルル在住中、旭商会及び
     住田商会に勤務、而して今より11年前来廣、令兄経営の藤本貿易商会支配人
     として活躍。仝商会が布哇島邦人屈指の卸商として隆々今日の繁栄を見るに
     至るもの之氏の敏腕に待つところ多大なる云うまでもない。
 趣味  スポーツ
 


10)橋爪 運平  Hashizume Unpei
   慶応元年3月13日生
   本籍地 大島郡屋代村字屋代
   現住所 カワイ島カパイア
   経歴  氏は明治19年来布。カウアイ島ハナマウイに勤続の功労者である。
       後、カパイヤに移住今日に至る。